第659話 ダンジョンアタック 牛人討伐
「奥に通路は無いようです。ここが最後の部屋ですね」
ロットが奥を覗きながら言う。
「私達は待機しているわね」
ティアナがロッサを抱きながら言う。クロスボウでも固く何層にも渡る筋繊維を貫くのは、逆にきつそうだ。撃った後に無防備になるロッサと斥候組は背後の警戒をしながら待ってもらう。
「事故は起こしたくない。基本は防御で。フィアは膝裏を狙って、駄目だったら後退。三人は防御をお願いしたいけど、無理そうなら下がって。ここまで来たら訓練とか言ってられない。全力を出すよ」
そう告げると、真剣な表情で頷きが返る。
「ヒロ……。また、何日も寝込むなんて……やめてね」
リズが心配そうに言ってくるのを、そっと頭を撫でて宥める。そのまま両手を頬に添えて、そっと呟く。
「全力は出す。でも、無茶はしない。皆を生きて帰す。こんなところで失われるべきじゃない。だから、安心して」
そう告げると、リズの顔に微笑みがかすかに浮かぶ。
「聞いての通りだよ。『リザティア』の新兵じゃあるまいし、腰を入れてても逃げるべき時は認識してるよね? 死ぬな。生きて帰ろう。生きていれば、また来られるよ」
その言葉を合図に、皆が武器を構える。じりじりとした歩み。部屋の入口ぎりぎり、四メートルの巨人が五歩も歩けば間合いに入る距離。
「ボォォォォォォォォォォォッ!!」
生き物が発するとは思えない威嚇の声……否、轟音と言っても過言ではない。部屋の構造そのものが震え、周囲一面からびりびりとした反響を感じる。三人の重装も反響して震えのようにガチガチと不協和音を奏でるが、ばつりと音が止む。ドルが、リナが、リズがその体をいつもの何倍も大きく感じさせるように気合を込める。緊張で膨らんだ筋肉が轟きをも封殺し、怯懦のような和音をも噛み殺す。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
負けじと轟くドルの咆哮。猛々しく、雄々しい嚆矢の叫びに導かれ、三人が重装とは思えない勢いで距離を詰めた。その姿を見たミノタウロスが背後から振りかぶったのは、大人の男性が身を屈めたくらいの大きさの巨石が付いたメイスもどき。いや、あれをメイスなんて呼ぶのもおこがましい。正に鈍器。その暴虐の塊のようなメイスを木の枝を振り回す子供と思わんばかりに軽々と振りかぶり、空気の摩擦が笛のごとき音を奏で、波涛のような勢いで振り下ろされる。
「ごぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
天を支えるアトラスもかくやと言わんばかりに大盾を掲げ、裂帛の気合を震わせて待ち構えるドル。そのやや下側でドルを支えようと二人が同じく盾を構える。その瞬間、背後にいた私すら鼓膜が破れるかと思い耳を塞がされた。音の暴力が部屋をも破砕せんと物理的な奔流を伴い、衝撃と言って良いほどの衝突音が自由気儘に踊り狂う。
「ドル!?」
材質不明な石畳はその姿を残していたが、ドルの姿は縮んで見えた。挑む事そのものが判断ミスだったかと下唇を噛んだ瞬間、再びの咆哮が岩塊を押し上げる。
「この程度でくたばるような品をぉぉぉぉ!! 客に渡して堪るかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
やや押し上げた後、引きながら地面に叩きつけるドル。一瞬見えた盾の中央は醜く歪み、細やかな細工も全てが潰れ、ただ押し込まれていた。
その刹那、双方の間隙を縫い、疾風迅雷と化したフィアが地面をえぐり取らんばかりの低い姿勢で回り込み、ミノタウロスの膝裏を掻き切ろうと横に薙ぐ。だが、当たった瞬間、剣はぴたりと動きを止める。それを確認したフィアがそのまま部屋の奥側に残像が残らんばかりの勢いで後退する。その残像すらも砕かんとミノタウロスが半身になって、横薙ぎに岩塊を振り抜く。振り抜かれた後に圧縮された空気が、逃げ場を失ったかのように爆発的に膨張する姿が、像を歪める様に垣間見えた。
「リーダー、無理。引いとく」
フィアの声に合わせ、三人もやや距離を置く。ミノタウロスがその姿を見て、再度振り被ろうと腕を上げたその時、重力が壊れたのかと思わんばかりの颶風がミノタウロスの体を圧する。だが、拘束出来た時間はものの数秒に過ぎなかった。気合の咆哮と共に大の字に全身を広げたミノタウロスが首を振るうと一歩、また一歩と前に進む。
「あきません……。足止めにもなりません……」
悔しそうなチャット。やや苦し気なチャットの頭部辺りに魔力の残滓を感じる。過剰帰還が来るギリギリまで出力を上げてもこれか……。チャットだって風魔術に関して言えば世界クラスの習熟度だ。真の意味で、化け物と言いたい。でも、あの歩みと筋肉、そして岩塊の動きを見ていれば分かる。こいつは、まだ、こちらを舐めている。三歩の距離なんて、相手に取っては距離ですらないだろう。本気ならば、勢いづけて、そのまま殴れば良い。はぁ、いつもの自分を見ているようで気恥ずかしい。訓練なんて言いながら、自分の全力を隠しているんだから。分かる人間が見れば、滑稽の極みだろう。
「リナ、その盾で、一発だけ防げる?」
そう問うと、後退していたリナの歩みが止まる。
「一発で御座るな? 任されよ」
絶対に笑っている。良い度胸だ。その信頼に答えないとな。リズは、もしもの為にリナの盾の裏で支えるように動く。ドルはどうも腕をやったようで、そのまま下がる。
私は、俯き瞑目し、一つ溜息を吐く。
「私達を侮った事を後悔するといいよ」
告げた瞬間、面を上げ、両手を大きく広げる。世界を抱擁せんとばかりに広げた両手をがちりと握りしめた。それをトリガーにイメージを具象する。
最初は一条の光だった。煌めく一本の長槍。それは二本に、そして四本、八本、十六本と増える。瞬きの間に背後の空には四千九十六本の槍が四つの蓮華を描き、緩やかに円舞を始める。光を受け、輝きを放つ花弁は銀とも虹ともつかない明かりで部屋全体を灯していた。
毎晩毎晩こっそりベッドを抜けては、倉庫の中で純鉄のインゴットを作っては、念魔術で積み上げて来た結果だ。倉庫一つ分を埋めたインゴットの山を見たらネスはどんな顔をするかなと場違いにも笑いが浮かぶ。
その様に脅威を感じたのか、目の前のリナという障害を排除しようと、ミノタウロスが岩塊を再度振り被り、振り下ろした。
「それはぁっ、見切ったぁ!!」
刹那と言うのもおこがましい時の狭間の中で、リナの大盾が微かに岩塊と触れ合う。ばぎりっと部屋の空気が割れたような音が響き、轟音を立てて割れ砕けた岩塊の破片が天井に向かって弾丸のように弾けていく。ひゃーっと力の抜ける悲鳴をあげながらフィアが大回りに逃げて戻ってくるのはご愛敬だろう。
「ヒロ、今!!」
衝撃で右手首がへしゃげ、狼狽の色を見せたミノタウロス。そんなもので済む訳が無い。
「人間を……舐めるなぁぁぁぁ!!」
叫んだ瞬間、一条がミノタウロスの胸を貫かんと宙を駆ける。その姿は一本の槍ではなく、一筋の光だった。観測射撃を確認し、その中心点付近をくまなく覆うように全ての槍を順番に射出する。天井から差し込む、幾重もの銀光の筋。それは天使の梯子を彷彿とさせる瞬間だった。
「ブモォォォォォ!?」
空気を圧縮しながら飛び掛かる槍がキュドキュドと音を鳴らす中、驚愕の悲鳴を上げながら、腕をクロスして防御に集中するミノタウロス。その姿は、あっという間に銀の塊に覆われて見えなくなった。最後の一本が銀の小山に突き刺さるまで二秒もかかっていない。
「やった……の?」
リズが呆然と呟いた瞬間、山が噴火するように爆発する。その中心には、ハリセンボンのようなミノタウロスが立っていた。致命的な顔や頭は守れたようだが、その他の全身には槍が突き立っている。それでも、払うかのようにばらばらと赤に染まった銀を抜いては投げ捨てる。怒りにその瞳は赤々と輝き、体中の筋肉が膨張して、血潮が噴き出す。
「それを……待っていた!!」
そう叫び私は、右手の人差し指をミノタウロスの胸に指す。その瞬間、風魔術により、圧縮が解放された胸板が爆散する。一瞬ぐらりとよろめいたミノタウロス。しかし踵に体重が乗った瞬間、膝を曲げて耐える。上がった顎を戻し、見据えてくる視線を感じながら次を撃つ。再度の爆散。正直、あの皮膚を風魔術で貫けるとは思えなかった。なので、取り合えず傷を作った。本領はここからだ。爆散しては立ち直るミノタウロスとの勝負。相手も走り出さんとしているが、その度に衝撃で後退させる。永遠とも思える永くも短い時間。
「これで、終わりだよ」
肋骨の白が見えた次弾がひときわ大きな血の華を咲かせた瞬間、後方にゆっくりと倒れるミノタウロス。ずずんと地面が揺れる錯覚を感じながら警戒していると、徐々に、手足からぼやけるように消えていく。
「勝ったな……」
後ろでへたり込んでいた、ドルが左腕を押さえながら、ぼそりと呟いた。




