61・北の剣聖
それは時間にして、ロイン達がまだアニーを救出する為に村へ向かっていた時。
サーファン王国、城内の一角にて騎士達や兵士達が訓練をする為の広い場所、その訓練場所に三十人、美しい白銀に輝く完全武装した騎士達。
頭から足先まで覆われたプレートアーマー。左手には黒い狼の紋章が描かれたカイトシールド。右手には魔法の剣、淡い光を発するロングソード。うち、何人かは剣の代わりに槍、ただし騎乗時にもちいる細長い円錐のランスではなく、長い棒の先に小さな刃が付いたパイクと呼ばれる槍を持っている。ただ、そのどれもが傷一つ無い、新品未使用の装備だ。
そんな騎士三十人の中、中央に立っているのはたった一人の女性。
歳は二十代前半、身長は170以上と長身、周りの男達に負けていない。波がかった長い金の髪を後ろで無造作にまとめ、切れ長の目をした、どこか冷たい雰囲気を漂わせてはいるが美しい女性。
武器は女性が持つにはあまりにも長く大きい剣、ツーハンデッドソード。彼女の剣はその重さを象徴するかのように、鞘に収まっているのにもかかわらず深々と地に突き刺さっている。
数人の騎士が魔法のかかっていない槍を装備しているのは、彼女の長剣、間合いに対応する為か。
鎧、防具の類は何一つ身に付けず、この国の魔法士が着ているローブとよく似た、しかし色は真逆、真っ黒い制服で右の胸にはこの国の黒い狼の紋章ではなく、青い蛇の紋章の刺繍がされている。
辺りは緊迫に包まれており、騎士達は三十人でたった一人の女性を取り囲みながらも、彼女の発する冷たい気配に気圧されていた。
それに対し、女性の方は落ち着いていると言うより、固まっている騎士に少しイラついていた。
「どうした、遠慮はいらんぞ。お前達程度が百人いてもまるで負ける気がしないんだ、私を殺すつもりで来るがいい」
常識で考えれば非常に失礼な言葉だ。
彼らはこの国の騎士、たとえここにいる彼らがまだ若く経験が浅いとはいえ、正式にその実力や功績を認められ、騎士叙任の儀を受けた者達だ。にもかかわらず、いや、むしろ本当に実力があるからこそ自分達と彼女の実力とどれ程の差があるのか、残念ながら理解し認め恐れてしまっていた。
「……まいったな、今回の連中は実力より度胸が足りないらしい。ならば少し隙を作ってやろう。……この身に纏いし愛しき影よ、この声に目覚めよ、この声に答えよ、その姿さらけ出せ、愛しき娘、影姫!」
女性の足元にある影が揺れたかと思うと、その影は女性の足元に最初から潜っていたかのようにゆっくりと這い出てきた。
周りの騎士達がざわめくも、それを見つめるばかりで何かをしようとする者はいない。
這い出てきた影は完全に光を吸収、一切反射しない為におうとつを見ることが出来ず、どんな姿をしているのか確認出来ない。
分かるのは二メートル近い巨大な影の剣を担ぎ、まるで影絵のように女性と全く同じシルエットをしていることだった。
そして影が完全に立ち上がった時には、女性の足元にあるはずの影は消えてなくなっていた。
「意味無き偽りの詠唱、せっかくの好機だと言うのに、何もしかけようとしないか。そんなにそちらから来るのは嫌か?、ではこちらから攻めよう。新人などとつまらぬ言い訳するなよ、騎士らしく必死の抵抗を見せてみよ。行け、私の影姫」
女性のシルエットをした影、影姫と呼ばれたそれはまるて走るように、地面ギリギリで低空飛行、一瞬で騎士達の前まで移動すると相手に行動を起こさせる前に、影の蹴りが一人の騎士を大きく後ろに吹き飛ばした。その一撃を皮切りに、動けなかった騎士達は呪いが解けたように動き出した。
およそ十人の騎士は影姫に向け、それぞれ剣を振り槍を突き刺す。しかし、人ではない影は騎士の頭上を高く飛び越えたり、身体を宙に浮かべたまま水平にして回転させるなど、人間にはほぼ不可能な動きで、騎士達の攻撃を全て回避し、影が影の剣を振るうたびに騎士が持つ剣や槍が弾き飛ばされていた。
同時に残った二十人ほどの騎士は影ではなく、直接女性の方を狙った。
女性は地面に刺さった剣を抜くと、一番近い騎士に、鞘に収まったままの剣で鋭い突きを放つ。騎士は油断していたわけではない。しかし一番近いとは言え、まだまだ間合いの外、この距離で届くとは思っていなかった。しかし、女性はまるで瞬間移動をしたかのように、影姫さえ凌駕する速度で騎士に近づいたその姿は幻にも見えた。
その一撃は剣や盾で防ぐ暇も回避する暇もなく、気が付けば右手に握られていた剣は、はるか後ろに弾き飛ばされていた。女性の方も、影と同じように足と身のこなしだけで騎士たちの攻撃を回避し、一人一人と順番に武器を弾き飛ばしていく。
また何人か盾で防ごうとした者もいたが、その場合、盾が飛ぶどころか、完全武装した重装備の騎士本人が十メートル近く吹き飛んだのは、騎士達に更なる恐怖を植えつけるのに十分だった。
時間にして二分と経たず、三十人いた騎士のうち、一番最初に蹴り飛ばされた騎士と盾ごと吹き飛ばされた数人の騎士を除き、全員武器を失い無傷で敗れ去った。
「戻れ影姫。……剣聖の洗礼と言う名の訓練。私にとって今回で二度目だが、前回と比べ今回の連中は特別に酷い。これでよく騎士に選ばれたものだな」
影姫は女性のもとに戻ると溶けるように地面に沈む、影姫が消えると女性の足元に消えた影が戻っていた。
それと同時に辛辣な物言いに、兜を脱ぎ汗を拭っていた騎士達は反論しようとはしなかったが、しかし半分ほどが睨むような目を女性に向け、悔しさに歯を食いしばり、何かを必死に耐えるように強く握り拳を震わせていた。ただ、睨むと言っても恨み憎しみとは違う目、次があれば今度は自分達が勝つ、そんな屈していない目だ。
自分を見つめてくる騎士達を、冷めた目で見ていた女性だが、内心では今後の成長に期待していた。
(ふん、どこぞの弟と同じ目をしおって。今は酷いがこれなら将来的にまだ期待できそうか)
「そう虐めてやらんでくれ、エスノフ殿」
戦闘終了後、離れて見ていただけの男が近づき声をかけてきた。
歳は五十五前後、白くなり始めた金のあごひげと髪。ローブにも似た白い制服に、胸の右側にやはりこの国の黒い狼の紋章。腰には三十人の騎士とは明らかに違う、比べ物にならない装飾がされたロングソード。背が女性よりも低く、あごひげと全体的に四角いフォルムのせいで、若干背が高いドワーフに見えなくもない外見をしている。
「しかし相も変わらず見事なり。さすがはテンタルース国が誇る北の剣聖、『ポーラ・エスノフ殿』。それ程の大剣、ここまで操れる者は男でもそうはいまい」
(確か敬礼はすべてテンタルースと同じだったな)
ポーラ・エスノフ。そう呼ばれた女性は心の中で確認しつつ、直立し剣は右肩に担ぎ、左手は握り拳を作り、右胸に刺繍された青蛇の紋章が相手に見えなくなるよう覆い隠す。
実はこの敬礼は一つだけではなく、服装や装備によっては変わる。紋章が描かれた盾を左手に持っていれば、盾をまっすぐに立て右手で握り拳を作り、盾の紋章が相手から一部分見えなくなるよう右手で隠す。
ただし盾も無く、紋章の無い服を着ていた場合、ただの直立が敬礼となる。これは右手、あるいは左手を紋章が隠れるよう前に置くことによって、『この手でこの国を守ります』と言う意味合いがある。
その為、テンタルース国の人間である彼女が、サーファン国でこのような敬礼をしても、正直意味は無いと言える。
「有難うございます、セティル……失礼しました、ライズ将軍」
ポーラは姓、家名ではなく、名で応答してしまった事に慌てて小さく頭を下げた。
王族や貴族など位の高い者は血筋を重んじる為に、家名などでお互いを呼ぶ。名で呼び合うのは身内など近しい者だけだ。
逆に平民、特に村で生まれた村民などは未だ姓を持たないものがいる為、初対面でも名で呼び合う事は珍しくない。その為、身内でも親族でもない将軍相手に、名で呼ぶ行為は非常に失礼にあたるのだが、『セティル・フォグ・ライズ』は嬉しそうに豪快に笑う。
「あーはっはっはっ、構わぬ構わぬ。エスノフ殿のような美しい女性に、名で呼ばれるのはむしろ褒美だ」
「ライズ将軍、お戯れを……」
騎士達との戦闘後もどこか冷めた雰囲気を漂わせていたポーラも、セティルの笑いに釣られて柔らかな笑顔を見せた。
剣聖の洗礼、十六年以上前までは魔法騎士の洗礼と呼ばれていた。
剣聖程ではないが、昔はこのサーファン王国にも剣と魔法を同時に使いこなす魔法騎士は少数ながら存在した。
新人騎士達は魔法騎士による、実戦に近い洗礼を受けるのが慣わしだった。
そもそもこの洗礼は対魔物用として生まれた訓練。魔物の中には、高い身体能力と魔法能力により、直接の肉弾攻撃と間接の魔法攻撃の、両攻撃を同時に操る魔物もいる。そんな魔物と戦えるようにと、新人騎士と魔法騎士の訓練なのだが、しかし、人間族と幻魔族との戦争で魔法騎士達は全て戦死。
十六年過ぎて尚、この国では剣と魔法、この二つを同時に使いこなせる魔法騎士は誕生していない。
それを知ったテンタルース王は、数年前から兄弟国であるサーファン王国の為に、友人でもあるサーファン王の為に、剣聖をこの地に派遣し洗礼が行われる事となった。
「以前と違う剣だったゆえ、心配していておったが無用であったな。大剣を大剣と思わせぬほど見事な剣さばき、その正体は重量操作の魔法か」
ポーラは与えられた部屋に戻る為、そして話をする為にセティルと並んで城内をゆっくりと歩いていたが、自分の剣の正体に気が付いたセティルに、少しだけ驚いた表情を見せた。
「さすがはライズ将軍、簡単に見破られましたか」
「見破るだけならばな。通常は剣を軽くした状態、しかし攻撃の瞬間だけ重くする。重い一撃だ、盾を構えた騎士ごと吹き飛ばすも当然、しかし考え付いても簡単には出来ん戦闘方法だ。剣と魔法を同時に使い、しかも重量操作を瞬時に切り替えるなど、熟練の魔法士でもここまで素早い切り替えは出来ぬだろう。ただ、解らぬのが影姫と言ったか、あの影人形。信仰系深淵、闇魔法の影人形は我が国でも使える者がいるが、せいぜいが簡単な雑用が出来る程度で私の知る限り、影人形にはあれほどの戦闘能力は無かったはず。もしや上位に位置する魔法なのか?」
セティルの疑問に「いえ」と小さく首を横に振る。
「あれは下位でも上位でもない同じ影人形。ただ、影の強さは魔法士、使用者の強さに比例しますので、大して剣の腕も無い魔法士が使えば雑用しか出来ませんが、腕に覚えのある者が使えば……まぁご覧になったように実体の無い魔法の影であることも加えれば、場合によっては使用者を上まる戦士にもなります」
「そうだったのか、それで……」と、影姫の実力を思い出しつつも、それ以上の言葉が出ることはなかった。
暫くの沈黙、返ってくる答えは何となく予想出来ていたが、覚悟を決めたセティルは質問を搾り出した。
「……それで……正直、剣聖の目から見て今回の彼らはどれ程のものか」
「正直言えば話にもなりません。まさか詠唱の完成まで大人しく待ってくれるとは……ライズ将軍同様、彼らも影姫が単なる雑用としか見えなかったのですね。結果、三十の死体が簡単に出来る程度です」
「手厳しいな」
オブラートに包むことの無い冷たい本音に、さすがにセティルも肩を落とした。
しかし訓練場所で起きた情景を全て見ている以上、事実として受け入れるしかなかった。
「ですが長い目で見れば、彼らの今後の成長は期待してもよろしいかと」
「おお、そうか!、それを聞いて安心したよ」
今度は満面の笑みを浮かべるセティル。笑ったり落ち込んだりとコロコロと変える表情に、将軍と言うより孫を心配する気の良いおじいちゃんに見えなくも無い。
と、「将軍、ライズ将軍」と呼ぶ声が後ろから聞こえた。
二人は立ち止まり後ろを振り返ると、自分達が歩いてきた方向から制服姿の兵士が小走りで近づいてくる。立ち止まり敬礼をしようとした兵士に「よい」と、セティルは手を挙げ止めた。
「どうした、何かあったのか?」
「はい、陛下がお呼びです。エスノフ様とご一緒に会議室まで来て欲しいとの事です」
ポーラは「他国の者である私もか」と驚いた顔でセティルと顔を見合わせた。
「はい。カザカルスに、ついに幻魔族が現れました」
「なんと!……すぐに行こう、エスノフ殿」
ポーラは頷き、大股で歩き出したセティルと兵士の後に続いた。