5・夕食
小さな足音に目を覚ました幻十朗はすぐに起き上がった。
ゆりかごで眠る才蔵と子狐を見てゆっくりと息を吐いた。
(夢じゃなかったか・・・)
窓の外を見るとほとんど陽は沈み闇が迫っていた。
足音のヌシが部屋に来る前に小さくつぶやいた。
「風遁、千里聴」
扉が開きそちらを見ると驚いた顔のアイルが立っていた。
「起きていたのね、ちょうど良かった。食事の用意が出来ているわ、降りてらっしゃい。それから赤ちゃんのミルクも出来てるんだけど・・・あらあら、あなたもちょうど目を覚ましたのね」
そう言うとアイルは才蔵を抱き上げた。
当然のように子狐も起き上がりゆりかごから飛び降りた。
「ありがとう、すぐに参ります」
ベットから足を下ろし立ち上がろうとすると足元に揃えられた草鞋が目に入った。
(レネ殿と言ったか・・・確か部屋の中でも履物を履いていたな)
アイルの足元はよく見えないが足音は硬い音がしていたしレネは部屋の中でも靴を履いていたのを思い出し草鞋を履いてから彼女の後ろを付いていく子狐の後ろを付いていった。
部屋を出ると幻十朗は驚いた。
廊下に出たのだが明かりが灯されていた。
それ自体はお金持ちなら珍しくもない、ただ油でもなくろうそくでもなく透明の容器に入った謎の物体が白く発光していたのだ。
(・・・これは何だ?・・・本当に妖怪の世界に来てしまったのか?)
前を行くアイルの後姿を見つめながら自分に気合を入れた。
(『幻魔族』と言ったか、どのようなあやかしか知らないが恩人には変わりない、どうか敵対してくれるなよ)
階段を降りると正面に玄関が見えた。
アイルは階段を下りた左側すぐの部屋に入り幻十朗もそれに続いた。
部屋には10人ぐらいが座ってもゆったりと食事が摂れる簡素だが大きなテーブルがありそれでもスペースがあるかなり広い部屋だった。
部屋の天井付近にはやはり謎の発光体、テーブルの上にはバスケットに入ったパンとバター、シチューの入った鍋、各皿にはサラダ、炒めたベーコン、チーズとそれらを装う為の食器をレネは並べていた。
「あ、どうです?気分の方は楽になりましたか?」
「ええ、混乱してないと言えば嘘になりますが落ち着いています」
「そうですか・・・さあ、こちらに座って」
レネの言葉に正直に答えた。
一眠りしすっきりしたのもあるが正体不明の発光体にある意味覚悟が出来ていたのかもしれない。
敵ならたとえ神や仏であろうが殺せばいい。
違うのなら、恩人なら化け物でも恩を返す。
ただそれだけだ。
引かれた椅子に座るとレネは幻十朗の皿にシチューを装いその後隣に座る。
アイルはレネの正面に座り才蔵に哺乳瓶でミルクを飲ましており子狐は幻十朗の正面の椅子に座り何かを食べるとかせずただただ才蔵を見ていた。
(この九尾の狐も何なのか分からない、明らかに才蔵様に懐いているようだが・・・二人もそれに対し何か不振がることもない、同じあやかし同士気が合うのか?・・・さて、それよりも今はこっちだ、この食事どうするか・・・)
サラダは分かる、ベーコンも干し肉のような物だろうと分かった。ただパンやチーズ、シチューは始めて見る料理だった。
もしかすると城下町にでも行けばあるのかもしれないが料理を調べる任務に就いた事は無い。
仮に毒が入ってたとしても毒に対する耐性の訓練は幼少の頃よりやっている、
もっとも毒を食わせる気ならミルクを飲んでいる才蔵はアウトだがただその場合子狐が飲ませまいとするような気がした。
チラッと隣を見るとちょうど手を合わせて祈り終えたところでレネはスプーンを持ってシチューを口にした。
ええいままよ!と覚悟を決め手を合わせ「いただきます」と言った後幻十朗は『出来れば箸をお借りしたい』なんて事は言えずスプーンを持ちシチューを口にする。
味噌汁のような物、豚汁のようなものかと思っていたがクリーミーでまるで違っていた。
「・・・うまい」
「そう?今日は私が作ったんだけど口に合って良かった」
「5回に1度はおいしくなるから今日は当たりだったのね」
「お母さん!人前でそう言う事言わないで!き、気にしないでね」
レネは恥ずかしそうに幻十朗を見ながらパタパタと手を振った。
(幻魔族か・・・見た目も仕草も呼吸音も・・・心臓の音も人間と何一つ変わらない。
むしろ子狐の方がまるで幽鬼のように音がしない無音、歩けば足音はしているし気配もある以上存在はしているが・・・)
食事中はレネとアイルだけで会話しており幻十朗は質問されない限り静かに食べていた。
「ご馳走様でした」
「えっと・・・少しいいかしら?」
「はい」
食事後出されたお茶を幻十朗が飲んでいると才蔵を抱っこしたアイルが話しかけてきた。
才蔵はアイルの顔を触ったり髪を引っ張たり服をしゃぶったりキャッキャと声を上げやりたい放題だったがアイルは特に気にしてない、むしろ嬉しそうだった。
「実はあなたを助けた時持ち物を回収して隣の部屋に置いてあるんだけど・・・布に包んでいた物と思うんだけどかなり散乱していたの。一応全部集めたと思うんだけど確認してもらえるかしら?」
「はい、分かりました」
片付けはレネがすべてしてくれるようだ。
2人は立ち上がり廊下に出て向かいの部屋に入る。
部屋に入ると暗かったが彼女が正面に向かって手を掲げていると部屋の中央に置かれた机の上にあった水晶玉のような物が
光り始め天井にゆっくりと上がり始めた。
(なるほど、これか)と幻十朗はもはや驚くことも無く冷静に見ていた。
部屋は居間だろう、机に囲むように置かれたソファー、暖炉、壁際の台には花を挿した花瓶のほか、壷や絵などちょっとした骨董品が並んでいた。
中央の机の上に幻十朗が持っていた刀や風呂敷に包んでいた物、元々着ていた装束も置いてあった。
刀は半蔵から預かった1本と自分が持っていた刀と脇差、計3本で軽く指で抜いて刀に問題が無いことを1本ずつ確認していく。
風呂敷を広げると何冊かの書物と才蔵用数枚の布製のオムツ、そして小さな袋2つ更に布に包んだ物2つが出てきた。
一番大きな包み物を開くと木箱が出てきてフタを開けると黒い粉、火薬が入っていた。
次に小さい方を開くと布製のタオルを巻いたような物が出てきた。
それを広げると中には10本程のクナイが出てきた。
袋には小判10枚くらいと銭が入った袋と違う袋には乳を乾燥粉末状にし薬草と混ぜた物、
才蔵に飲ませる為のミルクの元が入っていた。
元々確認していなかった為これで全部かどうかは幻十朗には分からなかったが今は信用するしかなかった。
忍び装束は獣にやられた破れはまかった。
よく見れば分かるがかなり綺麗に補修されたうえ洗濯もされていた。
「どう?問題ない?」
「え、ええ、多分大丈夫だと思います。それに着物も洗濯はおろか補修までしてもらってありがとうございます」
「ふふふっ、気にしないで。それと・・・」
「?」
「今後の事なんだけど明日の朝に夫が帰ってきます。夫はこの町の賢者、人間族で言えば『市長』・・・みたいなものかしら。もしあなたがよければ全てを話してほしいの・・・私達でも何か手伝える事があるかもしれないしどうかしら?」
「わかりました。心の整理は出来ていますしこちらもお伺いしたい事があります、明日必ずお話します」
幻十朗は才蔵と子狐と部屋に戻りベッドで横にならず窓辺に座って夜の町を眺めていた。
明かりを点けるか聞かれたが断った。
町の建物は木製もあるがほとんどが石壁かレンガ造りの建物ばかり、謎の発光体が街灯として道を照らし窓からも油やろうそくとも違う先ほど見た物と同じであろう光が漏れ城下町や色町には劣るものの違う煌びやかさがそこにあった。
そんな町並みを見つめながらガウンから忍び装束に着替え里に帰る方法を考えていた。
海を渡ったなら船を使えば帰れるかもしれない。
しかし自分がいた人間の世界ではなかった場合自分の力で、意思でどうすることも出来ない。
ふと書物の事を思い出したのか机の上においた風呂敷を再び広げ一冊づつ書物を確認していく。
本は『いろはにほへと』で分けられており『い』は忍術と体術に関する事、『ろ』は武器と忍具、『は』は幻十朗達が住む国『火乃元国』に関する情報、『に』は海を越えた世界の事、『ほ』は火乃元国を含め世界にある神話や伝承に関する事が書かれていた。
『に』と『ほ』の2種類ある分だけ手に取り窓から差し込む星と月明かりをたよりにパラパラと『幻魔族』あるいはそれに近いものがないかしばらく探していたが残念ながらなかった。
(無いか・・・何か手がかりになればと思ったが。それにしても『ほ之二』はあるのに『ほ之一』が無い・・・)
散乱していた、そう聞いたがまさか盗まれたと一瞬考えたがあの二人が盗むとは思えなかった。
ただ周りにいた誰かが二人に気づかれずこっそり盗んだ可能性はあるかもしれないが。
小さくため息をつき夜空を見つめた、星の数は今まで見たものより眩しく多く思えた。
ただ月だけは子供から見ている同じ月がそこにあった。
「月はまるで変わらんが星は里で見るより多いかもしれんな。これで空を覆いつくすような大きい月だったり月が2つ3つもあれば文句なしに異界だと言い切れるんだが。・・・ん?星といえば・・・」
ふと才蔵の左手の甲を思い出し寝ている才蔵を覗いた。
見えている左手の甲には星のような痣があった。
(やはりそうだ、半蔵様にあった左手の痣と同じだ。千年樹で見た痣は見間違いではなかったのか・・・)
千里聴・・・不要な音を遮断し、必要な小さい音をハッキリと聞く、遠くの音、会話を聞く事が出来る風遁術。