第734話 テンプーラと新たな嵐の予兆
「では、お疲れ様でした」
そう告げるが早いか、皆が紙の上に置かれたテンプラを無心に頬張り始める。
「むきゅ、ふお、うひゅー!!」
竜の一人が頬張った瞬間、目を見開き、奇声をあげながら恍惚とした表情に変わる。後はもう、似たり寄ったりだ。私もと、箸を伸ばす。
「水気が多いのに、味が濃いわね……」
ティアナが目を見張りながら、四角いテンプラを咀嚼する。少し大きかったので半分に割ると、美しい白身がその真珠のような光沢を露にする。内側から染み出さんばかりの出汁を含んだ水分が灯火に照らされ清楚でありながら艶やかに色めいている。はくりと口に含むと衣の香ばしさがまず鼻から通る。咀嚼しようと顎に力を入れた瞬間、ぎりぎりで保たれていた均衡が崩れ、クロダイの身から純粋な旨味の汁が迸る。貝の出汁にも負けない濃い旨味と、清涼な香りが口中で充満する。この大きさの身にどれ程の水気が含まれているのかと問いたいほどに、噛む度にじゅわりじゅわりと染み出してくる。衣に付けた海水塩と相まって、臭みの無い潮汁を飲み干しているのではないかと錯覚するほどだ。
「あまーい!! 超あまーい!! しかも、噛むと気持ち良い!!」
ぴょこりとしっぽを口の端から飛び出させながらフィアが叫ぶ。横でロッサも至福という表情で、じゃくりと噛み千切る。その表情を見て、次はエビだなと箸で摘まむ。旬で丸々と太ったクルマエビは薄衣にも拘らず、目を見張る程に太い。前歯で噛み千切ろうとすると、衣のさくりとした感触の後に一瞬の抵抗を感じる。そのまま力を籠めると、ぶづりとした食感の後にぶりっと内側から身が盛り上がってくる。咀嚼した瞬間濃厚な甘みを帯びた汁がぴゅぴゅと小さな雫となって、口中全体に飛び散る。独特の香りは熱で昇華され、甘みと塩気と合わさり悦楽の域に達している。
「ふわっとしているのに、美味しい。それに味が無いみたいなのに美味しい。うわぁ、幾らでも食べられそうで怖い……」
リズが目を丸くして、三角形のテンプラを頬張り、次々と口の中に放り込む。少し口の中を変えようかと、私もキスに手を伸ばす。淡白な旨味は、先程までの濃い旨味を上品に流しながらも、キスが持つ本来の香りで上書きしていく。ふわふわほろほろとした身は歯と舌に無上の快楽をもたらす。しゅわと弾けるように染み出る
水分はどこまでも透明で、そのくせ奥行きのある旨味を構成しており、ついつい次を求めたくなる味だ。
「これ、夏の薬草ですやん。これも食材になるんですね」
チャットが碧の手のひらサイズまで育ったシソの葉をさくりと噛み千切る。庭でいつの間にか生えていたシソに水をやっていたら、わさわさと成長し始めたので、今回一緒に揚げてもらったが、こちらのシソの方が野趣溢れるというか薫りが高い。一口噛み千切るだけで、芳香が口中一杯に広がり、鼻から抜ける。爽やかさとどこか遠い苦味が油や身の甘さで緩んだ口の中をしっかりと締め直してくれる。
「野菜のテンプラというのも美味しいですね」
ズッキーニのテンプラは熱を加えられたズッキーニがくにゅりと柔らかく、ざくりと繊維質の歯応えを優しく包み、豊富な水気をこれでもかと放出する。若干癖のある独特の香りがナスとはまた違った快楽を感じさせる。
夏野菜や薄く切ったイノシシのテンプラなど多種多様な具材をワインで流し込みながら、嵐が過ぎ去ったのを実感する。一度発生したなら、また次々と上陸してくるだろうが、今日ばかりはお疲れ様で良いだろう。台風一過の少し抜けた雰囲気を楽しみながら、慰労会は宴もたけなわとなる
風呂に浸かりゆるりと疲れを取り、子供達と遊んできたタロとヒメの報告を聞き、眠りに就く。まだまだ気疲れしていたのか、目を瞑るとすとんと意識は落ちていった。
目を覚ますと、思った以上に爽快で、やはり疲れていたのかとすとんと心に落ちる。窓を覗くと夜明けの光がほのかに輝き世界を照らし始めていた。八月三十一日は晴れ。もう八月も終わりかと、すでに蒸し暑い風がそよぐ中、今日の予定を組み上げ始める。
タロとヒメの食事が終わり、さてリズを起こそうかと思った瞬間、ノックの音が響く。朝ご飯には大分早いなと思いながら誰何すると、慌てた様子の侍女が書状を手渡してくる。
「塩ギルドより先触れです。面会の要求となります」
要求とはまた面妖な。地方自治体の長相手に、請願ではなく要求してくるとは何かあったのかな。面倒が無ければいいがと思いながら、まぁ、うちで塩ギルド相手に波風が立たない訳が無い。ささっと書状を書いてレイに伝令を頼み、書状を開くが、一方的な面会の設定。しかも、日付が今日の昼と。また波乱かなと思いながら、取り敢えず戦の前の腹ごしらえと、朝食の為に食堂に向か事にした。




