3・妖弧
頂上より少し下った場所、その場所をまるで隠すように大量の木々に囲まれたある一角の土が崩れ落ち、隠れていた扉が姿を現した。
扉を開くと紐で赤子の才蔵を固定してその胸に抱いた幻十朗が出てきた。
幻十朗は「千里視」と「疾風迅雷」と小さく呟くと顔をしかめ軽く舌打ちをした。
匂いで分かったのか獣達が自分達に近づいている事に気付き右手で刀を抜き胸に固定している才蔵を左手で優しく抱えて急な斜面、いや崖に近い場所を迷い無く落ちるように一気に駆け下りた。
それは人間から見れば信じられない速さだった、が時間が経つにつれ翼をもつ鳥を筆頭に猿等どんどん幻十郎に追いつきついに嘴が、爪が、牙が幻十郎を攻撃し始めていた。
忍装束は徐々に破れ幻十朗の体からは今やかなりの血が流れていた。
もちろん幻十朗も反撃していないわけではないが対人ならまだしも大量の動物の群れは初めて、また走って逃げながらのうえ木々に囲まれた場所では刀をまともに振れない。
しかも才蔵を無傷で守る事が全ての最優先の為幻十朗は後手後手に廻っていた。
「まずいな・・・一度忍術でこいつ等だけでも蹴散らすか・・・風遁術だけしか使えんが・・・ん?」
麓近くまで逃げ続けていた幻十朗は急に逃げるのを止め後ろを振り返った。
何故か獣たちが襲ってこなくなった、いや近づこうともしなかった。
獣を見るとこっちをみてうろうろしていたり、毛を立たせ威嚇だけしたり、それはもう・・・。
「何かに怯えているのか?」
ハッとして立ち止まった獣達とは反対側に傷ついた体を引きずるように歩いていくと目の前に巨大な木がそそり立っていた。
この山で一本だけ毛色が違う木、種類も名前も分かっていない、千年樹と言われているこの山の中で一番大きく太い巨樹だった。
ただ彼が『千里視』で見つけたのはこの巨樹そのものではない。
その根に大きな穴が開いておりその中に小さな獣らしき姿があったのだ。
現状を考えれば獣である以上敵と認識すべきなのだが襲ってこなくなった獣の反応が明らかにその穴に潜む小さな何かに怯えており幻十朗は不思議と今の状況を覆す方法はこの小さな獣しかないと思った。
幻十朗はゆっくりと気配と音を消し木に近づいていった。
穴の大きさは高さ2メートルくらいの穴、穴の内部は内部全部がくり抜かれているかのような、あきらかにこの巨樹は木の皮だけで支えているほどの穴だ。
幻十朗は警戒しつつも穴の中を覗き込んだ、中にいたのは生まれて間もないのか小さな子狐だった。
ただ幻十朗は子狐を見た瞬間入り口で固まってしまった。
「まさか・・・妖弧・・・九尾の狐か?」
そこに眠っていたのは妖怪、霊獣など色々言われている九つの尾を持った狐だった。
「ふあぁ・・・あぁー!」
突然赤子は目を覚まし声を上げその声にびっくりした幻十朗は才蔵を見た。
左手で軽く押さえているので才蔵は体を左に向け唯一自由に動かせられる小さな左手を、手の甲に星型の痣を持つ手を必死に子狐に向かって伸ばしていた。
すると赤子の声に目を覚ましたのか子狐はゆっくりと顔を上げてかすかに光る金色の瞳でこちらを見つめ返してきた。
幻十朗は動けなかった。
今ならあの獣達が近づこうとしなかった理由が良く分かる。
見た目こそ小さな狐だが戦えば自分は一瞬で殺されるだろうと今までの経験と感が伝えていた。
子狐は立ち上がり幻十朗、いや手を伸ばしている才蔵に近づいてきた。
幻十朗はその子狐に操られるようにしゃがみ胸に抱いた才蔵を子狐に届くように更に身を低くした。子狐は才蔵の手の匂いを嗅いだあとまるで才蔵に甘えるように頭をこすりつけてきた。
次の瞬間巨樹の穴の中は眩い光に包まれ幻十朗は気を失った。
・・・そして幻十朗達はこの世界から完全に消えた。
「十人衆六人がかりに加え猫の手を借りて生き残ったのがたったの二人か・・・」
「すまん小太郎、まともに戦えるのが半蔵と風幻太の二人だけと思っていたがまさが最近寝たきりの先代が此処まで戦えるとは思ってもいなかった」
「それに富吉も想定外だった」
髪を短く切りそろえ中肉中背、しかしよく見るとしっかりと筋肉の付いた体つきをし、服は装束ではない町人が街中できているような普通の白い着物を来た男、そんな小太郎の目の前には唯一生き残った八助と轟之助、小太郎が連れた二匹の狼と他の獣達がいた。
周りには事切れた裏切り者の同志4人と半蔵、風幻太、禅蔵、冬月、富吉の5人に加え、庭と部屋を埋め尽くす獣達の亡骸が多数転がっていた。
八助と轟乃助の言い訳を無視して小太郎は既に死んでいる半蔵に近づきその手から刀を引き剥がそうと手を伸ばした時、周りの獣達が急に騒ぎ出しこの場所から逃げるようにいなくなってしまった。
よくみれば忍狼として鍛えられた狼も何やら怯えそわそわし始めていた。
それに気付き刀に手を伸ばした小太郎は手を引き声を荒げた。
「おい八助!轟乃助!お前ら何をしている!」
「違う!俺達じゃない!」
「こいつら急に言うこと効かなくなりやがった!」
その言葉に小太郎は2匹の狼に大人しくさせようと何か術を掛けているがまるで効いていないようだ。
しかし小太郎達は何故獣が言うことを効かなくなったかすぐに分かった。
小太郎は上からくる異質の気配に半蔵から一気に離れ二人のそばまで下がった。
それと同時に半蔵の傍らにまるで飛んできたかのように空から『それ』が舞い降りた。
三人の忍者は呆然と『それ』を見つめるも忍狼の姿はその場から消えていた。
「おい、何だこれは?」
「小太郎、この化け物お前の仕業か?」
「俺一人でこいつをどうこう出来ると思うか?聞いた事無いぞ!この山にこんな化け物がいたなんて!」
舞い上がった砂埃が消えた後巨大妖弧が半蔵の傍にたっていた。
その大きさは2メートルをはるかに超えていた。
もしかすると3メートルに届いていたかもしれない、まるで熊のような妖弧だった。
ただ何かと戦った後なのか全身傷だらけでそこから血が流れているのが見える。
更に火遁術か、火の攻撃を受けてたのかところどころ焼けたようなあともあった。
妖弧は顔を半蔵に近づけてまるで「起きて」と言わんばかりに顔、首、体、手に鼻を押し付けたり匂いを嗅いだり舐めたりしていた。
しかし半蔵はもう死んでいた。そして・・・・
グオオォォォォォォーン!!!
普通の狐とも狼、犬とも少し違う低く太い大地を轟かせる遠吠えを上げ小太郎を睨み付けた。
小太郎は遠吠えとその目に恐怖し動くことが出来なかった。
妖弧は自分が此処に来たとき小太郎が半蔵の傍にいたのが見えていた、だから半蔵を殺したのは小太郎と思ったのだろう。
もちろん小太郎が来た時には既に死んでいたのだから違うのだが生きていれば自分がやったのだからあながち間違っていない。
と、妖弧は一気に飛びかかり大きく開いた口が小太郎の首を噛み千切ろうと一瞬で喉元まで届かせていた。
しかし元といえ十人衆の一人、小太郎はギリギリ皮一枚でかわし転がりながら恐怖をかき消そうと死んだ半蔵を罵りつつ他の二人に指示をだす。
「糞半蔵ぉぉぉっ!狼だけで飽き足らずこんな化け狐も飼っていたのかっ!ふざけるなっ!八助!轟乃助!俺がこいつを引き付ける!お前らは今すぐ『魔獣支配』を解除して全力でこいつに掛けろ!」
「「わかった!」」
半蔵達に勝利したものの操っていた獣はいない、今度はたった三人でこの化け物と戦闘を続けなければならなかった。
「・・・ですか?大丈夫ですか?誰か!父は今はいないので母を呼んできてください!」
何やら周りでざわめく声と女性の声で幻十朗は気が付いた。
幻十朗はゆっくりと目を開けるとさっきまで夜だったのが嘘のように昼間の光が飛び込んできた。
まぶしさに見えなかった目が慣れてくるとすぐ傍に女性がいるのが分かった。
ただ驚くことに里があった山にいたはずなのにそこは明らかに町の中だった。
「あ!気が付きましたか?大丈夫ですか?今すぐ治癒の魔法を掛けますから動かないで」
(こ、こ、は・・・ど、こだ?・・・ま、ほう・・・そんな、事より・・・才蔵様は・・・)
顔を上げようとしたが体が思うように動かなかった。才蔵は胸に抱いていたはずだとなんとか動かぬ体に鞭を打ち必死に左手でそのあたりに動かしながら顔を上げ目を向けた。
何やらさっきから「駄目です」とか「動かないで」とか聞こえていたが全て無視していると左手が
温かく小さな何かに触れた。
目には自分が触れた者、すやすやと寝息を立てて眠る才蔵の姿が見えた、そのすぐ横幻十朗の胸右側に気を失う前に巨樹にいた子狐が同じように眠っていた。子狐はともかく才蔵の無事を知り安心した幻十朗は何やら暖かいものが体に流れてくるのを感じながら眠りに付いた。
「はぁ・・はぁ・・はぁ・・・嘘だろ?ここまでやって支配出来ない、押さえこむしか出来んとは」
「小太郎・・・札はそれ一枚しかないのか?」
「ない、元々半蔵を抑えられなかった時の為に頂いただけだ、だが・・・支配出来なくても動けなければ今はこれで良い、お前達はこのまま抑えてくれ。その間に刀を回収する」
妖狐の体に一枚の御札が貼られていた。
意識はあり小太郎をにらみ続けているが地に伏せ動けずにいた。
小太郎はそう言って疲れた体を引きずって再び半蔵の傍に行き刀を奪った、しかし小太郎は悲鳴じみた声を上げた。
「おい待て!これは妖刀じゃない!普通の刀だ!」
「なんだと?じゃあムラマサは何処に?」
小太郎は周りをゆっくりと見回した。獣達、半蔵達、共に裏切った十人衆達、そしてやっと気が付いた。
「おい、幻十朗はどうした?才蔵のガキはどうした?」
「そういやガキの姿は此処に来た時からなかったな」
「そもそも幻十朗は任務でまだ帰ってきていないだろ?」
「轟乃助、お前何を言っている?幻十朗は今日帰ってきてるぞ?」
歌舞伎のような髪、しかしまったく手入れされておらずボサボサになった髪を後ろで縛り忍者のわりには小太りでなぜか上半身裸。
また刀ではなく大小二本の斧をもった轟乃助と呼ばれた男は「え?」と間の抜けた顔をして驚いていた。
二人は、そして遅れて轟乃助も顔を合わせて妖弧を除き今何が起きているのか理解した。
「はぁ~やってくれたなお前ら・・・」
「すまん小太郎」
「すまん、俺も早く気が付いていれば・・・」
「もう良い、いや良くないが一蓮托生だ。八助」
「なんだ?」
「妖弧への『魔獣支配』は俺と轟乃助でやる、お前は逃げた忍狼をもう一度探して支配しろ、
あれは上忍とも互角に渡り合える、そこらの獣より役に立つ。お前は狼を使って幻十朗とガキを探して殺せ!」
「分かった」
「刀も回収しろよ。轟乃助は俺と一緒にこの妖弧を『あの方』の所に連れて帰る。幻十朗にもガキにも逃げられ刀も手に入らなかったがこれほどの化け物、俺らには出来なくてもあの方なら支配出来るかもしれん、良い手土産になるだろう」
その後八助は狼達を再び見つけ更に他の獣達を使い幻十朗を探索、小太郎と轟乃助は妖弧をどこかに連れ去った。
不思議な事に幻十朗探索に使った狼や獣たちは全て千年樹と呼ばれる巨樹の所まで行くのだがそこからの足取りはまるで分からなかった。
ただ巨樹の根元に空いていた穴は影も形もなかった。
・・・もし小太郎が半蔵から再び刀を取り上げようとしたときもっと注意深く遺体見ていたら、確認していたら気づいていたかもしれない・・・妖弧が現れる前にはあった半蔵の左手の甲の痣が消えていたことに・・・。
千里視・・・千里眼とよく似た術だが直接見るのではなく、こうもりが音で地形を把握するように風を流して遠く離れた場所がどんな地形をしているのか、人や動物、どんな形の物があるかを見ることができる風遁術。
疾風迅雷・・・直接の肉体強化ではなく、自分の周りを風で包み運動能力を補佐する。使いこなせないと直線で早く走れる程度だが使いこなせると急制動、急激な方向転換、跳躍力の強化、高所から降りる際の落下速度低下などが可能な風遁術。
魔獣支配・・・幻十朗達も知らない謎の術。動物を操る?。