第723話 黄色いあいつ
『新規購入者特典です』
はぁ? この声はパニアシモか。なんだ、新規購入者特典って……。
『こほん、冗談です。まだ遥か東方の稲をどういう経緯で手に入れたかは不明ですが、こちらで繁殖して頂けるのであれば、助かります。そういう意味で、少し手を貸しています』
冗談って……。最近、パニアシモの性格が分からなくなってきた。初めの頃は、ドジっ娘ではわわ系だと思っていたけど、最近胸襟を開いてきたというか、ちょっと明るくべたっとした思念を感じる。何というか、コミュ障の人が同じ趣味嗜好の人間に出会った時に距離感が分からずにくっついてくるあの感覚というか。
『こほん、こほん。ちゃんと仲間は沢山います。交友関係もあります。大丈夫です……。大丈夫……。それはさて置き。水田のシステム上、一時的な滞留はありますが、流水に乗る種子で定着出来る種が現時点で存在しないというのがまず一点です。ある程度の年月が経って、自生したり、他の麦科の花粉と交配したりで生まれてくる可能性はありますが、現状は上流にそのような種は存在しません。また、同じ理由で稲を食物として対象とする生物がまだ存在していません。稲に限らず水草を主食にするものは存在しますが、現状は水田内で他の生存競争に負けているのと、鴨や水鳥という大型捕食者が大量に消費しているため、顕在化していないです』
若干昏い思念を感じたが、説明は続けてくれる。要は水田という新規で人工的な流れの存在する湖沼に住みつける雑草がいないし、稲を主食にする菌や害虫がまだいないもしくはいるけど駆逐されていると言う事か。
『将来的には労力のかかる状況になると思いますが、それはどのような事でも同じだと思いますし、その対策も考えていらっしゃいますよね?』
初期に鋤き込んでしまうのと、後は魔道具で鋤き込み機もどきでも作れば良いかな。それを牛をトラクター代わりにして、定期的に鋤き込んでいけば、酸素も入るし、雑草も繁茂しない。土地はあるし、開拓も難しくない土壌だから、間隔を広げるだけでいけるだろう。病気に関しても、ある程度は肥料の調整で防げるものもある。菌が原因のものに関しては少し考えるが最悪神術でディシアに泣いてもらおう。
『はい。なので、今はあまり気にしなくても大丈夫です。折角の状況なので、私も定着しないように調整はしています。これに関しては、断片化領域発見のご褒美と考えて下さい』
分かりました。ありがとうございます。
『これで、露天風呂で盆に浮かべた日本酒で一杯が近付きますね……。あら、いやだ。はしたないですね、私。駄目ですよ、想像しちゃ……』
その言葉に、半分に分けた玉ねぎを微塵に刻みながら、チベットスナギツネの目になってしまう。
『もう、冗談です。冗談。また何かあれば仰って下さい。では』
そう伝えてくると、後は沈黙となる。ふむ。水田に関しては、今回だけ手がかからない子と。後はニンジンを大きめに切り、香味野菜をざく切りにしていく。朝から作っていた用途の無い鶏ガラスープのストックをもらって、鍋を火にかける。並行して微塵にしたほうの玉ねぎをオリーブオイルで飴色になるまで炒める。バターの方が良いけど、無い物ねだりをしてもしょうがない。飴色になった玉ねぎと最後に混ぜた香味野菜をストックに投入し、イノシシ肉を炒める。こちらは表面が変色する程度で問題無い。若干焦げ目が付いた辺りで同じくどぼん。後は、具材に火が通るまで待てば良いだろう。アクに関しては、こまめに取る必要はない。最終的に浮いている分をさっと掬う程度なので、焦げ付かないように様子だけ料理人に見てもらって、私は食糧庫の方に向かう。
クミン、カルダモン、シナモン、クローブ、ローレル、ナツメグ、唐辛子、花椒、そして東からやっともたらされたウコン。どれも薬師ギルドが薬の為に開発していたのを少しずつ集めた。ナツメグなんかは『フィア』の辺りに近縁種が自生していて、見つけた時は歓喜した。十分に乾燥したそれらを、このためだけに生み出してみた薬研でゴリゴリと擂り潰していく。熱を入れないようにゆっくりと出来るだけ細かくとごりごりしていると、額に汗が浮いてくる。納得出来るだけのサラサラ状態になった頃には、鍋の方も出来上がっており、肉に串を通してもさくりと貫通する。後はこのまま冷やしつつ、鶏ガラスープを具材に吸わせるのが、第一段階だ。付け合わせは最終段階の時間に合わせると言う事で、一旦厨房を出て、部屋に戻る。落ち着いたタロとヒメの相手をしつつ、夕方になるのを待つ事にした。




