第788話 まずは小手調べのジャブ
宿を出て、馬車はそのまま丘に向かって進む。防衛の都合上、丘陵地帯が領主の住処になるのはどこも変わらないなと。
慣れない町の匂いが新鮮なのか、タロもヒメも窓から首をちょこんと出して外を眺めてくんくんと佇んでいる。
ガタゴトと揺れながら進んでいた馬車は坂を越えた辺りで大きく揺れ、スムーズに走り始める。覗くと石畳が敷かれた道に変わっている。あぁ、屋敷の領内に入ったのかと思うと視界が広がり、大きな石造りの建物が見えてくる。
イメージとしては城塞だろうか。石壁の果てが融合し、城を形作っている。蹲った巨人のようにも見える城の表玄関のロータリーに到着すると、揃いの洋服を着た侍従侍女達が美しく整列して待っている。
停車してすぐ、私はリズと共に馬車を下り前に進むと、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「久しいな」
にこやかに手を振る姿は幸福に満ち溢れている。ベティアスタが緩やかなドレスに身を纏ってエントランスの方から出てくる。
「ユーサル伯爵夫人、わざわざのお出迎え、ありがとうございます」
ワラニカ式の会釈、そして握手のため手を差し出すと、少し頬をぷくっと膨らませたベティアスタがずいっと前に出る。
「水臭い。父上も便り程度しかよこさぬ。『リザティア』の詳細も良く分からぬのだよ。是非教えて欲しい」
相変わらずの口調に若干苦笑が浮かんでしまうが、中々他国に行った女性に情報は渡せない。リズにもその辺りは含めてあるし、ペルティアの薫陶のお陰か、最近は腹芸も出来るようになってきたので頼もしい。
エントランスから奥に向かうと、向こうの政務団が待っていたのでティルトを先頭に仲間達が続く。条約、交易、軍事協定、情報共有。いつの間にか仲間達も政務が板に着いてきたなと。そっと振り返ったロットにサムズアップを送り、そのまま奥に進む。
途中、応接室の前でリズと二匹そしてベティアスタが分かれ、いよいよ護衛役のレイと私そしてワゴンを押す侍女、後は向こうの侍従だけとなる。
最奥の執務室のドアがノックされると、誰何の声が聞こえ侍従の返事に合わせて大きく開く。ここまでの通路は石造りの要塞という事もあって蝋燭が灯っていても薄暗かったが、一転大きなバルコニーを有した執務室は輝きに満ちていた。
「ようこそ、アキヒロ・マエカワ子爵」
私がダブティア式の挨拶、目下側が顔を下げて会釈をし、肩へのタッチを待とうとすると逆光の主の首が振られる。
「今日は伯爵役であろう? そのままで」
そう告げると、ダブティア式の同爵位間の挨拶。訪問側が立った状態のまま待っているとホスト側が抱擁をするという形で挨拶を交わす。話には聞いていたが、三十前の若々しい男性だ。
「初めまして、ユーサル・ハーバテスタイ伯爵閣下」
こちらも抱擁を返しながら挨拶を告げると、尚も頭を振る。
「色々と先代が迷惑をかけた折もあるしな。それに『リザティア』の噂は聞く。その胸章と袖は近い内にマエカワ殿の物となろう。今日はユーサルと」
伯爵相当扱いという事で、襟も袖も伯爵用の物だ。この文化に関しては、ワラニカもダブティアも共通している。というか、ダブティア様式がそのままワラニカに来た形だ。
「気楽にアキヒロとお呼び下さい」
そう告げると、そのままバルコニーの方に案内される。城塞の中庭を一望出来るバルコニーはそのまま町も一望可能だ。有事の際の指揮所なのだろう。
用意されたテーブルに着くと、侍女が押していたワゴンを向こうの侍従に預ける。初見のご挨拶のお土産文化は無いが、親しい人間に会いに行く時は持っていく事もあるので、親愛のポーズのため今回は用意した。
「改めて。隣国隣領の仲というのに中々会えず、残念であった。こうして出会えた事を出会いの神フェフェティヌスに感謝を」
「感謝を」
『初めまして。旅程お疲れ様です。頑張って下さいね』
いきなり頭の中に響いた初めての声に一瞬笑顔が固まりかけるが、一瞬瞑目しやり過ごす。遭逢を司る神フェフェティヌスかな。
歩く教会というのもびっくり箱みたいで楽じゃない。
「ちなみにあれは?」
ティルトには知らせていたが、内容は告げていなかったのだろう。真珠や本気の布製品、それに保存食とレシピなどが布で隠されている。
「友好の証として。『リザティア』の産物とレシピです」
私の言葉にユーサルが絶句する。
外交なんて、はったりの応酬だ。インパクトが大きい者が勝つ。レシピは万金にも勝る戦略物資だが、敢えて今回はオープンにする。そもそも保存食の作り方が分からなければ、意味が無いからだ。精々原料が何なのかから惑わされれば良いよ。
「それはまた豪儀な。良いのかな?」
「『リザティア』がというより、ワラニカは現在発展の階を着実に登っています。これからの事を考えれば、この程度は友諠のための挨拶です」
さて、発展を阻害しようとしていた張本人の息子はどう保証してくれるかな。戦争の準備なんて安いもんじゃないよ?
にこにこと微笑みながら、取り敢えずご挨拶のジャブでぶん殴ってみた。




