103・雷竜ケツアルクアトル
「ちょっと待ってください!」
「どうされました?」
来た時とは違い、幻覚を見る事無く数分で森を抜け街道に出た三人だったが、その直後ユーティーは大きな声を出した。
馬を止めた二人、ロインがノイドの後ろに乗るユーティーを見ると、空のある一点を見ている事に気が付き同じその方向を見る。だが昨日とは違い晴れた青空が見えているだけで何も無い。
ここは森の外、小さく千里視と千里聴を唱えるが、やはり姿の見えない何かがいる訳でもない。
気配を探るノイド、小さくなった事が影響しているのか、幸い子竜の気配は庭にいた時と違い、今は気になる程大きなものでもない。むしろ後頭部に噛み付いて器用にぶら下がっている姿は、まるで噛んで離れないすっぽんのようで見た目が気になるくらいだ。
忍術はロインにまかせたノイドだが、鳥一羽飛んでおらず警戒するような気配も無い。ただ後ろから小さな声で「出てきた」と呟くと同時に、馬が嘶き不安げに暴れだした。
二人は馬を落ち着かせていると何もなかった空中に変化が起こる。まるでそこに見えない切れ目、あるいは穴でもあったかのようにするりとそれは這い出てきて姿を現す。全身を見せたそれはゆっくりと降下し、これから進む道の正面、やや離れた所に降り立った。
突然出現したのは全身真っ白な生物。
首は長く顔、頭は逆三角形で剣の切先のように鋭い。
全長は頭から尾の先までおよそ五~六メートル程で胴体は細長い、四本足で立つその姿はトカゲと言うより足の付いた蛇に近い。
頭から尻尾の先までの上部部分には甲冑のような硬い甲羅が、まるでムカデのように一節一節連なって覆われている。
これが頭を上げず獲物を狙う猫のように身を伏せていれば、本当にムカデだと勘違いしたかもしれない。
また背中の一部分から鳥にも似た、しかし鱗のような硬質な羽根をした翼が一メートル程度と威嚇だろうか、地に降り立った後も大きく見せようと広げたままだ。
睨むように三人を見る紫の瞳を見て「なるほど、魔物か」「魔物が出現するところ始めて見た」と、ノイドとロインが感心しているとユーティーはうんと小さく頷く。
「とは言えまた初めて見る魔物だが、天使殿、いや、ユーティー殿は何かご存知で?」
「あれはケツアルクアトル。複数体じゃないことから分かるようにかなり強力な魔物で、危険視第四種、傭兵ならばエメラルド以上の実力が必要と言われています」
傭兵の実力についてはまだ完全に把握いているわけではないが、エメラルドならばサージディス達と同等、あるいはそれ以上であれば問題無く勝てると言う事になる。
相性の問題もあるだろうが、リッチやラミアと同じ第四種の魔物ならば、ロインとノイドの二人なら一対一で戦っても負けないはずだ。
「能力や弱点は分かっているのですか?」
「はい。見た目通り上部からの攻撃には強く魔法でもそう簡単に倒せません。ですが下から攻撃が出来れば簡単に倒せます。一応飛空型の魔物とは言え戦闘中、翼は飛空の為ではなく素早く動くためのものなので、上空から攻撃って事はありませんし、魔物にしては打たれ弱く生命力は非常に低いので、余程弱い攻撃魔法でない限り一撃で倒せます。例え剣でもうまく潜り込んで下から首を切り裂いてやれば、のた打ち回る暇もなく宝石化します。ただ……」
「ただ?」
「やっかいな事に雷の魔法を操るんです。離れていれば強力な雷の息の一撃が、それこそ当たりでもしたら一瞬で黒焦げです。かといって無闇に近づけば威力こそ弱いものの、雷の網が近づく者の自由を奪い動きを止めにくるんで、雷竜なんて呼ばれています。おかげで魔法無しで倒す事はちょっと厳しいですけど、でも魔法が使える僕達三人なら大丈夫ですよ」
「ほう、雷を操ると?」
この時、少しだけノイドの声のトーンが変化したのだが、ユーティーには気が付かなかった程小さな変化だった。
「はい。でもこれだけ離れていれば既にブレス一発くらい吐いているはずですが……攻撃しようか逃げようか迷っているんでしょうか?」
状況的には以前出合った二体の魔の蛇と同じなのだろうが、ユーティーの場合魔物が逃げる事もあるようだ。
「逃げられてはマズイな」
そう呟いたノイドの言葉の意味を聞こうとしたユーティーだったが、その前にまるで子猫のように首根っこを掴まれ、片腕一本で軽々と地面に下ろされた。
「え? え?」と何がどうなったのか、驚いている間に馬から降りたノイドは、同じように気付かぬうちに馬から降りていたロインに手綱を渡していた。
「見稽古にもならないだろうが手は出すなよ」
「はい」
ゆっくりと魔物に向かって歩き出したノイドに対し、「待ってください! だから無闇に近づいちゃ駄目ですよノイドさん! 魔法で攻撃しないと」とユーティーの悲鳴にも似た声に歩みを止めたノイドは、僅かに振り返り背中を見せたまま応える。
「剣で問題無い。この魔物がその程度なら雷神の足元にも及ばぬ」
「ライジン? 何言ってるんですか、それよりもまず僕が魔物の弱体化を……」
「弱体化魔法も不要。一切手は出さないで頂こうか、ユーティー殿」
再び歩き出す、真っ直ぐではなく少しずつ左側に回り込むように。
それに合わせ「ユーティーさん、ちょっとだけこっちに来て」と、右側に誘導されるユーティーは「どうしてわざわざ自分から近づくの? ねぇ、お父さんを手伝わなくても良いの?」と心配そうに聞くも、「平気平気、大丈夫」と軽く流した。
魔物の視線は僅かに左側、明らかにココとユーティーを見ていて、暫くして自分に近づくノイドにやっと目を向ける。
逃げるのではなく戦う気になったケツアルクアトルは小さく口を開けた。
僅かに開いた口からは鋭い無数の牙と、長く血の様に真っ赤な舌が見え隠れした。と小さな光りが喉の奥から発生する。線香花火のようにパチパチと弾け、しかし線香花火とは真逆に光りは口の中でどんどん大きく強くなっていく。それは空を走る雷すらも凌駕する一本の巨大な雷が、歩いていて近づこうとするノイドに向けて吐かれ辺りは真っ白に包まれた。
「ここまでこちらの思った通り完璧に動かれると、逆に勉強にもならないな」
地面に落ちた細いトカゲの形をした宝石を掴むと、大きい動作でユーティーに向けて投げられた。
弧を描くように高くゆっくりと飛んでいく宝石、突然自分に向けて投げられた物を焦ったようになんとか両手で掴むと、「あの思った通りって……それにこれ……」とユーティはどうすれば良いのか反応に困っている。
「金銭の類は私達幻魔にはほとんど必要としない。商人であるユーティー殿に活用していただきたい」
「そうですか、そうですね、この仕事の資金として使わせて……いえ、そうじゃなくて!」
ニコニコと微笑んでいたユーティーだったが、すぐに半分は怒ったように、半分は困ったような表情になった。
「何を考えているんですか、魔法も使わず正面から近づくなんて。と言うかあなたは一体何者なんですか? まるで攻撃してくれと言わんばかりに無用心に近づいたり、直撃直前にしゃがんで躱したり、その姿勢のまま一瞬でケツアルクアトルの真下に潜り込んだり、あんな姿勢から剣で切ったり……」
「もしかして父さんの動きが見えてたんですか?」そうロインが尋ねると「一応」と頷いた。
そして先ほど見たとても戦闘とは言えない、ノイドの一撃を思い出す。
ただ歩いて近づくノイドに対し、ケツアルクアトルはノイドに向けて雷の息を吐いた。
身を屈め雷の直撃を回避したノイドは、その背に通過する雷を残したまま当たらぬよう、地を滑るように僅か数歩で魔物の首の下に潜り込んだ。
片膝をついたあまり良いとは言いがたい姿勢、鞘から剣を抜くと言うより剣から鞘を抜きさるような抜刀、斜めに切り上げられた刀は首と胴体の境目を切り裂き、上部の硬い甲羅は節となる僅かなすき間を通して見事真っ二つに切断された。
二つに分かれた後、雷の息を残したまま宝石化した魔物。
結局ケツアルクアトルは誰に、どのようにして殺されたのか、それどころか最後まで自分が死んだと気が付く事はなかったんじゃないだろうか、ユーティーにはそう見えた。
雷の息も妖精の森側の木に当たるも、結界に阻まれ森を破壊する事無く消失していた。
「あの動きはとても幻魔族とは思えない。それどころか妖精族や人間族でも魔法の補助があって出来るかどうか……。魔法も使わず、しかも剣だけで倒したノイドさん、あなたは本当に幻魔……なんですか?」
困惑、不審、疑念、そんな訝しむような、複雑な表情をノイドに向けたが、それを受けたノイドは多少演技じみた、オーバーリアクションで半分驚き半分呆れたように返した。
「私が幻魔かどうか? 神族ともあろう者が人間族と同じおかしな事を言われる」
「おかしな事?」
「確かに私達幻魔族は、他の種族と比べれば身体能力は低い。だがそれは多くの者が、であって種族全てがそうとは限らない。人間族や妖精族を見れば分かるはず、魔法が苦手とする人間族の中にも剣や武器を手にするより、魔法に長けた人間は存在する。剣や弓、魔法が得意とするエルフの中にも、剣や弓より槍や他の重い武器が得意だったり魔法が苦手だったりする者も存在する」
人間の得手不得手はノイド自身がよく知る事だが、エルフの話はテノアに住むドワーフ、ゴーダンとトトから聞いた話だ、同じ妖精族が言う事なら間違いなく事実だろう。
「それと同じく、私達幻魔もごく僅かだが剣が得意、使える者もいるのですよ」
「そうなのですか?」そう驚いたユーティーに、「本当だよ」とロインが話しに割って入る。
「実際に北アティセラにあるテノアとサザイラじゃ、けっこう剣を使える人がいるし、その内十数人程はスケルトン相手なら、二~三体同時に魔法無しで戦っても勝てる実力者もいるよ。もちろん力と体力の弱さもあるから、使う武器や時間に制限があったりするけどね」
「で、でも、だからと言って三人もいるんですよ、無理して一人で戦うのはどうかと思います。雷の息だって運よく躱せたから良かったものの、もしノイドさんに何かあったら……残されたロイン君だって……」
そこまで言ったユーティーの方が悲しむように、困ったように口を閉ざしてしまった。
そんな彼の言葉の続きを少しだけ待ったが、下を向いてしまったユーティーはジッと地面を見つめ動かない。
その姿は何故か言った本人の方が何かを我慢している、二人にはそう見えた。
これ以上続きを待っても何も言わないだろう、そう感じたノイドはため息を付くと「どうもユーティー殿はまだ大きな勘違いもされているようだ」その言葉に「勘違い?」とやっと顔を上げ反応を見せる。
「ええ、勘違いです。運よく躱せたのではなく、ちゃんと見て躱したんですよ」
「ノイドさんも……見えていた?」
「全て見えていましたとも。視線をあなたとココから私に向けた瞬間から、息を溜め、私に向け雷の息を吐いた。それは私の上半身を消し炭にする程の雷の息、それゆえ私はしゃがんで回避した。これがもし全身に直撃する広範囲ならば、しゃがまず左右どちらかに大きく躱せば良いだけだ。後は雷の息を逆手に取って目くらましにした私は下をすり抜け一撃を、雷竜は私を殺したと思い込み油断を、こちらの思い通りに向こうが動いてくれた、ただそれだけの事」
「思い通り、それだけって……まさかケツアルクアトルがそう動くよう操った?」
「それこそまさかだ。操ったと言うより雷竜の殺意を信じたと言うべきか。威嚇でもなければ近づくこちらの動きを止めようとした訳でもない。雷竜は私を確実に殺しに掛かった、だからこそ頭と心臓を狙ったと分かっていた。そして何よりも魔法の雷と自然界の雷は全くの別物である事だ。雷竜は私を狙ってブレスと呼ばれる攻撃をした、先ほど言ったように狙ってね、だからこそ回避に成功した。これがただの自然界の雷だったなら私自身が避雷針となって、いくら避けようとも曲がって直撃していたでしょうね」
幻魔族でありながらどうして、魔法で勝率を上げようとしなかったのか。
本当に危険ではなかったのか。
ノイドにとってたいした事ではなかったのか。
初めて見聞きした魔物にも拘らず戦う前から勝つ方法を見つけていたのか。
思った通りに動いてくれたと言っているが、思った通りじゃなければ死んでいたのではないのか。
死が怖くないのか。
自分が知る常識を超えたノイドにどう応えればいいか分からず、助けを求めるつもりでロインを見た。
挑発しているようなノイドに余程困っていたのか、それとも自分の意見を伝えた事に対し怒られたと思ったのか、その目に涙があふれ出していた。
「えーっと、父さんは幻魔族の剣の師匠だから、精霊召喚が出来る母さんやお爺ちゃんが認める程の実力者だから、ちょっと強い程度の魔獣や魔物なんて相手にならないよ。あと一応言っておくけど父さんは別に怒ってないからね」
どうやら後者だったらしく、小さな声で「よ、良かった」と安心し、ホッと胸を撫で下ろした。
同時にユーティーの後頭部で小さく揺れるホイップ、いまだぶら下がったまま子竜は、スヤスヤと寝息を立て器用に眠っていた。