「幻夢郷」写本
「幻夢郷」写本
著者/花美輪 乃霧
この手記は、富士の冥府なる樹海にて白骨遺体と共に発見された、興味深い怪奇なる手記である。
残念ながら、殆どが腐敗し朽ち果ていたため、一部のみの記述となっていた。
恐らく、文体から察するに大正時代に書かれたもので些か、読みにくい字体、文体であったため私が現代語に書き直した。
幻夢郷
我が国において最初に幻夢なる存在に気づいた者は恐らく弥生時代の卑弥呼であることは間違いない。もしかしたら、それよりも遥かに前、アニミズム思想に生きた縄文人たちかもしれないが。
文献などからして卑弥呼までしか辿れなかったことを詫びておく。
さて、私は89%の確立で自身の意思において幻夢郷に旅立つことができるようになった。その代償も大きかったが、私はこの力を得た時、狂喜乱舞したことを覚えている。
私はこの世界で求めるものは生きながらにして、死を超えることである。この幻夢は私に一つの可能性を与えてくれた。
幻夢に旅立つには先ず、瞑想を行い精神を空に持っていく必要がある。決して無になると言う訳ではない。自身の思考を観察するのだ。ただ流れ行く思考を只見つめるのである。考えてはならない。感じるだけである。魂を残し、物理的物質的肉体を中浮かす想像をするのだ。あるいは魂が地面に吸い込まれる思感を行うのだ。思考してはならない、思感するのである。
やがて畏怖なる暗黒がやってくる。恐れることは無い冥府ではない。この世界全ての万物は畏怖なる存在なのだから。故に汝は神にでも悪魔にでもなれるということを忘れてはならない。
幻無に到達するまでの試練として畏怖なる暗黒が振動と共鳴と共に現れる。その共鳴は轟音たるもので、耐えがたきものである。しかしながらその狂音たる轟音に耐えた先に輝かしい世界が待っているのだ。
振動は身体の核となる柱が震えあがくものである、凍えるように震えるが決して寒い訳ではない。屈強なる精神を持て。
目の前には一筋の光が現れるのだ。それは畏怖なる者を呼び寄せることもでき、消し去ることもできるのだ。もし畏怖なる存在を呼び寄せたならば、汝は身体全体が仮死状態になるだろう。私自身も経験がある。全く体を動かすことができなくなったのだ。その後私は気を失ってしまった。目を覚ますと奇妙なことに四日も過ぎていたのだ。畏怖なる轟音に恐れれば忽ちあの忌々しい者どもが寄り集まってくる。注意されたし。
幻夢郷は素晴らしい、空を飛行し、壁を通り抜け過去未来に生きることができるのだ。この世界に死と時間を超える世界が存在するのである。
私は永遠なる幻夢に旅立つことにしたのだ。
旅立つ前にこの幻夢の世界へ導く手記をここに残しておく。
私は見たのだ。この手記が読まれているところを……
あとがき
この手記は一つの可能性を示していることは言うまでもないだろう。誰がどのような意図で書いたのかは不明である。
私が注目したのは幻夢と呼ばれるものは、畏怖なる存在を消し去ることもできるということだ。しかしながらこの手記にはその方法論が曖昧であった。残りの朽ち果ててしまった手記に記述されていたのだろうか。まことに残念である。さらなる手がかりを探すには、私はより慎重にならざるをえない。
花美輪 乃霧