101・謎の船と焼死体
テンタルース王国王都の南にある港町バスクーモン。王都より帰還した兵士長アズミス・エルガは馬から降りるや否や、水風船のような丸い身体を揺らしながら自分専用の部屋である兵士長室に向けて早足で歩き出す。
アズミスと初めて出合った者は、正直良いと言い難いその蛙のような容姿と口と態度の悪さに、第一印象で嫌う者は多いそんな男だが、剣聖に匹敵するほどの剣と魔法を使いこなす実力と、その生真面目さに彼を尊敬し信頼する部下も多い。
すぐ後ろから鍛え抜かれた肉体を持つ武人らしい副長が、その後方にアズミスの付き人であるまだ若い兵士が付いていく。
「戻られてすぐ警備の強化を命じられていたようですが何かあったのですか?」
「後で言う。そんな事より先に例の報告を」
「分かりました。詳しい事は資料にまとめておりますが歩きながら簡単ですが報告させていただきます」
小さく頷いた兵士長を確認し副長は言葉を続けた。
「事の発端は四日前、町の近くの浅瀬に一隻の船が漂着しました。今も尚調査中ではありますが現在分かっているのは、その船がどこの国の船なのか一切不明で分かっていません。東西南北どれにも当てはまらない帆船で、魔具で動かせるような新型ではなく昔の旧型に近い船であり、人を運ぶ客船でも軍用船でもなく、恐らく漁師などが使う漁船、しかも長期間漁をする為の船ではないかと思われます。ただ船内には情報となりうる道具の類はもちろん、生活する為の家具の類が一切ありませんでした。これは情報隠滅の為に処分されたのではないでしょうか。その中で唯一発見できたのはその船の乗り組員、漁師であろう八つの男性の焼死体だけです」
「その焼死体の種族は分かっているのか?」
「はい、少なくとも幻魔族の証の一つである紋様の痕らしきものは確認出来ませんでした。焼死体は人間である事で間違いありません」
「実は妖精族、あるいは妖鬼族である可能性は?」
「妖精族特有の体格と耳ではないので妖精族ではありません。また頭にはツノは一本も生えておりませんので妖鬼族とも違います」
兵士長室に着いたアズミスは扉を開くとズカズカと入っていく。部屋の中はそれほど広い作りではなく、中央に接客用の大きいテーブルとソファー、奥に仕事用に年季の入った古い机が一つぽつんとあるだけ。
個人的な所有物も無ければ仕事に不必要な物は一切排除した簡素な部屋だ。
机に合わせた古い椅子に太った身体を乗せると、ミシミシと軋む音が部屋に響き今にも壊れそうだと二人はいつも緊張する。
椅子にも心配する部下にも気にもせず、机に置かれた十数枚の羊皮紙を手に取り目を通していく。その間副長は姿勢を正し机前に立つと資料を読み終えるまで無言で待ち、兵士は壁に背を向け待機している。
読み終えると小さく息を吐き、資料を机上に無造作に放り投げると両手を組み、あごを上に乗せバラバラに散らばった羊皮紙を睨む。
「まったく厄介な、これでは何も分かってはいないではないか」
「はい」と副長は渋い顔を見せる。
「まず船は帆船、帆を広げたままだが当時この海域では無風。仮に海流に乗って来たとしても東アティセラから来た可能性は高いが西は無理か。海流についても当時潮の流れに変化が無かったか、魚人族より直接確認した、間違いないな?」
「はい。流石に海の底にあると言われている魚人族の国には行けませんので、この町の漁業に関係している魚人たちより聞いています。最近どころかこの数千年、海流に変化があったことは一度たりともありません。これは一度海底に戻り再度確認をしてもらっていますので間違いの無い情報かと」
この海域近くに住む魚人族は半人半漁であり、人間族から見れば異形の姿である魚人族は、内陸部に住む人々から見ると恐ろしく感じる姿である。しかし古い時代からこの町の住人、特に漁師達と魚人達は非常に仲がよく、この町にとっては魚人族は親しい隣国、貿易が行われるほどの関係で妖精族と同等、あるいはそれ以上の信頼関係が築かれていた。
「竜王が絡んでいるなら間違いないだろう」とアズミスはぽつりと小声で呟く。あまりにも小さかったので「何か仰りましたか?」と副長が確認をしたが、「何でもない」と組んでいた両手を解くと片手を左右に振り今度は腕を組み頼りない背もたれに身体を預ける。
再び軋む音が響き副長と付き人に緊張が生まれるが、兵士長本人はいつ壊れてもおかしくない椅子をまるで気にしていない。
「だとするとこの船は一体どこから、一体どうやって来たのだろうな。まさか『人力で漕いできた』なんてありえんしな。」
「もしかして海獣に船を牽かせたりとかあるんでしょうかね」と、何気なく今まで黙っていた兵士が冗談めいた口調で口を挟んだ。
海獣とは海の魔獣で魚人族の情報では、海の生物も魔獣化するとの事。その生態は地上の魔獣と同じであり、マナを欲し同じ海獣や精霊系魔法が使える魚人族を襲うと言う。当然魔獣同様飼いならす事は不可能だ。ところがアズミスは「人の手が駄目ならその手もあるか」と一人納得し、「いえ! 冗談ですから」と兵士は慌てて訂正を付け加えた。
「分かっている。海獣以外の怪物に牽かせたと思っただけだ」
「怪物ですか」
アズミスはとある大陸の話を語った。
東アティセラより更に東、東の海には別の大陸があると昔から言われている。
ただこことは明らかに異なる大陸で、魔物のような異形な化け物達が文明や国を持って暮らしていて、その大陸では人間族は家畜や食糧、人間が平穏に生きていけない地獄のような恐ろしい大陸だと、そんな噂があると語った。
突然現れる魔物はこの地から召喚されているのでは、そう言う者も少なくはない。
造船の技術が上がってから東の海や他の大陸を探そうと海を出た者達が数多くいたが、誰一人として帰ってきた者がいない為無事たどり着いたのかどうかも、そんな大陸が本当にあるのかどうかも不明だと言う。
「もっとも人間が家畜や食糧、そんな話が生まれたのも誰一人帰ってこなかったらそう噂する者がいただけで、真実は海流のせいで船が沈没しただけだ。その証拠に魚人族から聞いた話の中にも、魚人ですら超えらない海域海流が無数に存在し、超えようと無理をして溺死する魚人すらいる。とは言え本当にどこかの海に私達も行けない別の大陸があったとしたら、この謎の船はそこから来たのかもしれんな」
「しかしそれだと逆に海流のせいで異なる海からこの大陸に来る事は不可能なのでは?」
「かもしれんが向こうにはさっき言った海獣とは異なる海の化け物がいるかもしれんだろ。海流を越えられる怪物がいるかもしれんしいないかもしれん。もしかするとこちらから越えられなくとも、向こうからなら一方的に通ることが出来るかもしれん。自分達がそうだからと言って他所もそうだとは言い切れん。それとも何か? お前は自分が出来ない事はこの私も何一つ出来ないと言いたいのか?」
ギロリっと睨まれた兵士は「いえ、自分が間違っておりました。兵士長の仰るとおりです、申し訳ございません」と、深々と頭を下げた。
「ふん」と鼻を鳴らしたアズミスは再び資料に目を向け、「船がどこのものか引き続き調べろ、副長」と静かに命令を出すと「はっ!」と背筋を伸ばした。
何枚かの羊皮紙に目を通しうち一枚手に取った後、「問題はもう一つ、焼死体か」とゆっくりと息を吐く。
「いや、正しくは一つで二つか。一つはこの焼死体が他の場所で焼かれたものではなく、船上で焼かれたもの……か。しかしこれは本当なのか? 船上で燃やされていながら木造の船には全く燃え移っていないと書かれているが」
「はい。火の勢いはそれ程強いものではなかったのでしょう、焼死体があった場所にはそこで燃やされた痕跡を見つけております。状況から別の場所で燃やされ後から船に乗せたわけではありません」
「どのような木が船に使われたのか不明、しかしどう調べてもよく燃え、決して燃えにくい材質と言う訳でもなしか。そしてもう一つ、焼死体を解剖、臓器の類は身体の表面と同等、あるいはそれ以上に臓器の方が焼き尽くされていた」
「その報告を聞き自分も信じられなかったので他の焼死体を調べる際自分も同席、直接検分したのですが全て同じ状態でした。また身体にはどこにも外傷らしきものは確認出来ず、生きたまま火に焼かれた可能性があるかと。いったいどのような方法で燃やしたのか……」
「これが正しければ油をかけられて直接火を点けられた訳でも無ければ、火の攻撃魔法を受けて燃やされた訳でも無い。考えられるのは信仰系魔法だが、そのような魔法があるなど聞いたこともないしな」
アズミスは目を閉じ「んん~」と唸っている。そんな唸り声を聞きながら再び兵士が質問をした。
「焼死体なのに内臓が焼けているのはそんなにおかしい事なんですか?」
「おかしいに決まっているだろうばか者。焼死体は種族も性別もちゃんと分かる程度の火力でしか焼かれていないのだ、だとしたら臓器が黒こげになる程焼けるなど不可能なんだよ。例えば肉料理の焼き加減を頼む時にもあるだろ? 表面はこんがり中は血も滴る生、あれを想像すればお前でも分かるだろ」
アズミスの何気ない例えに副長は顔をしかめ、「兵士長、いくらただの兵士である自分達程度に大きく分厚い肉が食べられるほどの給金を貰ってないとは言え、さすがに人間の焼死体を食べ物で例えるのはどうかと」と副長の指摘に対し、「そうだな副長、お前の言うとおりだ、二人ともスマン」と机に両手を付き頭を下げ謝罪した。