第720話 幻想の原風景
領主館から出て、公園に差し掛かると二匹達がこちらを見ながらしっぽを緩やかに大きく振る。
『はじめてなの!!』
『しんきかいたく!!』
公園の緑も移り住んできた頃に比べると青々と茂り、夏の陽光に照らされてむせるような青い香りを発している。許可を出すと、クンクンブルドーザーが発進し、くまなくチェックが始まる。所々にマーキングを残しながら、公園を抜け、中央まで出て、そのまま西に進む。『リザティア』内の活気も日を追うごとに激しさを帯びているなと、行き交う馬車の増加に思う。幸いな事にまだ事故は起きていないようだが、近い将来警邏とは別に交通整理も軍の方で行わないといけない。交通事故の悲惨さは日本人の私が一番知っているのだから。
そんな中、リズと一緒に歓談しながら歩く。少し遅めの昼食を求めて、多くの人が街路に出てきており、その人間を目当てに屋台が軒を連ねている。タロもヒメも珍しい食べ物の香りに興味深いながらもうっとりしながら元気よく進んでいく。リズミカルなかつかつという爪痕が石畳に響きながら、西門を抜けて、農地方面に向かう。
「あぁ。麦も大分育ってきたね」
「うん。順調そう」
農家の人達が雑草や虫を取っている姿を眺めながら、畔を進む。かなり固めた畔だったが、逞しい草達はそんな事をものともしないように繁茂して、緩やかなスロープをその根でより強固に固めてくれている。これなら台風が来ても崩れる事は無いだろう。物珍しい植物のオンパレードにタロとヒメも興奮を隠せない様子で、あっちでくんくん、こっちでくんくん忙しい。暫く進むと、一層光が強くなる。水田に反射した光が、辺りを照らし何とも牧歌的かつ幻想的な雰囲気を醸し出している。ぴゅーっと走り出したタロとヒメに付いていき、水田の間際まで到着する。畔から降りて水田の様子を観察するとしっかり根付いた稲達がこれでもかと言わんばかりの勢いで青々とした葉を天高く伸ばしている。
「順調そうだね」
適当な一本を引っ張ってみるが、泥の中だというのにしっかりと張り巡らされた根ががっちりとその身を支えている。全く抜ける気配を感じない。
「うーん、見た事が無い植物だから分からないかな。でも、元気そうだね」
リズが稲の様子を眺めていると、タロとヒメが底まで透明な水田の様子を興味深そうに観察している。その時、稲の隙間からぴょこんと何かが飛び出し、タロの鼻の辺りに飛び乗る。
『ふわっなの!!』
驚いたように後ずさりして、ぶんぶんと頭を振るが、鼻先に付いたものはしっかりと掴まっているのか離れようとしない。よく見ると、小さな緑の体。カエルがちょこりと鎮座している。諦めたタロがしょんぼりした表情で伏せると、ヒメが興味深そうにくんくんとカエルの匂いを嗅ぐ。
「川からの水を直接引いているから、生き物の生育も順調そうだね。こういう雑多な生き物の死骸や糞が栄養になってくれるから、ありがたい事だよ」
澄んだ水田の水の中を眺めると、川海老みたいな生き物やタニシみたいな生き物がそこら中に生育している。昔見た懐かしい風景だなと思っていると、稲と稲の隙間からひょこりと顔を出すものがいた。鴨さんの子供だろう。もう黄色い姿ではなく、成鳥と同じ色に変わっている。すいーっと泳ぎながら、稲の根元に付いた虫を器用に頭を潜らせて食べている。
「可愛いね」
リズが目をきらきら輝かせながら眺めている鴨さんに『馴致』で聞いてみる。
『生活に不自由はない?』
『えものがほうふ。ずっとすむ』
ぐわみたいな短い返答を終えると、また背の高い稲に隠れて、すいーっと泳いで行ってしまう。よく見ると、鴨とはまた別の水鳥達も集まり、一種独特の生態系を作り出している。人工的な沼と一緒だからだろうか、獲物も豊富と言う事もあって喧嘩もせずに銘々が食事を楽しんでいるのが騒がしい『馴致』からも分かる。
鼻先から飛び出したカエルを触りたいけど、触ると壊れそうという感じでタロとヒメが横に倒れて、両前脚を使って微かに触ろうとしている姿が可愛い。
「思った以上に豊かな場所になったね。故郷だと管理され過ぎてて、こんな自然豊かな場所じゃなかった……」
化学肥料で増えすぎた藻が水田の表面を黄緑で覆いつくしたり、アメリカ産の肥料にくっついてきたカブトエビが大繁殖していたりと言った姿しか思い出せない身からすれば、ここは楽園のような場所だった。
「でも、これが、将来の食料の主流になるんだよね?」
リズの言葉に力強く頷く。
「麦よりも間違いなく増粒数が多いからね。管理の手間はかかるけど、栄養価や調理の簡単さを考えればある程度稲作に置き換えるべきだ。ただ、すぐに浸透するとは思っていないし、無理をする気も無いよ。ぼちぼち増やしていければ良いさ」
まだ、花には早いのか、青々と伸び伸び生える稲達が風にそよぐ様を堪能し、これから来る災害へどれだけの対応が出来るのか。その事に集中した。




