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手の男の話

作者: 冷夏
掲載日:2016/04/13

 その男は不思議な手を持っていた。


 その男は他人と握手をすると、その相手の未来がわかるのだ。これは生まれつきの力で、物心ついたときから他人の未来を「握って」いた。



 小学校に入学したときには、クラスの入り口で自分たち一年生を出迎えてくれた担任の先生と握手した途端泣き出してしまった。先生は自分が何かまずいことをしてしまったのかとおろおろし、他の子供は泣き虫だと大騒ぎしていたが、この男にはわかっていたのだ。一週間も経たないうちに、その先生は事故死した。男はその担任の顔を覚えてはいない。しかし、今では自分に初めて「死」という強烈なイメージを教えてくれた"恩師"であると思っている。

 男は賢かった。この力をはっきりと自覚したとき誰にも言わなかった。この力はあまりにも強力すぎる、決して他人に明かしてはいけない。そう固く心に誓った。その誓いは三十歳を過ぎた今でも破られていない。

 しかし、賢明な男ではあったが、所詮人間であった。この力に興味が湧かないわけがない。誰にでも通用するのか、どこまで未来を「握れる」のか、「握った」未来を変えることはできるのか。男は実験し、研究した。


 握手を沢山の人に求めるなどというのは、通常であればどこか変な話で、気味の悪い、気持ちの悪いやつだと思われかねない。そう考えた男は機会を窺っていたのだが、あるとき絶好の機会がやってきた。高校の文化祭のときに、男のクラスでは演劇をやった。男は主役だった。演劇が終わると、会場からわっと観客が出てくる。その際の出口での挨拶に男は立った。観客は皆「すごかった」などとねぎらいの言葉をかけながら、自然に握手を求めてきた。老若男女、あらゆる人間と握手をし、四日間に及ぶ文化祭が終わったころには、男はこの力が万人に通用することを確信していた。

 握手をすると、手から記憶が溢れてくるのだ。それは相手の未来の記憶である。ちょうど今までの記憶を脳が思い出すのと同じように、手が「思い出す」のだ。手に脳があるようなイメージだな、と男は思っていた。実に不思議な感覚であり、握っていると途方も無い時間の旅に出かけているような気分に浸れるのだ。自分が相手の運命を司る神になったかのような感覚だった。なにせ相手の将来が分かってしまうのだ。あながち間違いでもないだろう、と男は思っていた。


 また、男は握手を長くすればするほど相手の遠い未来まで「握れる」ということに気づいていた。男と十ほど歳の離れた姉に子供ができたとき、男はその赤ん坊を抱かせてもらったことがある。そのとき男が指を近づけると、その赤ん坊は指を握ってきた。そのときのことは男にとって忘れがたい経験となった。

 這い、立ち、歩き、倒れ、泣き、走り、幼稚園に上がり、友だちが出来、小学校、中学校、高校、親とけんかし、考え、笑い、親元を離れ、大学に、仕事に、結婚、失敗し、成功し、そして新たな家族、ついには老い…。気づけば男は涙を流していた。声を上げて泣いていた。赤ん坊も泣いていた。姉はなぜあんたも泣くのだと大笑いしていた。男はじぶんの甥の人生を僅か一分ほどで「握った」のだ。泣かずにはいられなかった。甥の未来は幸せであったが、それでも泣かずにはいられなかった。


 どんな他人の一生でも「握れる」男は考えた。ならば、助言するなどして、他人の未来をより良い方向に変えることができるのではないか、と。


 男は実践した。

 男が大学で出会ったその女は、同じ学年、同い年であった。自己紹介して握手したとき、なんと不幸な人なんだ、と男は思った。裏切りに次ぐ裏切り。その女の人生は裏切られてばかりだったのだ。交際相手には浮気され、企業には内定を取り消され、やっと良い相手だと思って結婚したら婚前とは打って変わって絵に描いたような大酒飲みの暴力亭主。これは流石に気の毒に思い、男は事あるごとにその女の相談に乗ってやり、未来を変えるための助言をしてやった。

 しかし結果は、駄目だったのだ。その女は、男が「握った」、その通りの未来を辿っていった。

 男は実に不愉快だった。何と救いがたい女だと思った。未来の交際相手とは違う、決して浮気をしないような、はるかに良い男を紹介してやったのだ。待遇の良い企業を教えてやったのだ。結婚相手について散々警告してやったのだ。にもかかわらずあの女、と男は苛立った。


 だが男は考えた。思えば我々は、日々多くの「未来への示唆」を受け取っているじゃないか。「毎日コツコツ努力しよう」「老後のため貯金しよう」「生活習慣病を意識して食事を取ろう」「あの株を買えば儲かる」「早く行かないと売り切れる」。それらを些細なこと、取るに足らない情報として受け流しているじゃないか。地球温暖化を止めよう、人が生きていけなくなるって言われたって、我々は特に何もしていないじゃないか。そうだ。自分が不幸になると言われようが幸福になると言われようが、世の中では、未来のことはそのときになってみないと分からない、ということになっているのだ。自分の言う「未来」が本当に起こることなのだと相手が納得してくれれば。あるいは変えられるかもしれないが、そんな常識外れなことを信じられる人間もいるまい。胡散臭すぎる。

 なら仕方がない。男はそうして他人の未来を変えることを諦めた。



 とはいっても、この能力を無駄にするのも勿体無いので、男は"占い師"として働き出した。当然のことながらその予言の的中率は百パーセントであるが、あまりに当たりすぎると怪しまれるので微妙に外して答えることにしていた。これはとても良い商売であった。男の元には誰も彼もが未来を「握って」もらいに来た。料金は高額だったが、そんなことは意に介さず人々はこぞって未来を求めた。男は幸せであった。なにせ存分に他人の未来を「握り」、恍惚感に浸れるのだから…。

 あるとき、奇妙な人間が客としてやってきた。フードを被り、ほとんど肌を露出させていない、僧侶のような格好をした男だ。気味が悪いと思いつつも、男は渋々その手を握ってやった。ところが「あっ」と叫ぶや否や、すぐにパッと手を離してしまった。

「お前、そんな、馬鹿な」

「ああ!やはりそうか!そうだった!」

 その僧侶のような男はケタケタ笑い出した。

 男が驚くのも無理は無い。なぜなら「握った」未来が、先刻「握った」とある有名な俳優の未来と同じだったからである。いま目の前にいる男とは、とてもじゃないが似ても似つかない。

「どういうことだ」

 嫌な汗が止まらないが、男はとにかく問わずにはいられなかった。

「いや、簡単なことですよ。わたしも貴方のような力を持っているということです」

「何?」

「お見せしましょう、その方が早い」

 その男が袖を捲ると、肘から上はその男の歳相応に萎びた腕だったが、肘から下が血色の良い若い男の腕だったのだ。

「まさか」

「そうです、これはあの俳優の彼の腕です。昨日握手会に行きまして、コピーしてきました」

 その男が言うには、握手したことのある相手の腕なら誰でもコピーできる、一度でも握手したことのある腕ならいつでも思い出して変化させられるというのだ。そしてどうやら、男の未来を「握る」能力は、握った「手」自体に左右されるらしい。極端な話、切断された「手」だけでも未来がわかるのだろう。

 男は、その手を変えられる男に何の目的でここに来たのだと問うたが、話は単純で、要するにタネをバラさないでいてやるから口止め料をよこせということであった。

「貴方の力と違って、私のは商売の役には立ちませんのでね」

 渡した現金を数えながらそんなことを言っている。その様子を見ながら、ふと男は考えた。そうか、どんな手にも変えられるのか…。


「おい、俺の手もコピーできるか」

「ええ?まあ、力のコピーは出来ないでしょうけれど」

「なら、変えてみてくれ」

「ははあ、自分の未来が知りたいんですね?」

「違う「握りたい」んだ」

「はは、洒落た言い方ですね」

 気味の悪い男はたちどころに自分の手を男の手に変化させると、どうぞと手を差し出してきた。男はまじまじと自分の「手」を見つめた。自分の未来、自分の…。

「ああ、正直おすすめはしませんね」

 握ろうとした手が思わず止まった。

「何だって?」

「自分の未来なんか知らないほうが良いですよ」

「なぜだ。皆知りたがるじゃないか。現にうちの店にきた奴らは皆喜んで帰っていく」

「それはそうでしょう。"絶対に外れない未来"だなんて誰も思っちゃいないでしょうから。占いなんてのは自分を納得させるためのものです。成功しようが、失敗しようが、そうか占いのとおりだったかもしれないなあ、なんてね。でも貴方は違う。絶対的な、運命的な未来だと知ってしまっている」

「絶望的な未来だったら、変えればいい」

「もしかして、他人の未来を変えようとしたりしましたか?」

「うむ、した」

「変わりました?」

「いや…しかしそれはその人が絶対的な未来だと知らず、危機感がなかったからで…」

「ははは!あのねえ、貴方は勘違いをしてますよ。未来というのは"結果"です。たしかに貴方は運命なんてものは信じない人間かもしれない。しかし、貴方の"それ"は、交通事故で死ぬ確率を知ることや、ガンで死ぬ確率を知ること、運動と寿命の関係を知ることなどとは全く違う!貴方は自分の未来を左右する情報を、今まで何度見過ごしてきましたか?今の貴方はその"結果"ここにいるのですよ。奇跡と言ってもいい。よく今まで生きてこられましたね。貴方は知らず知らずのうちに凄まじい綱渡りをしてきたのです。まあわたしも含めて皆そうですがね…。曲芸師はね、絶対に落ちないと信じているからこそ綱を渡れるんです。リスクはわかっているんです。それでも渡るんです。でも貴方の"それ"は、綱から落ちる日を確実に、残酷なまでにはっきりと伝えてくれる。落ちるとわかっている綱を、果たして貴方は渡れますかね」

「俺は曲芸師じゃない。落ちるとわかっている日には、綱渡りをしなけりゃいい」

「ほう、そうですか」

 気味の悪い男は薄ら笑いをして、より一層気味が悪かった。

「そこまでおっしゃるなら、どうぞ」



 男は意を決し、「握った」。



 三十秒ほど経ち、男はゆっくりと手を離した。

「ああ、ああ、お前が言いたかったのはこういうことか」

「そうですよ、少し考えれば誰だってわかることです」

「こんな、ああ」

「貴方は曲芸師ではない。それゆえに"今日は綱をわたらないという選択はできない"のです」

「あああ」

「お金はもらいました。貴方の占いのタネのことは黙っています。では"お元気で"」

 そう言うと気味の悪い男は去っていった。残された男は部屋で一人、がっくりとうなだれ、その目は見開き、汗が滝のように溢れ、ただただ絶望していた。


 男が「握った」未来。それは"男が未来を「握った」後"の未来だった。その「未来」の中で、男は自分に何が起きるのか、何もかも知っていた。だからこそ絶望してしまったのだ。いつどこで事故を起こすか、どの客が占いに満足せず暴れまわるか、どこで転倒し骨を折るか、どういう経緯で病気に罹るか、いつ火事に巻き込まれるか、いつ地震が起こるか、どうして水が飲めなくなるか、いつ撃たれるか…。あらゆる「未来」。あらゆる死の可能性を回避しようと奮闘する「未来」。男がこれから起こす全ての「未来」を自身で「握った」のだ。男がその意思で変えられる「未来」だからこそ、無限の可能性で男に襲いかかってきたのだ。


 「死」だ。世の中は自分に対する「死」で溢れている。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだ。


 とにかく男は、毎朝食パンを一斤食べ、水を飲む前にまばたきを二十回行い、ペットボトルが道端に転がっていたら大急ぎでリサイクルボックスに叩きこみ、犬を見かけたらすぐさまカラスの鳴き真似を行い、毎日欠かさずヨガを行い、女物の下着を身に着け、道を歩くときは五十メートルごとに振り返り、寝る前にはキリル文字の書き取り練習をするしかなかった。なぜそうしなければならないのかは男しか知る由もないが、とにかくそうするしかなかったのである。そうしなければ、自分が「握った」、確実で、残酷なまでにはっきりとした「未来」に殺されてしまうから…。



 つまり、男は所詮人間であった。



終わり

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