99・異世界と覚悟
帰りは再び精霊の力で町に戻ってきた。
一番近い馬小屋から馬を借り、行きと同じようにノイドの後ろにユーティーが、ロインが一人で騎乗している。最初は何度かユーティーがお酒の事で話しかけても、ノイドは何か考え込むように沈黙を守り、その度にロインが「ごめんね」と父に代わって頭を下げた。結局会話らしい会話は無く、ユーティーとすれ違う人達お互いの「お帰りなさい」が交わされるだけだった。
陽が暮れるにはまだ早かったが、今日はこれで終わり、今夜はクレオ姉妹の家で一泊する事となった。ユーティーも一緒に暮らしているが居候の様な状態らしい。
いつもなら進める所まで進むのだが、今回は酒が手に入らなかったとは言え本来の目的であるミスリルがあり、明日からはユーティーと一緒に町まで行く必要がある。それに精霊に町まで運んでもらってからは、ノイドは何か考え込むように口数が少なく、ほとんどの判断はロインに任せると結局食事中も一階の客室に案内されてからもずっと黙り込んでいた。
簡素な椅子に腰掛け、腕を組みずっと考え込んでいたノイドはゆっくりと立ち上がる。ベッドの上でココと遊んでいたロインが見ているとノイドは扉に背を預ける。その姿は部屋の外を警戒するように、誰も部屋に入れさせないように、誰かが部屋に近づけばすぐに分かるようそこに立つ。
ずっと口を閉ざしていたノイドは「ロイン」と、その名を呼ぶ。その声はいつも通りの力強い声、何を考えていたのかは不明だが、答えは出たのだとロインは「はい」と返事をし遊ぶのを止め、姿勢を正し正座で座る。
「お前個人の考えを聞きたい。お前から見て天使殿はどう見える? 信じるに足る存在か?」
「俺から見た天使様か……」
考えこんだのはほんの二~三秒、すぐに顔を上げ答えた。
「優しい方です。親しみやすい方です。凄い力を持っていますが気が弱い、頼りない方です。おじいちゃんが心配するような、とても誰かを操ったり悪い事が出来る方とは思えない。信じられるか信じられないか、どっちかと言われたら信じていいと思う。あとはそう、ドルヴァンさんが言うほど悪魔っぽくもないし、かと言って神族っぽくもないかな」
「そうか、なるほどな」とノイドは笑った。
「ロイン、里探しの旅はこれで終わりだ。ドルヴァン殿の依頼が完了しだいテノアに帰ろう」
「え!? 良いの?」
驚いたロインは普段見せない父の優しげな笑顔を見た。元々テノアの町の人達相手ですら目に見えない壁を作り、笑っていてもどこか演技、嘘めいていた。唯一家族にだけ見せる温かい本物の笑顔がそこにあった。
「だって忍びの里は父さんの生まれ育った特別な場所でしょ? それにタダナリって人だって無事に帰れたのならちゃんと探す方法はあるんじゃ?」
ロインの疑問ももっともだ。タダナリと名乗った初代半蔵は妖精の森に来てドルヴァン達と出会い、そして刀を作り完成した妖刀を里に持ち帰っている。里に帰れる可能性は無い訳ではない。だがずっと考え込んでいたノイドの答えはもう出ており、ロインの疑問にしっかりと頷いた。
「かまわない。ここは異界、私達が生まれた世界ではない事は確実だ。仮に帰れられたとしても今度は向こうからこちらに帰ってこれるかは分からない。危険を冒してまで里に帰る必要はもうない」
「違う世界? 待ってよ、それは聞いたけど違う大陸の可能性もまだあるんだよね?」
異世界、その可能性は神隠しの話の際に聞いている。だが違う場所に飛ばされる事も神隠しの一つであり、異世界に飛ばされたなど確定はしていないはずだった。しかしノイドは首を横に振る。
「ああ、この家に来るまではその可能性はあった。だが完全な世界地図では無いだろうがアティセラ大陸全土の地図を見た時、ここは私達がいた世界ではないと確信した」
「あれ? 世界地図? そんな物あったっけ?」
ロインはこの幻魔の町に来てからの記憶を掘り起こした。だがまるで記憶に無い。どこに地図があったのか、必死に考え込んだロインを見たノイドは「はははっ」と小さく声を出して笑う。
「思い出せないのも仕方がないさ。お前は本に集中していたからな」
「本? あっ……」
ロインは最初に通された部屋がしっかりと思い出せない事を思い出した。入った瞬間本棚に目がいっていたのであの部屋にどんな椅子があったのか、どんな机があったのかハッキリとした記憶が無い。結局その後の食事中も話中の時も部屋全体を見回しておらず、あの部屋がどんな部屋だったのかすらイマイチ覚えていない。ただ言われてみればロインが本に気を取られていた時、ノイドも別の何かに集中していたような気がする。
そうロインが思った時、「そうか、あの部屋に世界地図があったのか」と驚いた声を出していた。
「あれが本当に世界地図かどうかは分からないが、描かれていたのは二つの大陸、下忍達の長い調査の中で少なくともそんな大陸は存在しない」
ノイドが見ていた複数の絵画の中にあった一枚の絵が地図だった。それはノイドが言う様に二つの大陸。西の海によく知る北アティセラとドルヴァンから見せてもらった南アティセラ。そして南北の両隣りにはその地の地図でまだ確認していない西アティセラと、ドルヴァンとゴーダン夫妻の生まれ故郷である東アティセラが描かれていた。
そして驚く事にアティセラ大陸をまるで左右反転させたような、鏡写しのような別の大陸が海の東側に描かれていた。もしかすると東の海にある大陸は実際には存在しない、芸術性や美術的に描かれた嘘なのかもしれないが、少なくとも西の海にある北と南アティセラは間違いなく本物だ。だとすれば西と東アティセラも本物である可能性は高い。
ノイドが持つ書物には歴代の下忍達が、百年以上の時間をかけ調査した世界地図が簡単にだが描かれている。その世界地図の中に、アティセラ大陸に似た大陸は存在しない。もちろん発見していないだけ、と言われればそれまでだが、下忍の情報収集力に絶対の信頼を寄せていて、上忍や十人衆であるノイドに一切の疑いは無い。それに書物に描かれている世界地図は五十年以上前に下忍がほぼ完成させ描かれた物だ。そこから更に五十年以上、大陸の一つも見つけられないなんて事はありえない。
「やはり私は情報を集めるより戦う事の方が性に合っている。殺すか死ぬか、勝つか負けるか、すぐに答えの出る暗殺や戦闘と違い情報収集って奴はすぐに答えが出ない事が厄介だ。例え情報を得たとしてもそれが本当に正しいのか、間違っているのかそれすら私には判断も出来ない。それに話を聞いた限りこれ以上初代半蔵様の足取りを調べるのはほぼ不可能だろう」
「そっか、父さんがそれで良いなら俺も良いけど」
「すまんな」
常に強く、自分の行動に絶対の自信に満ちているノイドだが、今は普段見せない申し訳なさそうな表情。しかしこの時ロインはノイドの出した答え、そしてその裏にある覚悟を見抜いてしまった。
「あっとそうだ、大賢者のテイザー様への挨拶はやっぱりしなくていいの??」
「大賢者殿に挨拶か……」
いつもの調子に戻ったノイドは視線を外し考え込む。
テイザー・ファイリスは大賢者の一人で幻魔族の最高指導者だ。本来幻魔族ならばこの町に来た時点で挨拶すべき方である。だがノイドにはそれが出来ない理由があった。と言うのもテイザーは元々この町ではなくテノアの北にあるもう一つの幻魔の町サザイラに暮らしていたのだ、戦争が起こる十六年前までは。当然テイザーは北アティセラにある二つの幻魔の町の住人を全て把握しており、もしもノイド達がテノアから来たと挨拶した場合、まだ十五歳であるロインはまだ生まれていないのだから問題は無い。ところがロインの父であるノイドは十六年前以前に、テノアにもサザイラにも存在しなかった事がバレてしまうのだ。
一応ペンダーとの話の際、ノイドは東アティセラ出身にしてはと話に上がったものの、山が多い地形と危険な海流のせいで東から北アティセラに渡るには、一度船で南アティセラに渡りそこから北に渡るしかなかった。その場合何故南ティセラにあるこの町に当時寄らなかったのか、不審要素が増える為に、ならばあえて会わない方が良いだろうとペンダー達とそう決めていた。もしも最悪出会ってしまった場合、一か八かで東から来た事にするつもりだが、間違いなく嘘だとバレるだろう。
「お前一人だけで会うと言う手もあるにはあるが今はやめておく。完全にバレてしまうよりあえて怪しまれる方がまだマシだ。もっとも明日の出発時に向こうから来た場合はもはやどうする事も出来ん、その時は洗いざらい吐くしかなかろう。それよりも私達がすべきはまずミスリルをドルヴァン殿に届ける事、そしてその間に天使殿が信用するに値するのかどうか見極める事、と言ったところか」
「はい」としっかりと頷いたロインだったが、「でもあの天使様とはできれば戦いたくないね」と困ったようにこぼす。「そうだな」と笑うも一人でユーティーと戦う覚悟は出来ている、例え死ぬ事になっても。
ノイドは意識を部屋の外に向ける。千里視も千里聴も使っていない為にユーティー達の行動を把握している訳ではないが、現在二階の部屋にニーナと一階の最初に通された部屋にユーティーとクレオがいる。二ーナは既に眠っているがユーティーとクレオはミスリルの事で明日以降の事を話しているはずだ。何かしら行動をとらないか気配だけでも探ってみるものの、外にいる子竜ホイップの存在があまりにも強すぎて、なんとかクレオが地図や本のある部屋に現在もいる事が分かっているが、ユーティーの気配がうまく探れず部屋どころか建物内にいるかどうかも分からなかった。