借財
私は生きるために大いなる罪を犯してしまったのだろうか。私は生きたかった。ただそれだけなのだ。
あれは真夏の目が鈍痛に眩むほどの太陽光の日であった。じわじわと汗が垂れるが、爽やかな海風が引潮と共に私たちの体温を下げてくれた。
八月十二日 十三時二〇
なんということだ、私たちの船が機能しなくなったのだ。どうすればいい。もう何時間、海原に漂っただろうか。まだ時計は動いている。
同日 二〇時四三
私たちは救助をまった。だがこなかった。誰もが絶望していた。こんなことならばバカンスなど拒否すればよかったのだ。船に乗り込んだ当初の子供たちの喜んでいた顔が甚だ遺憾、悪性に感じられる。
私はどうかしているようだ。今日は寝よう。
八月十三日 九時十二
私は子供と妻の騒ぐ声で目が覚めた。なんと、目の前に苔じみた木造船が浮いているではないか。
私たちは声を荒げた。助けてくれ、助けてくれ、たすけてくれ。
だが返答は無かった。
私たちは苔じみた木造船に乗り込むことにした。それは船が密着するほど隣接していたので容易であった。
私たちは驚愕した。木造船に足を着けた瞬間に、脳髄に嫌悪感が走った。悪鬼たる極臭である。私たちは誰かいないのか叫びながら船首へと足を進めたのだ。
同日 一一時十四
私たちの脳髄は絶望から絶対なる戦慄的発狂を患っていた。この症状は中毒性が強く恐らくは、私の思うところでは、絶望を超えた恐怖を超えたものであると・・・
それというのは、船首の奥に船室通路を経て右手に五台の寝台、その奥に鉄製の円形回転錠で閉ざされた部屋があった。私たちは錆びついた回転錠を回し、あの忌々しい立ち込める畏怖たる臭気を開放してしまったのだ。
扉の先の漆色の光に閉ざされた部屋からは、全身が麻痺するかのような悪臭が鼻の粘膜を刺激し続けた。目が慣れてくると、恐怖を超えた、悪寒に覆われたのだ。少なくとも私は我を失った。
そこは調理室だった、調理代には人骨と思われる骨が無数にあり、直ぐ横の薄い群青色のバケツの中には八本の腕と五本の腐った足が切断され入っていた。蝿は喜びの賛歌を歌い、飛び回っていたのだ。
八月 十六日 命日
私は痺れた手の平で妻の手を握り、赤く腫れ上がった子供の頬に塩錆びの包丁を突き立て、泣きながら食した。なんと旨いことだろうか。妻の腕は美味で私の空腹を満たしてくれる。腹部の鉄臭く湿ったアビスからは腸が垂れさがり、妻のいやらしい人糞が垂れている。これは究極な愛であり、私は罪と知りながらも、子供と妻を愛撫するのだ。
~十二月八日~
福島沖で発見された船から人骨と腐った死体、そして血で書かれた日記が見つかった。警察によって事件、遭難の両方で捜査されたのだが、発見された遺体の全ての頭部が発見されなかった。
日記の裏には大きく十字が書かれておりその上に円が描かれ、円の中央に鳥と書かれていた。