2・裏切り
トン、トン、トン、トン・・・
静かに、だが出来る限り早く廊下を黒と言うより濃い紺の忍び装束を着た一人の男が歩いていた。
背は180近くと高く歳は20程か、少し長めの黒髪を後頭部で結び切れ長の目をした男だ。
三時間ほど前に里に帰ってきたばかりで父に言われ部屋で寝ていたところ何やら騒がしさに目覚め屋敷の主や父に何があったのか聞く為居間に向かっていた。
目的の部屋の前でひざまつき声を掛けた。
「半蔵様、冬月様、父上、幻十朗です」
「かまわん入れ」
「はっ!失礼します」
中からの声に襖を開けて部屋に入ると中に三人の男と赤子を抱いた一人の女が座っていた。
一人は40歳を超えた髭もじゃ黒装束の男、2メートル近い長身に筋骨隆々とした肉体はまるで熊のような大男、この屋敷の現頭首にして四代目半蔵(雷蔵)である。
一人は半蔵と同じくらいの歳か、普通の侍のようないでたちで白髪交じりの黒髪を束ねることなく肩まで伸ばしている。
その顔にやや刻まれた皺が歳を感じさせるが先ほど部屋に入ってきたに息子の幻十朗に良く似ていた。
十人衆総括にして半蔵の右腕、その名を風幻太。
一人は生まれたばかりであろう赤子を抱いた女は30歳ほど、短く切りそろえられた黒髪に桜柄、桜色の着物を着た落ちついた女性、半蔵の妻、冬月が半蔵のそばにいた。
一人は戸の傍でひざまつき顔も隠した黒装束の忍者で幻十朗は名前まで分からなかったが先ほど玄ノ丞と共に鳥の群れを殲滅した上忍の富吉だった。
「父上、いったい何が起きているのです?」
「どうやら鳥、いや獣の群れが里を襲っているらしい」
「獣の群れ?何者かの手によるものですか?」
「わからぬ、が正直今はありえない事が起きている事は確かだ。あれだけの数の動物を操れる者など聞いたことも無い。一種だけならただの同種の群れによる集団混乱行動・・・とでも取れるかどうかわからんが・・・確認しただけでもカラス、雀、燕、梟、トンビの他に猿、塀の外では鹿まで狂ったように門や壁に突撃している。」
「鹿!?確かに麓近くまで降りればこの山にいますが頂上にあるこの里で鹿は・・・」
原因は不明だが山の獣達、いやこれほどの数はおそらく他の地域の動物達がこの里に集まってきているのかもしれない、この里を落とす為に・・・。
半蔵は腕を組んで考え込んでいる。
そんな半蔵に幻十朗が戦うのか逃げるのか聞こうとしたとき挨拶も無く襖を開けて入ってくる者がいた。
歳は70歳以上か、白装束白髪白髭、年老いながらも背筋は伸び足腰のしっかりした老人が入ってきた。
四代目半蔵の父であり、先代三代目半蔵こと禅蔵だった。
禅蔵の手はかなり大きめの太刀と何かが入っている風呂敷を持っていた。
「今ワシの配下から報告があった。鳥や猿以外にも犬や猪も確認された。ついでに半蔵」
「どうした親父?」
「お前が拾ってきたアレ、忍犬に変わって忍狼として育てておった狼どもも暴走しておる。里に暮らしていた非戦闘員でもある下忍達はほぼ壊滅。上忍も狼どものせいで2割以上がすでに命を落としておるようじゃ」
「・・・なんて事だ・・・風幻太!十人衆はどうした?」
「七人全員が夕方からこの屋敷から姿を消している。今玄ノ丞が里内を探しているはずだがこの様子だと里にはいないのかもしれん」
現在半蔵達にとって今や里は半壊以上、最悪の状態だった。下忍達は戦闘の為ではなく武器の手入れをしたり里で必要なもの、食材や生活用品、忍具などを作ったり整備してくれる者達だった。上忍は里の実行部隊、戦闘に長けた者達で40人ほどいるはずだが今は既に30人近くまで減っている。
里最強の十人衆にいたっては風幻太、幻十朗、玄ノ丞を除いて所在不明だ。
「仕方が無い、半蔵、地下の抜け道を使いせめて赤子の才蔵は逃がせ」
禅蔵の言葉にその腕に抱いていた赤ん坊、才蔵を見つめていた冬月は一瞬だけ悲しい顔を見せたがすぐにキリッとした表情を半蔵に向けた。
「親父・・・分かった。良いな?冬月」
「・・・はい」
「幻十朗!」
「はっ!」
半蔵は立ち上がり幻十朗を睨み付けた。
「お前に任務を与える!才蔵をつれて地下道から脱出しろ!何があっても逃げ切り才蔵を守れ!」
「はっ!この幻十朗、命に代えても才蔵様をお守りします!」
禅蔵は持っていた風呂敷を幻十朗に渡した。
「幻十朗、これを」
「これは?」
「これが全てではないが忍術や体術、武具や忍具、この国の事や海を越えた大陸、西洋東洋の文化や情報、今まで里で集められた知識と情報を書いた書物、あとはいくらかの金もある。将来役に立つかどうかわからんがそれでも先代たちが世界を知ろうと長い時間と労力を使って得た知識だ・・・頼む」
「分かりました、決して誰の手にも目にも触れないようにします」
その間半蔵は一振りの刀を手に取りそれを幻十朗の前に差し出した。
「それとこれをもって行け」
「それは半蔵様のムラマサ!しかしそれは・・・」
「勘違いするな、お前なんぞにくれてやるつもりはない、一時的に預けておくだけだ」
「・・・半蔵様・・・承知しました、この刀も守り抜いてみせましょう」
刀を背中に背負い落とさぬようしっかりと結びその上から書物の入った風呂敷を背負った。
半蔵は壁に掛かったかなり大きい掛け軸外し床を何やらいじると壁が扉のように開いた。
「ああ、まかせたぞ幻十朗・・・冬月」
「はいあなた・・・才蔵・・・元気でね。幻十朗、才蔵をお願いね」
眠りつづける赤子を起さぬ様一度だけ頬ずりしゆっくりとあずけた。
「はい、冬月様」
「幻十朗!」
「父上・・・」
「死ぬなよ」
「はい!」
「行け!!!」
「はっ!」
風幻太の言葉に隠し通路をくぐりぬけた跡半蔵はその扉をすぐに閉じた。
「すまんな、嫌な選択をさせてしまった」
「安心されよ冬月殿、幻十朗は我が息子ながら里最強の修羅、あれをどうこう出来る者などおらん、あれにまかせておけば才蔵様も安泰だ」
半蔵は目を閉じて必死で我慢をしている冬月に近づきその肩に手を置いた。
風幻太も冬月を元気づけようと自分の息子の凄さを伝えようとした。
しかし返ってきた声に寂しさも苦しさもなくいつものように力強い凛とした声だった。
「ありがとう風幻太殿。大丈夫です・・・あなたの、忍びの妻になった時から命を懸けた相応の覚悟はできております」
「そうか・・・」
「そうですよ、それに・・・あなたが拉致まがいに此処につれて来てくれてからは私の毎日は幸せしかなかったのですから」
「なっ!こんな時に拉致って・・・あれは・・・」
半蔵が何やら言いかけた瞬間冷たい風が風幻太の声とともに部屋の中に吹き込んできた気がした。
「ほぅ・・・冬月殿を『拉致』とな・・・それは初耳だぞ『雷蔵』」
「いや待て風幻太!お前は少し勘違いしているぞ!ふ、冬月?こんな時に意地悪な顔で変なこと言わんでくれ」
「うふふっ、あなたが最初から何もかも諦めたような顔をしているからですよ。四代目半蔵!さっさと勝って才蔵を迎えに行くつもりでいなさい!」
いたずらっ子のような笑顔をした冬月の言葉に一瞬だけ驚き、だが気合入れるべく両頬を叩いた。
「お前の言うとおりだ・・・さっさと終わらせて迎えに行こう!おい親馬鹿幻太!外の連中を蹴散らして才蔵と幻十朗を迎えに行くぞ!」
「誰が親馬鹿だ熊蔵!良いだろう、久しぶりに大暴れしてやる。さっきの冬月殿拉致の言い訳は終わってからゆっくり聞こうか、覚悟しろよ雷蔵」
「けっ!この俺に勝てると思うなよ」
「それはこっちの台詞だ」
「はぁ・・・まさかこの歳になってまたこんな二人が見れるとは・・・」
「はぁーはっはっはっ!伊賀の雷神風神復活じゃな!」
何故か敵を無視してこの二人が殺り合おうとしている空気でお互いの顔をぶつけ合いにらみ合っていた。
富吉は顔は見えないが明らかに呆れかえり禅蔵にいたっては嬉しそうに豪快に笑った。
「うむぅ・・・なんじゃったかなあの二人を例えとった奴・・・う~ん・・・そうじゃ!あの二人にかかれば『地獄の沙汰も意味が無い』じゃ」
「おい親父!なんだそれは!」
「里の皆で言っておったじゃろ?地獄の閻魔の裁きもお前らに掛かれば無駄だからお金を払ってでもいなくなってほしいと」
「初めて聞きましたよ禅蔵様!何故私がこいつと同じ扱いなんです!誰ですか?この里でそんな事言っていたのは」
「初めて?おかしいの?あれだけワシが広めてやったのに・・・」
「お前かくそ親父!!!」
「誰がくそじゃ!!!」
今度は三すくみで喧嘩が起こると思われたがすぐに全員引き締まった顔になり廊下がある襖に目を向けた。
誰かが走る足音と遅れて犬や猿といった獣の唸り声や鳴き声、爪が廊下を削り取る音が聞こえてきた。
襖をを睨みそれぞれが刀を抜く、冬月も守られるだけでなく自分で戦えるように短刀を逆手に構えていた。
ガッ!シャァーッガン!と大きな音を立て襖が勢い良く開き一人の男、獣の返り血を浴び真っ赤になった玄ノ丞が入ってきた。
「半蔵様!風幻太!逃げろ!あいつら我らを裏切りごはぁっ!」
「玄ノ丞様!」
玄ノ丞は最後まで言えず口から大量の血を吐き胸から一本の刀の刃を生やせて絶命した。
富吉は声を上げ、がしかしすぐに主を守るかのように死んだ玄ノ丞と半蔵の間に割って入った。
冬月はこの状況にさすがに口を押さえるほど驚いたが最強の忍者達は冷静にその光景を見つめていた。
刀が引き抜かれぐらりと揺れた玄ノ丞は倒れる前に横に蹴り飛ばされ壁に激突した。半蔵たちの前には里を襲った獣であろう十数匹と6人の男達が立っていた。玄ノ丞を刺した男か、頭は丸坊主で背は175くらいか、袖の無い黒装束に身を包み大きくギョロリとした目で病的に痩せたていた。
男は刀を振って付いた血を飛ばし6人を代表するように前に出た。
「八助・・・貴様・・・それにお前達か、この騒ぎの首謀者は」
「ええ、そんな所ですよ風幻太。獣を操って里を襲わせたのは我々十人衆7人」
「七人?・・・そうか小太郎もか」
「正確には我ら六人が小太郎に従っているんですがね」
風幻太の冷たい声に全く弁解しようとしないのは完全に勝利を確信しているから、実際に十人衆の彼らが此処に来たと言うことは里にいた者、上忍達も含め全員殺されたからだろう。
三代目と四代目半蔵はほんの数秒だけ目を閉じ今までの感謝を込め散っていた里の皆に黙祷した。
再び目を開けた半蔵は八助と呼ばれた男、おそらく今は6人の代表であろうこの男に話しかけた。
「それで?八助、お前達の目的は我らの首を取り里を殲滅させる事か?」
「はい、それもありますがもうひとつ、初代から代々伝わる刀『ムラマサ』を頂こうかと思いまして」
「ほう・・・だが素直に渡すと思うか?我らをそう簡単に殺れると思うなよ」
「思いますよ!殺れ!!!」
八助の声に大人しくしていた獣達が、そして6人の裏切り者が半蔵達に一斉に襲いかかった。