65・別れ
「お帰りなさい、旦那様、お嬢様」
「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様」
家政婦であろう、キリッとした表情で出迎えた大柄な女性と、笑顔でそれに続く小柄な女性。
しかし、二人の前に旦那様と呼ばれたアニーの父の姿は無く、小さく「ただいま」と言ったアニーは大柄な女性の腰に腕を回し、大きな胸に顔を埋め動かなくなった。
「どうしたのですかお嬢様……お嬢様、旦那様はどちらに?」
一瞬だけ不思議そうな顔を見せた大柄な女性だったが察しがいいのか、明らかに暗い顔を見せる、出かけ時と異なる傭兵達。何か必死に耐えようとようと震えているアニー。そして、姿の見えないアニーの父。アニーから返ってこない答え。
また馬車に目を向ければ、見覚えの無い大き目の荷車が繋がれていた。それで分かったのか、それ以上何も言わずその大きな手をアニーの背に回した。
「あのー……傭兵の皆様、これは一体……」
唯一まだ状況が分かっていない小柄な女性は、若干ロインとノイドの存在にも驚きつつサージディス達に尋ねる。それに答えようとサラディナが「実は……」と前に出たが「待って」と顔を上げたアニーが止めた。
「大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だから」
そこからは大変だった。一家の、店の主人の死。各専門の責任者を雇っていた為、お店の方は問題なかったのだが、関係者への連絡、葬儀の準備はもちろん、夫の死にアニーの母親は号泣、元々病気で健康な状態ではなかったが、更に体調を崩し気を失い寝込んでしまった。気が付けば陽は完全に暮れていた。
「ごめんなさい、御二人にも色々助けていただいたのに、そんな物でしかお礼も出来なくて……」
「気になさらずに。特にロインに着替えの服を頂けたのは幸運。我らはそれだけで十分」
「そうそう、俺の方こそ有難う。この服もワンドも気に入ってるから気にしないで、アニーさん」
そう言ってロインは着替えたその姿を見せるよう両手を広げた。
今ままで紺の、暗い忍び装束とは違って真っ白なチュニックで、植物で染めた緑の糸で植物の蔓と葉の刺繍が施されていて、また刺繍と同じよう、緑に染めた紐で腰を縛っている。
刺繍はどこか幻魔特有の、母レネにもある紋様にも非常に似ていた為、ロインは一目見て気に入っていた。
下も同じ白いゆったりとしたズボン、横側にはラインのように上と同じ植物の刺繍があり、足は茶色のレザーブーツを履き、しかも、つま先と脛の辺りに鉄板で保護されているので防具としても十分に効果が期待できそうだ。
チュニックの上にはフード付きの黒のマント。フードと裾の辺りにだけ赤い刺繍が施されていて、羽織ったマントは胸元の金メッキされた装飾でしっかりと止められていた。
元から付けていたグローブはそのままだが、忍び装束とチェーンメイル、マフラーも外し、持った背負い袋に詰め込んでいる。
また、右足太ももに巻いた小さなベルトとそこに挿した赤い短杖。ロインの指ほど細く、長さも四十センチも無いほど短い短杖。レネが持つ短杖と比べると明らかな安物で、実際魔法武器としても多少魔法の威力が上がる程度。
元々杖の類は無くても困らなかった事もあり、ロインにとってあくまで忍術、魔法を使う際に相手の意識をこの杖に向けさせる為の擬装用の杖として貰った物だ。
「それじゃ私達も一度、第二町のギルドに行くわね。この町、第二町のギルドは宿泊は出来ないけど、軽く飲食が出来るから暫くはそっちにいるわ。もし何か緊急事があればギルドか紹介してくれた宿に使いを寄越してね」
荷車に載せていた荷物をまとめ、準備が出来た三人はロイン達の隣に立ち、サラディナが手を差し伸べるとアニーはその手を握り返し、再び感謝の言葉を口にする。
「有難うサラ。……皆さん、改めて護衛をお受けいただき有難うございます。こうして私がこの町に、この家に無事帰ってくれたのはサラ、サジさん、モウガンさん、ノイドさん、ロイン君、皆さんのおかげです。改めて有難うございます」
この町に戻る事が出来て本当に嬉しかったのだろう、父親が亡くなった事など無かったかのような笑顔にロインとノイドは眩しそうに、傭兵達も順番に握手と差し出された手を握り返していく。
「またね、アニー」
「またね、サラ」
「南アティセラに帰る時はちゃんと連絡しにくるからね」
「ええ、絶対忘れないでよ」
五人と一匹、正確にはノイドを除く四人は笑顔で手を振るアニーに手を振り返しながらその場を後にした。
「おいおい、本気か旦那!?」
第二町に戻り大通りにある傭兵ギルド前、サージディスの上げた声に、陽も暮れ帰り路につく人達がそこに立つ五人を目を向ける。ただし、少なくとも半数以上は幻魔族である二人に目を奪われていたが。
「ええ。折角モウガン殿のおかげで探していたドワーフかもしれない情報が手に入ったんです。海を渡り南アティセラに行く事も視野に入れていましたが、まずはシュリンク教皇国にあるというシャンバールの町に行くつもりです」
「いやいや、それは分かっているが今夜中でなくとも、二~三日くらい身体を休めても良いんじゃないかと思うんだ。ほら、馬や馬車での移動は結構腰や尻にくるだろう? 休みたいだろう? ロインだってそう思うよな?」
しかしロインは不思議そうな表情で見返した。
「いや、特に疲れてないかな。多少観光してみたいかなぁとは思うけど、早く用を済ませてテノアの町に父さんを連れて帰る方が重要だし」
「……マジか」
「もちろん宿は取りますよ。この町に来てからここまでの間でいくつか宿に目を付けていますので」
「……そうか」
「ではサージディス殿、モウガン殿、サラディナ殿、色々と有難うございます。私達はこれで」
「有難うございます。またね、サジさんサラさんモウガンさん」
「おう……また、な?」
「こちらこそ色々有難う」
「ロイン君、またね」
第三町を目指し、歩き出す幻魔の後姿を見送る三人。しかし、サージディスだけは茫然自失と固まっていた。
出会いあれば別れあり。
そして別れは突然やってくる。
それは普通の事であり、よくある事である。
三人が幻魔に近づいたのも、ある意味、幻魔の目的を知る事。
アニーを助け、護衛でこの町まで送るという、目的の一致はあったものの、一緒に傭兵家業を努める事ではない。
真実だろうがたとえそれが嘘だろうがその目的を知り、『意地でもあんたらに付いていくぜ』などと言わない限り、去りゆく幻魔をサージディス達が止める理由は無い。
「それじゃモウガン、私達はギルドで一休みしましょう」
「サジはどうする?」
「別に放置で良いわよ。兄さんだし」
「そうだな」
薄情にもギルド前に残されたサージディスが我を取り戻すのは、半時間ほど時間が経った、巡回していた兵士に声を掛けられた時である。
「思ったとおり追跡者を付けず、監視する人達が最初から町全域に配置されてるみたい」
「たった二人の監視にまた随分と大盤振る舞いだな。カザカルスとレティーフルから報告を聞き前もって準備をしていたか」
三人と別れた後、ロインとノイドは乗合馬車を使って、町の入り口である第三町の途中まで戻ってきていた。
千里視と千里聴をかけなおし、第三町まで戻って来る間、自分達を監視する者を探し出す為に途中で馬車を降り、正門近くで目星を付けていた宿まで徒歩で移動していたが、後をつけてくる者は一人もいなかった。
ただ、どうも町には最初から通常の兵士に加え、一定の間隔で傭兵や一般人のふりをさせた兵士を配置させていたようだ。
この町に入って大通りを進んでいる時から分かったが、兵士や普通の買い物客や店員、傭兵とすれ違う時、ロインとノイドの進む方向や、どこの店の前を通過したなど一言二言で連絡を取り合っている事は確認済みである。
「武装は……兵士と傭兵以外は特に無しか」
「幻魔だし魔法が無ければ子供並みに弱いから、訓練した兵士にとっちゃ武器なんて必要無しなんだろうね、契約もあるし。でも日も暮れて皆家に帰っているのに、これ以上居続けても怪しいだけだよね。それにこれだけ大人数、町全体でどうやって連絡取り合ってるんだろ? 遠くの人と会話できるような魔法の道具でもあるのかな」
「さて、どうかな。一般では使われていなくとも国家機密にされている物もあるかもしれないが」
「一番可能性が高いのが……あれかな」
そう言ってロインは歩きながら目線だけを屋上のある建物に向けた。そこは大通りと違い、魔法の明かりは無いので完全な闇。と言っても夜目が利くので、ハッキリでなくともそこにいる謎の人物は十分見えているし、千里視で補正も出来ていて、それ以外にも窓や建物の影から隠れて二人を伺っているなど、ある意味、監視者達よりもロイン達が監視者達の行動を把握していた。
「上にいる奴が何か持ってるけど……仮にあれが連絡用の魔具として、声も出していないのに一体どうやって……」
「形から見るとただのランプで声ではなく光、信号による連絡かもしれん」
「レティーフルで父さんが帰還する時に山の上で見せた合図みたいな?」
「似てはいるが……点滅や動きの組み合わせで言葉を作ったりとある程度会話も出来る。それにこちらの位置情報だけを流すだけなら、例えば方向だけ、東西南北の四つ、北東、南東、南西、北西を加えても合図は八つの合図だけで済む。もっとも何度か確認しているが、向こうも警戒しているのかこちらからでは光を確認出来てはいないが」
「はぁ~……今回は渡り鳥探しはやめて、大人しくしていた方が良いのかな」
「いや、渡り鳥は探さないが少し確かめたい事がある」
「確かめたい事?」と、ロインは隣で歩くノイドの横顔を見たが、その顔は無表情で結局答えが帰ってくることは無かった。