100・操る者と操られる者と100年の記憶
ニーナを寝かしつけた後、応接室でクレオはユーティーの向かい側のソファーに座り、三人が妖精の集落に行っている間の内容を伝えていた。
「お酒が手に入らなかったと言う事で馬車は外し馬二頭で走れるようしておきました。それと今回の一件、ジークさんにも事を伝えましたので前もって船の手配や準備をしてくれていると思います。港まで行けばあとは船に乗るだけで十分でしょう」
「何から何までありがとうクレオ。本当にクレオがいてくれて助かるよ」
「いえ、私は連絡をしているだけでジークさんがほとんどして下さりますから」
クレオの言うジークとは、かつてシルケイト商会の二代目会長の秘書だった男だ。現在は王都チェノアで活動、会長代理として全ての運営を任されている人物で、商会の中でもっとも信用、信頼されており定期的に、あるいは緊急で何かあった際に鳥を使って手紙を飛ばし連絡を取り合っていた。
連絡用に使われている鳥は非常に速い飛行速度を持つ小型の猛禽類。他の鳥にまず襲われる事もないし、例え襲われても確実に逃げ切り、馬でも三日以上掛かる距離を僅か数時間でジークの元にたどり着く事が可能。準備の為に既に行動を起こしている事だろう。
「それよりも……」とクレオは鋭い目をユーティーに向けている。クレオが持つ感情は決して自分に向けられたモノではないと分かってはいる。しかし気の弱いユーティーは「わ、分かっているよ」と、出た声は恐怖に震えていた。
「えっと、まず二人の目的は人探し。ミスリルとお酒に関してはどうやら探してる人がドルヴァンさんと知り合いだったらしく、どうやら妖精達とも関係していて最長老も知っている人らしいから、この町に来たのは別におかしくないみたいだよ」
「そうでしたか。そう言えば……」
クレオは二人が人間の町から逃げてきた幻魔の親子がいると、その事で何か知らないかと聞かれた事を伝えた。
「うん、その人なら実際に会ったよ。目的の人には出会えなかったけどね。ただクレオの思った通り、テイザーさんの名前も大賢者の事も二人の口から一度も出なかったよ」
「やはり……あの後テイザー様に確認しましたがあの二人、まだ挨拶に行っていません。どうやらこの町に来てすぐこちらに来ているようです。それとノイド・テノアと言う名の男は十六年前には存在しません。あの男は怪しすぎます、また何が起こる前に先にユーティー様の力で問い詰めましょう」
北から来た二人の幻魔にすぐにでも噛み付きそうな勢いで立ち上がったクレオだったが、優しく諭すように、若干怯えも含まれていたがユーティーに止められた。
「何故です? そもそもあの男は服装と魔法武器ではなく刀剣の類を持ってる時点でおかしいと分かっていたはず」
「いや、それがそうでもないんだ。ドルヴァンさんが美術用ではなく実戦用としての刀を作っていたのは僕も知っているし、ノイドさんの持ってる物って探してる人とドルヴァンさんと二人で作った物らしいんだ。もしかするとその人を探す為の証拠の品として持ってる可能性もあると思うんだ。実際にあの変わった服装と刀を見て最長老達もノイドさん達が何者か気が付いていたみたいだしね。もちろん二人で複数本、持つ必要なんて無いと言えば無いんだけど……ところでクレオはさっき言ってた集落に住んでるマリオンさんと、多分外から来たタダナリさんて人の名は知ってる? ノイドさんはどうもこのタダナリって人を探してるらしいんだけど」
「マリオン、タダナリ……」声に出してその名前に覚えがあるか、暫く考えていたクレオだったが首を横に振る。
「いえ、どちらもありません。人間の村から逃げてきたと言うマリオンさんの事は二人からも聞かれましたが、そんな方が森にいたとは今日初めて知ったほどです。タダナリと言う名も初めて聞きます。ただ変わった名前ですし東アティセラから来た方でしょうか」
「そっか……よしっ!」と勢いよく立ち上がったユーティーはクレオを見て、「もう一度最長老の所に行ってくる」そう言って扉前まで移動しようとしたユーティーだったが、すぐにその動きを止める。「……クレオ、直接アイツにも聞いてみるよ」若干恐る恐る、そんな感じで小さく呟き振り返ったユーティーの目に、「げっ、アイツですか」と美人が台無しなくらい心底嫌そうなクレオの顔が映る。
「問い詰めましょうと言った私がこんな事を言うのは何ですがわざわざ聞く必要無いと思います。テイザー様が知らないのですからアイツも知らないのでは? 当時の記憶は共有していたのですから」
「確かにアイツに操られていたおよそ百年の記憶はテイザーさんも覚えているよ。でもそれは操られてどんな行動をしたかと言う記憶だけで、アイツ自身との記憶を共有していたわけじゃない。それ以前の記憶はアイツしか知らないから、ノイドさんやタダナリって人がテイザーさんより以前に関係していたなら、テイザーさんが知らなくて当然だよ。それにノイドとタダナリ、この名前を知らないだけで別の名前なら覚えがあるのかもしれない」
「偽名! なるほど、嘘が分かる最長老、そう言う訳ですね」
「そう、でも二人の名前が嘘と分かっても本当の名前が分かるわけじゃない、そこで……」
ユーティーが両の手のひらを上に向けると黒い闇が出現、闇は長方形の形をとり額縁に入った一枚の人物画に変わる。描かれた人物は二人、ノイドとロイン。ただ実際に描いた絵ではない為か、二人の姿は絵と言うより写真に近い。
「タダナリって人の顔は分からないし、ロイン君はそんな年齢じゃないと思うけど一応、ね。あとついでに」
人物画を消し代わりにソファーで眠るユーティー自身を創る。かなり精巧でよく見れば寝息を立て胸が小さく動いていた。
「大丈夫だと思うけど、もしノイドさんが起きて部屋にきたらこれでうまく誤魔化しておいて」
「分かりました」
技術も無ければ特に意識もしていた訳ではないが、ユーティーは気配も無く外出した。とは言え警戒していたノイドに気付かれる事なく外出が出来たのは、庭で眠る子竜が一役買っていた事に知るよしも無かった。
「それじゃ行ってきます」
「はい、いってらっしゃいませ」
「……」
翌朝玄関前、二頭の馬の手綱を引くロインとノイドの前で、ユーティー達三人は挨拶を交わしていた。ただニーナだけはクレオの後ろで、ココにだけ寂しそうに手を振っていたのは少々ユーティーが可愛そうだったが。
移動用の馬と途中で食べる食事以外、準備も持って行く物もユーティーには何一つ無い。服装も旅に合っているとも言い難い昨日と同じ服だ。基本必要な物は自分で創るから不要との事。ノイドが『商人は偽物は創らないのでは?』となんとなく聞いたものの、それはあくまで売り物だけ、自分個人で使用する分には気にしないらしい。だが必要な物を必要な時だけ確実に準備、使用出来ると言うのは長旅にこれほど便利な事はない。
「それでは天使殿、行きましょうか」
「はい、お願いします」
馬に乗れないユーティーは昨日と同じ、ノイドの後ろに乗りロインは一人で乗る事になっている。一人で乗れないユーティーは差し出された手に自分の手を預けた時、ノイドと近くにいるロインがあらぬ方向に目を向けている事、しかもほとんど感情を見せないノイドが驚いている事にユーティーは驚いた。そして二人の視線を追って目を向けた時、ユーティーはそれ以上に衝撃を受け固まってしまう。
視線の先にいたのは家の裏庭からやってきた黒い子竜のホイップ。パタパタっと擬音が似合いそうだが背中の羽根は動いていない。しかし子竜は間違いなく宙に浮かびスーッと滑るように、これから出発する皆の近くにやってきた。そしてユーティーの頭の上にちょんと止まると口を大きく開けて頭にかぶりついた。そう頭の上に止まったのだ、スプライトサイズまで小さくなって。
「これは驚いた。まさかあんな大きな竜がこんなに小さくなるなんてな」
「信仰系魔法に重さを変える魔法があるし、竜系魔法には大きさを変える魔法でもあるんじゃないかな」
「なるほどな。しかし小さくなってどうする気だ?」
驚きは一瞬、ノイドとロインは冷静に目の前の光景をあっさり受け入れ、しかも原因であろうその方法、可能性を既に見出している。
ニーナは驚きよりも嬉しそうに目を輝かせ、声には出していないがその表情から『可愛い~』と声が聞こえてきそうだ。
クレオも最初は驚いていたが「そう言う事ですか……ホイップ、あなたユーティー様に付いて行くつもりですね」と冷静にホイップの目的を知る。
唯一ユーティーだけが時間が止まったかのように、あるいは石化してしまったかのように動く事を止めていた。
ロインとノイドは人の肩に乗れる程小さくなった子竜を連れて行くのか連れて行かないのか、ユーティーの考えを待っていると両手両膝を地に着け、がっくりとうなだれ涙を流しながら切実な思いを搾り出した。
「ねぇホイップ、小さくなれるんだったらもっと早く小さくなってよ。時間をかけて洗ってあげていた僕の今までの十五年間は何だったんだよ」
「この子は洗ってもらうのが好きなようですし、大きい方が長く沢山洗ってもらえるので、ワザと大きいままでいたのではないでしょうか?」
クレオの予想が当たっていたのか、噛むのを止め「ピィピィ」と嬉しそうに鳴くホイップに対し、ユーティーは「あうあう」と悲しそうに泣いていた。
尚、拒む気力も失ったユーティー、 有耶無耶のうちに子竜は付いてくる事となる。