102・無効化魔法
「いえ、とんでもありません。それよりも兵士長と副長のお話から考えるに、これは外から焼かれたのではなく中から、体の内側から火を点けられた、ならば燃える何かを生前飲み込んだ、あるいは飲まされた、そう言う事でしょうか?」
「飲んだあるいは飲まされたか、それもありうるか。だとしてもそれで何を飲まされたのか分からんが。だがどうかな、表面も同等に焼かれている……先に体内が燃やされ後から直接火を点けられた? あるいはもしや……いや、それは流石にまさかだな」
何かに気付き、しかし歯切れの悪いアズミスに「何か心当たりでも?」と副長が聞くと「これはあくまで仮説だが、もしかすると精霊系魔法による攻撃かもしれんな」そう自信なさげにそう呟くアズミスは羊皮紙の上に手を置き、指先で問題の文字の部分を軽くトントンと叩く。
「ですが先ほど『火の攻撃魔法を受けて燃やされた訳でもない』と仰ってませんでしたか?」そう聞いた兵士を見たアズミスは小さく唸り、その唸り声に兵士はその身を硬くする。
「お前……確か農家の生まれだったな?」
「はっはい、小さい頃は母に代わって父をよく手伝っておりました」
「ふむ、ならば雨が降らなかった時こう考えた事は無いか? 雨がまとめて降らない、農作物は育たない、それどころかこのままでは駄目になりそうだ、なのにどうしてこの国は魔法士を使い水の魔法で助けてくれないのだろうか、と」
「あっ! ありますあります。子供の頃ひと月以上雨が降らなくて、一度だけヤバイなぁって思った事ありましたよ」
「実はな、その考えは大昔からあって実際魔法で農作物を守ろうと、行動をしたことはあるんだ。総動員、当時の国全ての魔法士と魔法使いをかき集め水の魔法を使った。だがそれは全て無駄だったのだ」
「無駄? どう言う事ですか?」
「なら少しその事について聞かしてやろう」
これは大昔、千年以上も前にあった事だ。一部の村や町ではなく南アティセラ全域で長く雨が降らなかった時期があった。
そこでまだ小国だった当時のテンタルース国の王は魔法士達を集め、水の魔法で作物を救おうと行動を起こした。
と言ってもいきなり大量の水を出してはそれはただの洪水だ、枯れる前に全て水に押し流され破壊されてしまう。
だからこそ一つの畑に百人近い数の魔法士が集まり少しづつ少しづつ慎重に、それこそ一人につきコップ一~二杯分の水を魔法で創り出しゆっくりと作物と土にかけられていった。
時間もかかり魔法士達の負担は普通に攻撃魔法を使うよりも大きかった。
だが努力のかいもあって畑は潤った、生き返った、成功した、そのハズだった、だが努力は全て水の泡と消えた。
水気を含んでいた土は一瞬で次々と乾き、最後は元に戻った、魔法を使う前の状態に。
それは自然蒸発なのではない、魔法で創られた水は時間経過と共にその効果を消したのだ。
この時気付く、元から存在する水と魔法で創られた水はまるで違うものだとな。
幸い数日後に雨が降り一部は間に合わなかったが、それでもほとんどの作物は育ち無事に収穫された。
その後農作物、木や花に魔法の水だけを使って育てる、そんな実験もあったらしいが一度も成功していない。
「そんな事が……ですが魔法で農作物を救おうとするのと、今回発見された焼死体とどう関係が?」
兵士の疑問はもっともだ、昔話を聞いた限りどう繋がっているのか副長にも分からない。もしこれが火の魔法で焼き殺された後、焼け跡が完全に消えた普通の死体になったのならまだ理解できる。だが焼死体は焼死体、火の痕跡は消えていない。
「さっき話したものとは少し違うが魔法を使った実験は他にもあってな、昔戦争で自分達の国が勝てるように、新しい記憶だと魔法を得意とした幻魔族と戦う為になんとか魔法を強化出来ないか色々やったそうだ。最初は簡単な弱い魔法に大量のマナを注ぎ込んだ方法、あるいは注ぎ込むマナは変えず代わりに時間をかけ、何重も詠唱を重ねた強化魔法だった。しかし多少の効果はあったがマナを倍に、時間を倍に掛けたところで威力が倍になる訳ではなく無駄が多かった。そこで同属性の魔法同士をかけ合わせた魔法、異なる属性同士をかけ合わせた魔法、精霊系と信仰系をかけ合わせた魔法、俗に言う合成魔法が誕生した。更に実際にある物と精霊系魔法をかけ合わせた触媒魔法なんかも一番簡単に強化が出来て有名だな。他にも先ほど話した経緯がきっかけで、強化するだけではなく特殊な魔法も考えられた。それが今回の事件、焼死体の状態を作るのに一番近いのではとそう思われる魔法が『無効化魔法』だ」
「無効化魔法……一体どのような魔法なのでしょうか?」
「そうだな、例えば敵味方混戦している場所に広範囲の火の攻撃魔法を撃つとしよう。普通なら範囲内全員が炎に包まれるが、無効化魔法が成功すれば敵だけが燃え味方は火の影響を一切受けない。他にも壁の後ろに隠れて矢を射ってくる敵相手でも、この無効化魔法があれば壁をすり抜け直接敵に魔法を当てる事が可能だ」
「物体をすり抜ける魔法……なるほど、確かにこの無効化魔法なら皮膚や筋肉をすり抜け臓器だけを焼く、謎の焼死体は作れる可能性は高そうですね」そう感心していた副長であったが、「もっともこの無効化魔法を発案してから数百年、誰一人として未だ成功には至っていないがな」そう言ったアズミスはお手上げだと言わんばかりに両手を上げていた。
「数百年誰一人として成功させていないのですか?」
「ああ、だからまさか本当に出来る者がいるなど信じられんだろう」
「人間には無理、ならば魔法に優れた幻魔族かエルフやスプライトのような妖精族か、あるいは兵士長がおっしゃるように海の向こうの大陸、異形の怪物の仕業でしょうか?」
「さあな。……実は町に戻ってくる際、途中までキーリン様と一緒だったのだが……」
急に声のトーンを落としたアズミスに「何かあったのですか?」と、副長もトーンを落とし聞く。
「妙な者に出合った」
「妙な者、ですか?」
副長と兵士は一度目を合わせ、再びアズミスを見る。
アズミスの話によれば王都からこの町へ帰還中、道から少し離れた川で魚釣りをする黒い人物をこの国の剣聖の一人である『レオ・キーリン』とアズミスの二人だけが気付いた。
馬から降りたレオは一緒にいた兵士長はもちろん、彼直属の部下である騎士達に「絶対について来るなと」注意を促し、一人釣りをしていた人物に近づき話しかけた。
不思議な事に黒い人物は、兵士達も騎士達もこの時やっと気が付いた程存在感のない人物だった。
しかしフードを深く被った黒マントの人物はレオの呼びかけを無視、一目で実力者であり危険人物であると見抜いたレオは問答無用で背中から切り捨てようとしたが、黒い人物は背中に目でも付いてるのかと思わせるほど、あっさりと剣聖の一撃を避けた。
そこからレオの怒涛の攻撃が始まるのだが、信じられないほどの身軽さで剣を回避、魔法さえも魔法で対処され、最終的に一方的なレオの攻撃を全て躱し、謎の人物は一度も攻撃する事無くレオから逃げきった。
レオはこの怪しい黒マントの追跡と報告をする為に騎士達を二手に分け、アズミスは残された数人の兵とこの町に戻るとすぐ、門にいる門兵と町を巡回する衛兵に警備の強化を命じた。
話を聞いた副長は「南の剣聖の攻撃を捌ききり、逃げるなんて信じられません」と絶句していた。
「いくらいつもの大剣をエスノフ様と交換していて本調子ではなかったとは言え、あそこまで剣も魔法も通用しないなぞ同じ剣聖でも妖精族でもそうはいないはず。もしかするとあの妙な者こそ焼死体を作った犯人かもしれんと言う訳だ」
「それで町に戻ってすぐ警備の強化を命じたのですね」
「そうだ。とは言えあの黒い奴ではただの兵士では手に負えん、それらしい者を発見しても手は出さずに監視と報告だけ、そう徹底しておけ」
「分かりました」
(まぁ、まるで気配を感じさせん、男か女か種族も分からん奴だ、いても誰も気が付かんかもしれんがな)そう心の中で呟く。
話は終わったと「ところで兵士長、先ほどの話で気になる事があるのですが」と兵士が割り込んできた。
「なんだ?」
「魔法実験の話で合成魔法と言うのは傭兵の間でも使われているのでなんとなく分かるのですが、触媒魔法でしたか、有名と言う割には自分は初めて聞くのですが……実際にある物を使ってとは一体どんな魔法なのですか?」
「ある意味合成魔法と同じだ。火の魔法なら蝋燭の火や焚き火など実際に燃えている物を触媒として利用するのだ。水の魔法なら川や湖を、地の魔法ならそのまま地面などだな。何も無い無から作られるマナだけの魔法より、実際にある物から派生する魔法の方がより強力になる、それが触媒魔法だ」
「そうでしたか、無知ですみません」
「気にするな。魔法士でもないのに知らなくて当然、これは一応国家機密だからな」
しれっと言うアズミスの言葉を理解できず、時間を掛けて理解した二人は唖然とした顔で固まる。
「国家機密……ってこれ私達に話してマズイのでは?」と副長は冷静のようで若干顔を青くし、「だだだだいじょうぶなんれですかっ!?」と若い兵士は口を噛むほど怯え切っていた。
「構わんし大丈夫だ。私から言わせれば信仰系魔法の契約方法もそうだが、そうやって何でもかんでも秘密にしているから成長せんのだ。もっと多くの者に教え、色々の意見や情報を取り入れる、そしてまたそれを多くの者に伝える、それで国は進化するのだ。大体合成魔法とてそうだ、いつの間にか傭兵達が自分らだけで研究し使っていたと言うではないか、そのうち他の魔法も勝手に見つけるさ。それに……」
アズミスはニヤリと笑みを浮べ、「誰彼構わずに話さないとお前達の事を信用しているからな。仮に他で誰かに話したとして、もしそれで問題が生じたとしてもそれはお前達ではなく全て私の責任だ、安心しろ」
自信を持ってそう言ったアズミスに「……兵士長」と二人は感動する。
アズミス・エルガ、よく知らない者は見た目の第一印象で彼を嫌う者は多い。だが部下を信頼し、部下の失敗は己の失敗だと言い切るアズミスに、直属の部下になって彼を好きになる者も多い。