開かれた扉
開かれた扉
僕は頭の中を整理していた。腕時計は、十時二十分を指している。国営鉄道の芽早畑獲で乗車し、五駅先の終着駅、江藻地まで行こうとしている所だった。平日の十時発の普通列車は、子供のおもちゃ箱をひっくり返したようなぐちゃぐちゃな朝のラッシュから抜け出し、勉強不足の学生の答案用紙のように空いていた。三ヶ月前に十二年間勤めていた会社を辞め、失業保険と蓄えで生活している僕に知人が割のいい、そして興味深いアルバイトを紹介してくれたので、そこへ向かう途中だった。デビュー前のアイドルの審査員をするというものだ。厳しい芸能界を生き抜くために必要な武器を一般人の目線で見つけていこうというもので、当然?ながら、水着審査もあり、心躍る一日になるはずだった。
「ちょっといいですか?」
リクルートスーツの学生に声を掛けられたのは、昨日、買った本の第二章を読んでいる時だった。いつもと変わらない一日が終わろうとしていた主人公の前に、突然、現れた男の出現によって、主人公の人生が大きく動き出そうとしている所だった。第一章は、主人公の少年時代の物語で章毎に現在と交互に物語が進んでいくみたいで、それがどういう意味を持つのか、あるいは持たないのか考えを巡らせている所だった。
「かなり落ち着いていられますが、何かご存じなのですか?」
僕は本を閉じ、学生の顔を見た。少し首を傾け、どういう意味だろう? という感じで。
学生は僕の対応に軽く首を左右に振り、一瞬にして非難を含んだ眼を見せ、ゆっくりと瞼を閉じて深呼吸をした。
「わたしは、田葉寺で乗車しました。終着駅で降りるつもりです。あなたは、どこから乗られてどこで降りるつもりでしたか? 何時発の列車に乗ったか覚えていますか?」
開かれた瞳は、出来の悪い子供を言い聞かせるような視線に変わっていた。
「芽早畑獲から江藻地まで。十時発です。」
僕は学生の態度に苛立ちを感じたが、彼の質問の意味を把握することを優先した。
「芽早畑獲ですか。田葉寺の二駅前から乗車していますね。今、何時ですか?」
「十時三十分。」
「わたしは、田葉寺を十時十二分に乗りました。ご存知でしょうが、江藻地までは三駅あります。時間にしたら、十時三十分を少し過ぎたくらいに到着します。もう到着してもいい時間です。」
今まで気付かなかったが、周りの乗客が騒ぎ出していた。
「この列車は、わたしが乗車した田葉寺から、一駅も止まっていません。」