第687話 運動不足気味なので、猟などはいかがでしょうか
単行本の第二巻の発売が決まりました。
発売日は三月三十一日となります。
今回は書下ろしで、タロの前日譚も載せています。
どうぞよろしくお願い致します。
領主館に戻り部屋に入ると、リズはもう帰っていた。
「お帰り、ヒロ」
ソファーに座って手を振るリズに軽く手を振り返す。その視線の先にはタロとヒメ塗れなアーシーネがいた。暑いのに、あんなにくっついて汗をかかないのかなと心配になるくらいおしくらまんじゅうみたいになっている。
「んー……。ヒロ、何かあった?」
軽く汗で湿った上着を脱いでハンガーにかけ、ソファーに座って一息入れると同時にこちらをしげしげと眺めていたリズが聞いてくる。
「何か?」
「うん。少しだけ、表情が優しい? 柔らかい?」
そう言われて、顔をくにくにと触ってみる。でも自分では分からない。
「そうかな。でも、少しだけ心が楽になる事はあったかな」
「楽になる事?」
「うん。有能であっても万能ではないってね。理解出来た」
神様だって全知全能と言う訳ではない。取りこぼしもするだろうし、イレギュラーもあるだろう。それでも、永い将来を見据えて、少しずつ世界を人間達の意思決定に任せようとしてくれている。私は思うままに人が人らしく生きられる環境を構築していけば良い。歪んだとしても、きっと誰かが正してくれる。そのくらい信じられる人と関係は作る事は出来た。なら邁進するだけだ。
「良く分からないけど、辛くないのなら良かった。ヒロ、すぐに怖い顔になるから」
そう言って隣で微笑むリズの頭をそっと撫でる。
「ありがとう。気を遣わせて、ごめん」
「ふふ。ごめんって謝っても変わらないから聞きませんー」
上機嫌にくてんと肩に頭を乗せてくるリズ。暑くても、そのほのかな温もりが心を癒してくれる。あぁ、幸せだなと。
ふへぇっとコミュニケーション疲れに放心していると、ひゃーっという可愛らしい悲鳴が聞こえる。焦点を合わせると、アーシーネがタロとヒメにペロペロと舐められている。
「アーシーネ……タロとヒメ、好きだね」
「帰ってから、ずっと構っているから。タロとヒメも子供達と離れると寂しいのだろうけれど。……ねぇ?」
リズも軽く苦笑を浮かべながら眺める。
「んー。アンジェって元々猟犬を育てるのが本業だし、そろそろそういう教育を施してもらうべきなのかな」
「タロとヒメを猟犬として扱うの?」
「うーん……。このまま家の中で飼うよりも良いかなと。保育所で運動していても、やっぱり運動不足はあると思う。体が出来てきているから、必要運動量も上がってきちゃっているし。その欲求不満を何かに構って解消しているんだと思うよ」
昔、家で飼っていた犬も散歩が不足すると情緒不安定になって異常に構ってきたりしていた。もう生まれて半年以上経つし、そろそろもう少し運動量を増やしてあげないと可哀そうな気がする。他にも仕事があるので、アンジェに長距離の散歩を任すのも申し訳ない。将来的には任せる形になるかもしれないけど、今はあくまで侍女として雇っているので、侍女としての教育は最後まで修めてもらわないと申し訳ない。
「猟犬といっても、弓猟の追い込みか罠猟の時の追跡が主だったと思う。アンジェに聞いても、殆ど危険は無いと聞いているから良いかなって。アストさんが楽を出来るのなら、それが望ましいと思うけど……」
「猟に関しては何においても危険なのは危険だよ。でも、注意を切らさないなら大丈夫だと思う……。でも、そうなると保育所にはいかなくなるの?」
「いや。人間との触れ合いは続けて欲しい。お互いに慣れるというのは重要だと思っている。タロもヒメも子供が駄目な事をしたらきちんと叱っているし、野生動物に簡単に手を出してはいけない、線引きはこの辺りにあるというのを早めに認識してもらうのは人間側にも利益がある。タロとヒメも遊ぶ事によって情緒が安定しているしね」
「うん、今の関係が良いなら続けたいなとは思うよ。子供達も喜んでいるから」
リズの言葉に頷きを返し、アーシーネをペロペロしているタロを呼ぶ。好奇心に満ちた瞳でタロがててーっと近付いてきて、しぱたしぱたとしっぽを振りながらお座りして何、何という顔で見上げてくる。
『木が沢山ある場所で、アストさんと動物を探すお仕事をしてみたい? 沢山歩けるよ』
『馴致』で聞いてみると、良く分からないのか混乱が返ってくる。出来るかなと思いながら、日本で見た獲物の追跡をする犬の映像を思い浮かべながらタロに送るイメージを浮かべると、しっぽの振りが非常に強くなる。
『ふぉぉぉ、たのしいの!! あそぶの!!』
ふむ。感触は良さそうだ。頭を撫でて戻って良いよと告げると、すぐに追跡犬の真似をするようにきりっとした表情でくんくん床を嗅ぎながら、アーシーネをペロペロする作業に戻っていく姿に微笑ましい物を感じる。
「本人的には楽しそうな感じっぽい。まずは鳥とかの追い込みから始めてもらおうか。森よりも危険は少ないだろうし。矢を射る際に気を遣える熟練の猟師に付いてもらうとか」
「うん。慣れている人なら安心かな。後はお父さんに付いていくだけとかなら良いかも。ちゃんとお父さんの言う事は聞くし、勝手をしなければ付いていくくらいならお父さんも困らないと思うよ」
「その辺りは相談次第かな。少しアンジェとも話してみるよ」
そんな話をしながらゆったりした時間を過ごしていると、食事の声がかかる。食事とお風呂を済ませて寝床に就く。アンジェとは一度きちんとした形で話をすると言う事で話はまとめた。
「さて、明日は式典だけど、大丈夫かな」
「うん、現場の方は通しでやったけど、問題無いよ」
「皆もそんな事言ってたね。後は私次第なのかな」
眉を寄せて情けない顔を浮かべると、リズがくすくすと笑いながら、眉毛を伸ばしてくる。
「もう……。ヒロは格好良いよ。大丈夫」
リズが私の額にふわりと口付けそのまま軽く抱きしめると静かな呼吸に変わる。その温もりに包まれながら、私も意識を手放していった。




