第781話 太った理由
朝から走っていた馬車も国境の川を越えて、ダブティア側に入る。国が変わっても状況はあまり変わらないなと思いながら、仕事の合間にじゃれついてくる二匹の相手をしていると、唐突にがたんごとんと馬車が大きく揺れ出す。
見ると、他の皆も面食らったように馬車の座席や荷物にしがみ付きながらきょろきょろと辺りを見渡している。
「レイ、何かあった!?」
私が体勢を立て直し、荷物の隙間から御者台の方に顔を出すと、かなり渋い顔で必死に馬首を巡らせているレイの姿が見えた。
「失礼しました。しばらくは道も良かったのですが、突然悪くなり始めて……」
その言葉に、前方を眺めると、流れるような速度で通り過ぎていく道のあちこちに岩と言いたくなるような石が落ちていたり、木々の雨だれが集中したのか穴が開いていたり、かなり凸凹だ。
「国境線を越えた辺りは綺麗だったのに……。何故?」
必死で御者台にしがみ付きながら、微妙な間隔で右往左往する馬車の揺れに耐え、叫ぶ。
「威信……でしょうか。見える範囲に関しては手をかけるが……」
「見えない場所はどうでもいいと……。そりゃ、酷いっ!?」
答えようとした瞬間、よけ切れなかった穴に片輪が入り込みごうんと唐突に跳ね落ちる。板バネはそれを増幅して長い周期で再現する。ふわっとした浮遊感を感じて、急降下で胃がうねる。
「気持ち……悪い……」
流石に悪路に慣れてきたと思っていても、これは酷い。
「申し訳ありません。避け切れませんな……」
レイが巧みに手綱を操りながら、旗を大きく振る。減速、維持だ。緩やかに速度が落ちるにつれて、レイの神業が冴え始める。そこまでいくと、縦揺れも収まってきた。
やれやれと思いながら座席の方に戻ると、皆が乗り物酔いで青息吐息の有様になっている。
大丈夫かと声をかけようとすると、ててーっと走ってきたタロとヒメが体当たりをするかのような勢いで飛びかかってくる。
『ふぉぉ、きもちわるいの!! ふわってするの。おなかへんなの。いたいようなきもちわるいの!!』
『わくらん!!』
どうも、人間以上に動物の方が敏感なのか、二匹の体調の方が心配だ。ちなみに、竜さん達は飛行するという事で三半規管が発達しているのか、けろっとしている。
しばらく進むと、休憩を取るためか、速度が落ちてきたので、ひしっとしがみ付いている二匹を下すと、きょろきょろと辺りを見回して、てーんっと馬車から飛び降りた。ちょっと焦ったが、速度が落ちていたのが幸いし、慣性に打ち勝って着地したようだ。くるりと振り向き、ててーっと馬車を追ってくる。
余程馬車が嫌だったのか……。これで苦手になってしまうと困るなと思いながら、馬車が止まるのを待った。
結局、休憩後は『馴致』でなだめすかして再度乗り込ませる。
『ふぉぉ。こわいの、きもちわるいの!!』
『けんお!!』
いらいらと落ち着かない様子の二匹をどうにかしなければと、荷物からブラシを取り出すと、現金なもので、ててーっと近寄ってくる。
『それ、すき』
はふはふと寄ってくるタロとそれに続くヒメ。タロを胡坐の中にぽふっと入れて、ブラシをかけた瞬間、ごっそりと毛が抜けて絶句する。
『ふぉぉ、そこなの。かゆいの……』
すわ皮膚病かと思って、毛をかき分けるが、炎症等は無い。くいっとひっぱると、ごそっと簡単に毛が抜ける。
「あ、換毛期……。冬の備えか……」
最近のぷにぷにしてきた理由もそれで理解出来た。運動不足じゃなくて良かった。
と、はらりとブラシから抜けた毛が辺りに散らばって、皆が慌てて、色々な物を片付けだす。
『ふぉぉ……。もっとなの……』
タロは期待するように首だけを回し、続きをせがむが、それどころではない。近くにあった袋に毛を放り込んでいく。馬車の中に解き放たれた毛は吹き込んだ隙間風に流されて馬車の中をもうもうと飛び回る。
「ひゃぁぁ、舞ってる、舞ってる」
「そっちにも塊が飛んだで御座る!!」
「か、風魔術でまとめて吹き飛ばしますさかい!!」
「いらないものも飛ぶぞ、いいから拾え!!」
そんな感じでばたばたと皆が走り回る中、おいてけぼりの二匹だけがちょこんと伏せのまま待機している。
『じゅんばんたいき。じゅんびばんたん』
はふはふと次を律義に待つ、ヒメであった。




