58・魔の蛇
数百メートル、天然の植物のトンネル越えると景色はガラリと変わり、草木より土と岩肌が目立つ渓谷に姿を変えた。先程と打って変わり少し寂しい谷底を進んでいる時、ロインは目視ではなく、千里視でその先、片側の崖が一部崩れているのを確認した。
道幅は広い為、馬車でも崩れた部分を避けて抜ける事は可能。ゆるやかな坂を登りながら千里視で崖崩れを確認していると、誰か、人が土砂に巻き込まれ倒れている事に気が付く。この時ロインは助けに行くか行かないか一瞬だけ迷った。
理由として一つは千里視および千里聴の射程がノイドと違っていたからだ。もともとこの二つの術を使う忍者たちにとって個人差があるが、その射程距離はおよそ150メートル以下と言われている。通常二人もその程度だ。しかし教会での戦闘後に習得していたロインは精霊魔法強化によりその射程距離は200メートルを超えていた。
それに時間経過とともに範囲も感度も弱くなってくるのだが、精霊魔法強化はそれも遅らせていた。つまりノイドはまだ気が付いていない為、ロイン自身の判断に委ねられている。
しかし、倒れている人には悪いが目視で確認できるまで気が付かないふりをすることに決めた。一人で助けに行くも、父に相談するも、どちらにせよ『見てもいないのに、何故知ることが出来たのか』と、サージディス達にうまく説明できないからだ。
千里視の事を教えるわけにはいかず、そのまま進んでいくとノイドも気が付いたらしい、しかしノイドも直接その目で見るまで放置する事に決めたようだ。坂を登りきった時、3、40メートル先でそれを目視する事が出来た。
「サジさん、あれ崖崩れでしょうか。道が三分の一ほど土砂で塞がれてますよ」
「マジか。……まぁ見るかぎり馬車も通れる幅はあるから大丈夫、か?」
サージディスは後ろから覗き込むように崖崩れの場所を見るが、倒れる人にまだ気が付いていない。土砂に巻き込まれ体が半分以上埋もれているので、まだ離れた距離ではロインの目から見てもそれが人だとは認識できない。
それでも半分くらいまで近づくと気が付いたのか、サージディスは声を上げた。
「馬を止めろ!」
馬が止まると、おりると言うより若干滑り落ちるように馬からおりたサージディスは馬車に顔を向け、「サラ、モウガン、崖崩れに人が巻き込まれている!、手伝え!」と叫んだあと杖を持って走り出した。
一瞬で状況把握したのか、馬車から飛び出したサラディナがサージディスに続き、その後をモウガンが付いていく。
「大丈夫か?、すぐ助けるから待ってろよ!」
サージディスの足元に倒れているのは少し赤みがかった長い茶髪でうつ伏せ、背中から下半身全部が土砂に埋もれている人が一人。長い髪が扇のように広がり、隠れてるので顔が見ることは出来ず、男か女か分からないが、唯一見える白く細い両腕と赤く塗られた爪から女性であろうと判断できる。
サージディスとサラディナは土と小さな石、また杖をてこにして中くらいの石を転がし、モウガンはその怪力を生かし大きい石をどけていく。
ロインとアニーも三人を手伝おうとして近づこうとした時、手を広げたノイドに止められた。
「待て、二人とも近づくな」
「どうされたんですかノイドさん?」
不思議そうにアニーは聞くがノイドは返事をせず、崩れ落ちた土砂に目を向けたまま動かない。いや、ロインの目に右手を刀に添えていつでも刀を抜ける父の姿がそこにあった。
自分の気付かない何かに警戒するノイドに、ロインもすぐにサージディス達を助けられるよう、ココの横にしゃがみこみ「ココ」と声をかけた後、土砂に埋もれた人を救出しようとしている三人を見つめる。
ココもロインが何を望んでいるのか分かっているのか、同じように三人に目を向けていた。
そして土砂の中から煙が噴きだしロインは叫ぶ。
「ココ!」
しかしロインの叫びは爆発音にかき消された。噴きだした黒い煙が三人の傭兵を飲み込み、直後ガスが引火するように大爆発を起こした。
アニーは小さな悲鳴を上げ、目をつぶりその場でしゃがみこんだ。不思議な事に爆風も飛び散った土砂もアニーに届かない。それどころかあれだけ大きな爆発音が耳を貫いたはずだが、飛び散りパラパラと地に落ちる小さな破片の音を聞き分けるほど小さな音が鮮明に耳に届いている。
アニーが恐る恐る目を開けると、半分は安堵、半分は恐怖に支配された。
安堵は傭兵の三人があの爆発に飲み込まれたにもかかわらず、三人とも無傷で立っていた事。
恐怖はその三人の向こうに上半身が人間のような、下半身が蛇のような魔物が二体立っていた事。
腰が抜けたか、へなへなとアニーはその場に座り込んだ。
ノイドは魔物に目を向けたままサージディスのすぐ傍まで足を進め、ロインは小声で「ココ、さっきの攻撃がきたらまた頼む」と、ココに呟くと同じく魔物を警戒しながら後に続く。
サージディス達は呆然と魔物を見つめたまま動かなかったが、驚くことに罠をしかけ奇襲をかけた側の二体の魔物も、自分の攻撃をあっさり防がれた事に警戒して、追撃もせず呆然とする傭兵達から距離をとって、紫の瞳を傭兵達でも自分達の方に歩いてくる幻魔の二人でもなく、ココを睨みつけ動かなかった。
「サージディス殿、あの二体は私が初めて見る魔物。何かご存知ですか?」
視線を魔物から外さずノイドは質問するがサージディスからの返答は無い。魔物が神獣に警戒して動く事が出来ない事が幸いした。これが魔獣ならまた自分たちを無視してココに飛び掛っていただろう、当然返り討ちになるだろうが。
魔物が動くに動けない理由を知るからこそ安心して魔物から三人の傭兵を見ると、なんとかモウガンだけが攻撃に対応できるよう左腕の盾を前に備え身構えているが、サージディスとサラディナの二人は戦闘意欲を失い、まるで魔物が自分達を殺す事をただ待っているだけ、そんな雰囲気を漂わせていた。
再び魔物に視線を戻し、まだ諦めていないモウガンに質問をした。
「モウガン殿、この魔物は?」
「……左側の蛇女はラミア。危険視第四種に指定されている魔物。右側の蛇男はナーガ。ラミアより上位の魔物で危険視第三種に指定されている魔物。無戦型の魔物でさえ俺達エメラルドでは左のラミアが限界だ。だがこんな罠を仕掛けたり、つがいのような組み合わせ、どう見ても有戦型ではないか」
顔を隠したモウガンにしては珍しい、最後の方は悲鳴に近い声になっていた。
そう言う事かとノイドとロインは納得し魔物を見る。レティーフルでのサージディス達とギルド長の会話にあった、魔物の強さの段階だ。数値が大きいほど弱い魔物に指定されており、彼らエメラルドの傭兵ではナーガに勝つ事は厳しく、それどころか今、目の前にいるラミアですら危うい可能性がある事。
ノイドもロインも人間族が設定している魔物の強さの基準の全てを把握しているわけではないが、一番弱い第六種、第五種は複数、群れをなしている魔物。そして第四種で強力な魔物として単体でいるのだろう。
しかし、この二匹は二体で徒党を組み一緒にいる事、それは以前彼らが言っていた、経験を積み強化された魔物、確かにこの魔物は傭兵達にとってはどちらか一匹でも分の悪い相手だ。
そしてもう一つロインとノイドを驚かせたのは、周辺の土や植物が腐敗し悪臭を放っていた事。
「モウガン殿、先程の攻撃は対象を腐敗させる魔法攻撃のようだがどっちだ?」
「魔法か特殊攻撃か知らぬが今のはナーガだ。ラミアが先程の腐敗させる攻撃を使用するなんて聞いた事が無い。ラミアの武器は早さと両手にある爪、麻痺の効果がある毒の爪が最大の武器だ」
「そうか」
モウガンの助言を受け、ノイドはサージディスを守るように、ロインはサラディナを守るように二人の前に出るとゆっくりと刀を抜く。
「ロイン、お前はラミアを。私はナーガをやる」
「はい!」
土砂に巻き込まれ倒れたふりをしていたラミアは、上半身は人間の女性とほとんど変わらない。改めて見ると美しい顔をしているが、むしろ美しすぎてどこか人間と言うより作り物の人形にも見える。また殺した人間から奪ったのか、赤黒い血で汚れ、ボロボロに破れた、黄色みがかった白いシャツを着ている。モウガンのような体の大きい男から奪ったのだろう、サイズがあっておらずかなり大きいシャツである。腰から下は爬虫類、赤い蛇のような尾をしており、尾だけで四メートルほどの長さがあった。
そしてもう一体、先程まで姿はなく、土砂に埋まり完全に姿を隠し、近づいたサージディス達を殺そうと攻撃したナーガは、上半身は男で人型ではあるものの、ラミアのような人間らしさはまるで無い。髪は生えておらず、耳も無くそれらしい穴があるだけ。目は異様につりあがり、鼻は耳と同じで穴だけ開いていて、僅かに開いた口から肉食獣のような牙が見え隠れしている。体は筋肉質な逞しい身体ではあったが、ラミアと違い人間のような白い肌ではなく、緑色のゴツゴツした肌をしていている。下半身はラミアと同じ蛇のような尾で、上半身と同じ緑でラミアより太く、倍以上長い尾をしている。
特に戦略があったわけではなく、単にノイドの前にナーガが、ロインの前にラミアがいた為の単純な理由だ。
二人は刀を手に構え、二匹の蛇も武器を構えた二人を威嚇するように、身体を大きく見せるように上半身を更に上へ上へと高く身構え、ロインとノイド、そしてその後ろにいるココを見下ろした。