第673話 老練
こちらの慌てた表情を見て、若干表情を曇らせるロスティー。
「儂としては、領民への説明を行わねばならぬ故、竜の件に関して話を望むが、それ以上の危急か?」
その言葉にノーウェと顔を見合わせる。流石に玄関前、皆がいる前でこんな話は出来ないなと。
「父上。政務に関して大きな問題が発生している可能性があります。ご用意を」
ノーウェが小声で言うと、ロスティーがこくりと頷き、執事に視線を向ける。その瞬間、歓迎の列は速やかに崩れ、元の配置に戻っていく。使用人達も潮が引くようにすぅっと館へと戻っていく。
「孫の初の訪問というのに、また慌ただしいな」
事情を知らない故なのか、ロスティーが呑気に言いながら、館の中に戻る。その後に付いていきながら、リズの耳元で囁く。
「ペルティア様のお相手をラディアさんと一緒にお願い出来るかな」
「うん、分かった」
その返事を聞き、ノーウェと視線を交わす。
「ロスティー様、仕事の話となりますので、リズ達はペルティア様にお願いしてもよろしいでしょうか?」
「構わぬ」
ラディアはロスティー達とも馴染なのか、特に紹介も挨拶も無く普通に話をしている。応接室にペルティア達を残し、私達は執務室の方に向かう。
「慌ててどうした? それにあの、ワイバーンの件も詳しく教えてくれぬか?」
ソファーにかけて、お茶が出た段階で、ロスティーが口を開く。
「父上、王都より、今議会の議事の書状は届いておりますか?」
「例年で考えれば、八月の中旬手前であろう。何かあっても半月もあれば、王都には着けるのでな」
あぁ、まだ受け取っていないからか。ノーウェがこくりと頷き、書状を差し出して、問題の個所を指さす。
「この文言、どう考えますか?」
文章を読んだロスティーが瞑目し、天を仰いだ後に、右手を開き差し出す。
「話は後だな。ワッツ、各領の開明派に伝令。不要不急の業務は捨て置き、王都に駆けよ。移動費用に関しては派閥運営費より出す。迅速な行動のみに注力せよ。また、近隣に他派閥が存在する家は、そちらも併せて連れて向かえ。費用は開明派で負担する。その代り、今件に関して取り込め。多少の支出は派閥で負担する。まずは王都に集結する事、それだけに邁進せよ。よいか?」
「畏まりました」
執務室の外で待機していた執事長の返事と共に、足早な靴音が遠ざかっていく。
「はぁぁぁぁ……」
再度瞑目したロスティーの元より響く、深い溜息。
「父上、対応に関してですが……」
「ノーウェ、どう対処を考えておる?」
質問を遮るようにロスティーが口を開く。
「それは……。開明派閥及び同意の貴族を増やし、過半数にて疑義申し立て……でしょうか」
ノーウェがそう答えると、ロスティーがテーブルの端を指先でトントンと叩く。
「ふむ……。このような状況がなかった故な。そのような事を申せば、保守派から格好の餌食となろう」
ロスティーが静かに呟く。
「父上?」
「国権の主は間違いを犯さず、不文律として存在するのでな。王家の強権は一度振るわれたならば、必ず実施されなければならない。それは王国法に記載されておらぬ、暗黙の了解だな」
鶴の一声が間違っていたら、組織のトップの威信に関わると言う事か……。
「しかし、このような些事で強権を振るわれようとは……」
ノーウェが首を傾げながら、呟く。
「そうだな。そう思うのもしようがない事。暫し待て」
ロスティーがそう告げると、机の引き出しの中を弄り、何かの機構を作動させる。かちゃりと部屋の片隅で音が鳴ると、飾られていた額が傾く。ロスティーがそれを外すと、小さな引き戸が見える。扉の中には小さな箱があり、それをそっと抱えて、テーブルに置く。
「これが王家の略式紋章だな」
箱を開けると、精緻な細工が施された小さな判子が一つ、布に包まれて入っていた。
「儂とて、王家の一員。緊急時の対応のため、王権の一部は委譲されておるのでな。今は陛下、儂、そして……」
そこで、一息を吐く。
「前王妃殿下……か。ただ、誰の入れ知恵かはまだ分からぬがな。主権に関わる部分は認識しておろうが、詳細な事務への落とし込みまで殿下がご存知とは思えぬ。ディアニーヌ様の教育は受けておられぬし、実務にも関わる事が無かったお人ゆえな。実務を分かって炊きつけた者がおろう」
「官僚業務の経験者で、殿下のお傍に近付ける人間と言う訳でしょうか」
私が問うと、ロスティーとノーウェが若干思案する。
「それが一人の人間とは限らないかな。複数の人間が協力し合っている可能性もある。また、協力しているつもりが無くても、知識を利用されている可能性もある。動機から追っていった方がまだ真相に近づくだろうね」
ノーウェが告げると、ロスティーも頷く。ふーむ、犯人探しなんてやるだけ無駄な気がする。
「まずは、方針を決めて頂ければと考えます。私自身は国家緊急権に基づく超法規的措置を実施する程の議題とも考えられない内容が現に通されている事。そしてその内容が今後の貴族への希望者を減らす悪影響に懸念を感じています」
私がそう告げると、ノーウェがあっという顔をする。
「ノーウェ……。教育の機会ぞ? 一緒になって慌ててどうする」
ロスティーが呆れたように呟く。
「あー……そうです。えぇと、後者に関しては気にしなくて良いよ」
ノーウェがそう告げる。
「それは……。しかし、国として貴族を増やしたいから、態々減税措置を取っているのかと考えていましたが?」
「うん。ただ、優遇措置が無くなる事なんて良くある話さ。予算の問題もあるし、方針の転換もある。絶対に実施されると決まっている訳じゃないからね」
ノーウェが申し訳なさそうに、言葉を続ける。
「開明派として、優遇措置を喧伝しても良い。そうすれば、派閥への勧誘を考えず、取り込みも出来るしね。予算は調整する必要はあるけど、男爵一家程度の税収なんて微々たるものだからね。今回の内容に関して、気にする必要は無いよ。だから前者、王権の乱用そのものをどう対処するかを考えるのに集中すべきだね」
ノーウェが告げると、ロスティーが大きく頷く。
「良い機会だ。教育の場として認識すれば良い。どちらにせよ、最終的には人数が揃わねば、具体的な対処は行えぬ。暫しの猶予はあろう」
ロスティーがそう言うと、パンパンと拍手を打つ。飲み終えたお茶が片付けられ、新しいお茶が淹れられる。
「さて、授業の時間だな」
ふわと微笑みを浮かべて、ロスティーがそう告げる。さてさて、慌ててここまで来たけど、ロスティーに取っては些末事だったのかな?




