111・追憶
奈落を使い穴の底を押し上げ、地中も道も、可能な限り元の状態であろうと思われる環境まで戻したロインがノイドに近づく。
「父さん、これを」と八助から渡された手紙を、今も地面に座り込んでいるノイドに渡した。広げると横に長い手紙。中身はやや太目の筆で書かれた地図らしきものと、この世界の横書きではない縦書き且つ明らかに違う文字だが、二人にとっては馴染み深い文字が目に飛び込む。
「ここまで来いって、刀とガキと一緒にって」
「ガキ扱いか……ユーティー殿、少々確認がしたいのですがよろしいか?」
「はい、なんですか?」
ロインが穴を直している間、言われたとおり砂浜や森を調べていたようで、本当に津波の傷跡が発見できず、「うわー」とか「うへー」と驚きの声を上げ続けていたユーティーだったが、声がかかり早足でノイドの元に歩み寄る。
「この手紙の地図、記憶違いでなければ南アティセラの南東の辺りを示していると思うのですが」
「ちょっと失礼します。……どれどれ」
手紙を受け取ったユーティーは大事そうに、震える手で丁重に広げていく。もちろん破ってノイドに怒られないようにする為だ。
右側に地図、左側に僅か数行の横書きではなく縦書きされた文字。
『あれ? どこかで見たような見たこと無いような』、そう心の中で呟くも残念ながら文字は読めなかったので、右側だけに集中した。手紙に描かれた少々大雑把な地図と、自分の記憶と照らし合わせていく。パッと見ただけでは分からなかっただろうが、南アティセラ南東と言われ、確かに一致している。
「言われてみれば確かに南東のヴァリーゼの砂漠みたいですが。だとすると枠に囲まれた建物は、港町であるバスクーモンの町、その下は南の海、右側にあるトゲトゲの山は、南アティセラと東アティセラを繋くギュルベイト山脈でしょうか。そして位置を示す×印、これは多分砂漠の最南東、ギュルベイト山脈の麓にある洞窟、白と黒の竜王が討伐された地下迷宮だと思います」
それを聴いた瞬間、流石のノイドも絶句した。
なんたる偶然だろうか。
妖刀ムラマサの素材を持ってきた白の竜王。
八助達が指定した場所は白と黒、二体の竜王が討たれた地下迷宮。
そしてそれだけではない。
この地はかつてもう一つの幻魔の町と、最初の妖精の森があった場所だ。
およそ100年前、今は無きカサリン王国の幼き二人の王子の暗殺により悲劇は起こった。
幻魔族の歴史では禁呪により、人間族の歴史では精霊王召喚に失敗し、この土地にあった町も、森も、そこにいた幻魔族と国王を含む全軍の命が消失した。
その後もう一つあった王国から王の血族を失い、僅かに残った貴族も力を失い、残された全てを吸収したテンタルース王国は南アティセラ全土を統一、そしてこの場所は完全に砂漠化した。
(一体何が起こっている? 八助達は私自身ですらよく知らぬこの場所を何故知っている? そもそもあの二人はどうやってこの異界に来た? どうやって神隠しに遭遇した? 妖刀が竜の骨から作られた可能性がある事は知っているのか? 白の竜王の事は知っているのか? ……裏切りも、里が滅びたのも、八助達が妖刀を欲しているのも、この妖刀、正しくはムラマサの中に宿る白の竜王、フストディークが原因ではないのか!?)
方膝を立てて座っていたノイドはゆっくりと胡坐に組み替え、左手は左足の膝に、右腕の肘を右足の膝に乗せ、深く考えこむ様に、あるいは泣きそうな顔を隠すように右手で顔を覆った。
「大丈夫!?」とロインは駆け寄ろうとするが、それは左手ですぐに制止された。
「大丈夫だ。それよりお前はユーティー殿と一緒に先に行け」
「え? でも……」
「ユーティー殿、町へ入る時、シルケイト商会の証明書となるような物を見せるのでは?」
顔を上げ疲れきった表情を見せたノイドに、「はい、一応指輪を……」と応えながら、ポケットの上から手で押さえる。「検問が必要、ならば町に入るのに多少時間がある。少し休んだらすぐに追いつく、行け」と、表情だけではなく、あまり覇気の無い言葉でもあったが、ロインは「分かったよ」と頷く。
「それじゃ、先に行くね。馬は木に括りつけておいたから。ユーティーさん、行こう」
「うん……あ、手紙は?」
「俺が預かっておくよ」
手紙を受け取り、首元を開け手紙を胸元に入れた後、馬に乗りユーティーを引っ張り上げ後ろに乗せる。
もう一度「父さん」とその背中に声をかけるが、ノイドは海に顔を向けたまま反応は無い。
言うべきか少し悩んだが、後を続けた。
「もしかすると、冷たい奴だと、最低な奴だと思うかもしれないけど、俺は平気だから」
結局無反応だったノイドを後に、馬を進めるロイン。
何のことだかさっぱり分からないユーティーは、黙っているしかなかった。
ただ振り返り見ると、ノイドは胡坐をかいたまま俯いていた。
その顔は自分達が進む方向とは逆から吹く風に、大きく揺れた長い髪に隠されてよく見えない。
しかしこの四日間、馬の上で見続けていた怖くも大きな背中、けれどその背中は今、目の前にあるロインの背中よりも弱弱しく小さい。
(さっきまであんな凄い戦いをしていたのに、どうしてかな? 今は迷子になって泣いている子供みたいだ)
「平気か……一年か……」ノイドの口から弱弱しくそう零れた。
『覚悟は出来ていた』、と言えばそれは嘘になる。
十五年と月日は確かに流れたが、神隠しと言う自分達が受けた現象に、再会と言うその可能性を捨てきれていなかった。
確かにロインが生きた十五年の歳月に、本当の家族との時間に空白は出来てしまった。
一番一緒にいたかっただろう幼き時間に、自分達の手で育てたかっただろう成長期に、幻十朗は再会させる事は叶わなかったが、それでもその空白を埋めるのは父半蔵、母冬月であり家臣の幻十朗のなすべき事ではない。
だがそれは轟之助達の登場に、完全に不可能となってしまった。
自身に暗示をかけずとも、絶望し堕ちていくのを感じた。
十五年ぶりに堕ちていきそうな自分、それを必死に引き止める。
ゆっくりと立ち上がり、背中から妖刀を外すとそれを冷たく見下ろす、その時、優しく流れていた風は突然強風に変わる。
その身にかけたままの全ての風遁術は、ノイドの心を表すように荒れ狂っていた。
装束と髪を激しくはためかせ、街道の草花を揺らし、砂浜の砂が巻き上がる。
「妖刀ムラマサ、その中にいる白の竜王よ、釈明するなら答えよ。分かるか? 私は今、お前を壊したくて壊したくて仕方がない」
しかし「だが」と続けられた言葉に、吹き荒れる風遁の風は一瞬に静かになった。
目を閉じると瞼裏に十五年前の半蔵の姿が現れ、ある言葉が鮮明に思い出される。
『お前に任務を与える! 才蔵をつれて地下道から脱出しろ! 何があっても逃げ切り才蔵を守れ!』
『勘違いするな、お前なんぞにくれてやるつもりはない、一時的に預けておくだけだ』
それは自分が見た記憶を思い出しただけだったのか、それとも妖刀の中にいる者の、竜系魔法が見せた幻だったのか分からない。
もう返す事も叶わなくなってしまった、ただロインが平気だと言った言葉に悲しくもあると同時に、まだ守るべき方がいる事が救いでもあった。
ノイドは目を開けると、どこか寂しそうにフッと笑った。
「妖刀を守り抜く事も半蔵様との約束だったな、私が勝手に決めた約束だが。白の竜王、お前を木立達に渡すつもりだ。使えぬ妖刀を欲する理由、何らかの方法で使う事が出来るのか、それとも刀を破壊する事が目的か、それとも誰かに受け渡したいのか知らぬが、もし持って逃げた時は奪い返すつもりは無い。お前の目的は分からぬが、もしお前が望まぬ結末ならば、抵抗してみるがいい」
妖刀をその背に戻し、辺りに散らばってしまったクナイを回収した後、三つに折れた脇差の所まで歩きだした。
拾った脇差を森近くの一箇所に集め腰から鞘を抜くと、それを墓標のように地面に突き立てる。
方膝を着きしゃがむと、まるで友人に話しかけるように、優しく語りかけた。
「南アティセラにも咲いているのだな。妻の、レネの好きな花だ、これでお前が寂しくなければ良いのだが。お前とは三十年近い、まだ下忍だった頃からの付き合いだったな。昨日の事のようにハッキリと覚えているよ、禅蔵様より賜った時、初めて手にした刀に心が躍ったものだ。お前には禅蔵様との無茶な鍛錬にも一番長く付き合せてしまった。あの頃から自分に暗示をかけ、堕ちなければ戦えない泣き虫だった私が、こうして生きのびて上忍になり、十人衆になれたのも禅蔵様とお前のおかげだ。……長きに渡りご苦労だった、感謝する」
馬に跨り駆け出す。小さくなっていくその姿に、タンポポにも似た黄色い綿毛の花は風も無いのに小さく揺れた。まるで折れた脇差に代わってさよならと手を振るように。