第611話 保育所の真ん中で赤ちゃんをあやすもの
「ロ……、ヒロ、朝だよ」
肩口を揺らされる感覚で、意識が覚醒する。瞼を開けると、リズの顔。
「おはよう、リズ。あぁ、朝か……」
再び瞼を閉じて、体を伸ばして、上体を起こす。ふわと欠伸をして、軽く肩を動かし、体を起こしていく。
「珍しいね、ヒロが遅くまで寝ているなんて」
もう着替えを済ませたリズが軽く微笑みながら告げる。寝過ごしたなら、空腹でタロとヒメも起きているかと箱の方を見てみるが、まだ眠っている。
「昨日の晩に夕方会った猫に誘われて、集会に行ってきたよ。タロとヒメも一緒だったから、まだ起きないんだろね」
「猫の集会? そんなものあるんだね。ふふ、楽しかった?」
少しだけ興味が湧いたような顔でリズが問うてくる。
「『リザティア』中の猫が集まっているんじゃないのかな。百はいなかったにせよ、そこそこの数はいたよ。可愛らしかったし、今度の集会はリズも一緒にいく事が出来そうだから、どうかな?」
「んー。面白そう。もし時間が合えば、起こしてくれる?」
「当然」
そう告げて、ベッドから降りる。まだ、朝ご飯の時間にはあるようなので、食堂に向かい、タロとヒメの食事を受け取る。その際に、賄いの材料を使った旨を告げると、料理人の方でも把握していたのか問題ないと告げられる。
部屋に戻り、タロとヒメを起こすと、猫は猫はと聞いてくるので、昨晩の件は夢でなかったと。幻術の類は見た事が無いし、化かされるだけの意味も無いか。食事をあげると、猫の件は綺麗に興味が無くなったのか、話題は赤ちゃんの件になる。昼ご飯を食べてからと伝えると、少しだけしょんぼりするが、それまではリズと一緒に遊んでおいてと伝えると、喜んでリズの元に向かう。
「あ、こら。タロ、ヒメ、くすぐったい。ひゃー」
ソファーに座って何かを読んでいたリズに二匹が駆け寄って、ぺろぺろともみくちゃにされている。リズがこらーっと声をかけると、ソファーの下で大人しくお座りで反省するが、しっぽはまだぶんぶんと振られている。
「もう、いつまでも子供なんだから。大きくなったのに、変わらないね……」
苦笑を浮かべながらリズが振り向き告げてくるのを、ソファーの後ろから抱きかかえ、こくりと頷く。
「まだ、生まれて一年も経っていないから、少し酷かな。ロスティー様のところのペールメントに色々教わって、大人になってきていると思うけど」
「体が大きくなったのに、全力でじゃれてくるのは変わらないよ?」
「それは、リズが保護者だから、甘えているんじゃないのかな。タロとヒメも体が大きくなって甘えられる相手も減ってきたし」
そんな話をしていると、侍女が朝ご飯を告げに来る。食堂で食事をしながら、皆に予定を聞くが、完全休養と伝えていたが皆、現場の確認はしたいらしく、午前中は各兵舎に向かうらしい。午後に関して、チャットは学校へ、ドルとロッサはネスのところにそれぞれ顔を出すらしい。
食事が終わり、カビアとともに執務室に入る。窓を開けて空気の入れ替えをしようとすると少し湿ってむっとした空気が流れ込む。七月十五日は朝から暑くなる気配を感じさせる。雨は……大丈夫そうかな。机に戻ると、カビアと手分けして昨日ざくっと整理した手紙や溜まっている仕事を改めて整理しなおす。
「一番重いのはやっぱり傭兵ギルドの移住の件かな……。さてどうしようかな」
王都で挨拶をしてすぐに来た話。襲撃の事実がある中での話という事で、懐柔策と見る方が自然なのだろうけど、こちらの手の内をさらけ出させられるのも面白くないか……。
「二十世帯程ですか。配偶者の方は就労希望ですね。子供もそこそこの数がいますが」
傭兵ギルドの話が正しければ、家族ぐるみで付き合いがあるはずだから、こっちに寝返らすのも大変だろう。
「うーん、面倒くさい。断れたら一番早いけど……」
「正当な理由は無いですね。元々移住に関してはかなり緩いですし。傭兵ギルドの護衛がダブティア側と入れ替わるのは現在『リザティア』になりますから、根拠としては向こうが正しいです」
それに現状で、傭兵ギルド側にいかなる情報も渡す訳にはいかない。断れば断ったと言う情報を渡すことになる。それを新しい判断の材料にされるだけだ。何も分からない振りをして唯々諾々と従っているように見せる必要がある。
「取り込みも難しいよね」
「世帯の収入の主体が傭兵ギルドの物ですので。中々難しいかと」
配偶者も仕事はするけど、主な収入源は傭兵ギルドからの給料となる……か。
「学校が始まれば、子供の教育から変えられるか。傭兵ギルドで完結している就労環境を義務教育で断ち切っちゃおうか」
「子供もそのまま傭兵ギルドに編入されていくのを防ぐと言う事ですか?」
「何の教育も無ければ親に教えられるままに傭兵ギルド行きが決まるしね。住居に関しては『リザティア』の方になっちゃうね……。もし何かあって、歓楽街の方で内応されるとお客様に損害が出る可能性もある。諜報を付けて、ある程度日常的に監視しつつ、環境全体で矯正していこうか」
そう告げると、カビアが色々と案を出してくれるので、それをまとめて、一旦Goとする。
「後、暗殺の時の容疑者の処刑の件だけど」
「はい。『リザティア』の中では近日実施で伝えています」
「今日告示で明日実行とかは可能かな?」
「それは……出来ますが」
「なるべく早めに終わらせてしまいたい。猟師の人達の家族はもう着いた?」
「はい」
「じゃあ、手筈通りで」
お祭り騒ぎにするのは避けて、粛々と実施してしまおう。後は、開発関係の報告が何件か来ているので、明日の処刑後にでもネスのところに行くべきかな。
事務手続きをカビアと分担して、進めていると、すぐに昼ご飯の時間となる。皆で食事を取って、食後リズと二匹を連れて、工場の方に遊びに行く事にした。
てくてくと散歩がてらで歩いていると、二匹が上機嫌でリードを引っ張る。ちょっと前のめり過ぎるのでくいと引くとぐえっとなっているが、それでも前に進むのを止めない。
「本当に赤ちゃん……好きだよね」
「んー。私も好きだよ?」
リズが言うけど、ちょっと違う感じもする。
工場に着いて、挨拶をして、中に入る。微かに響く、ガラ紡の音。先に保育所に向かうと管理の奥さんがいるので挨拶をして部屋の中に入る。中には二十人ほどの幼児と乳児。上は三歳、下は寝返りが打てるようになった程度だろうか。お乳のたびに呼び出しにいっているらしい。ハフハフしている二匹を放すとてーっと乳幼児の方に向かう。
タロとヒメが近づいて伏せると、乳児の子達は大きな生き物がいきなり近づいてきてちょっと固まるが、見慣れたもふもふだと気付くと、手を伸ばし始める。タロとヒメも良く分かっているのか、じりじりと近付く、そっと手に触れる。感触を感じると、赤ちゃん達の機嫌が一気に良くなる。笑顔で、もふもふをバンバンと叩き始める。
「王都に行かれていたのですよね」
保育所を管理している乳母役の人が声をかけてくる。
「はい。何かありましたか?」
「いえ。子供達がタロちゃん、ヒメちゃんは来ないのとしきりに言っていましたので。赤ちゃん達も寂しそうでした」
タロとヒメが赤ちゃんに近づき、ぺろりと舐めると、大興奮で二匹にしがみ付いてくる。後ろからは幼児達が接近し、タロとヒメの背中によじ登ろうと必死だ。
「大人気ですね」
「ふふ。いない時は大人しいですけど、これくらい元気な方が安心します」
管理の奥さんに足りない物などを聞きながら、上機嫌で子供の相手をするタロとヒメをリズと一緒にいつまでも眺めていた。




