第609話 大人しい隣人との出会い
侍女が来ないと言う事は、まだ食事の準備は出来ていないと。んー、やっぱり先触れのための伝令は欲しいのかな。でも、馬に乗るのは技術が必要だから、軍関係者か馬の世話係になってしまう。もしくはターシャの人なら乗馬も得意って言ってたな。『警戒』もあるから、ロッサに頼むのが良いのかな。クロスボウ騎兵……。火器じゃないから竜騎兵でもないし、弓騎兵でもない……。何なのだろう……。でもクロスボウ騎兵となると、利点が完全に死ぬと言うか、最接近して一発だけ打って逃げる形になるのかな。それだと、昔からの弓を持ってもらった方が連射も可能だし、慣れているか……。少し相談してみようかな。ドルの意見もあるだろうし。
微睡んでいる一人と二匹を眺めながら、ぼけーっと考える。雨が上がってまだそこまで時が経っていないのか、『リザティア』に入ってから若干蒸す。風邪を引いたら大変かと思って窓を開けていなかったが、思った以上に気温もあるので、少し空気を入れ替えようかと、窓辺に向かう。起こさないようにそっと開くと、ほのかな草いきれが鼻をくすぐる。もう日も落ち始めているが、西日に照らされて蒸された植物達の熱い吐息のように感じる。ふわと香った後は、そよ風が入り込み、汗ばむか汗ばまないかの肌を優しく撫でていく。もう、夏も本番かと思いながら、外を眺めていると、見慣れない生き物が十メートルほど先をひょこひょこと優美に歩いて横切っている。地球ではよく見たけど、この世界では殆ど見る機会が無かった。厳密には穀倉の番にと飼っているらしいが、近付く機会が無いので、出会った事も無かった。
『猫さん、どこにいくの?』
『馴致』で伝えてみると、立ち止まり、首を傾げて、キョロキョロと何かを探すような素振りを見せる。こちらに視点が向いた時に手を振ってみると、人懐っこいのか、てくてくと近付いてくる。
『ひと、よんだ?』
『はじめまして、ここの主です。いつも麦を仕舞っている倉庫の辺りにいるよね? 今はどうしたの?』
『あつかったので、すずんでる。あと、みまわり?』
ひょいっと窓に飛び乗ると、器用に伏せる。
『んむ? おおきないきもののにおい……。あぶない?』
『私が飼っている狼が二匹中にいるよ。大人しい子達だよ。この館を住処にしているから、会っておく?』
そう尋ねると、にゃぉんっと少し間延びしたように答える。
『むれのあるじがいるなら、あんしん?』
くてんと顎を前足に乗せて、少し気怠そうにこちらを眺める。警戒はしていないようだし、タロとヒメも初めての生き物は喜ぶかな……。背中の方は灰に黒の縞が入っていて、お腹の方は白い。脚は全て真っ白だ。しっぽは黒。毛は短毛になるのかな。毛並みは美しく、臭いもほとんどしない。人の手が入っているからかな。取り合えず、まだ慣れているかも分からないので、触れないようにしておく。虎さんはなんとなく友達と言う感覚で仲良くなれたが、ネコ科の上下関係が良く分からない。虎さんもそうだが『馴致』を介しても、結構のほほんとしている。
ソファーに戻り、リズを起こさないように気を付けて、タロとヒメを起こす。新しい友達だと伝えると、しっぽをぱたぱたと振り出す。窓辺にゆっくりと近付くと、二匹がお座りをしてじっと待つ。その様子を見ていた猫が音も無く、窓から部屋の中に降りて、二匹に近付く。タロの前に座ると、そっと首を伸ばす。タロも同じように前かがみになって、鼻を近付け合う。暫くお互いにクンクンと嗅ぎ合うと、納得したのか、今度はヒメの前に移動して、同じように挨拶を始める。
『おとなしいこ。まだこどもだね』
安心したように猫が伏せると、タロとヒメが、そっと近づいて、お尻の辺りを嗅いでから、猫を巻き込むように丸くなる。
『ちいさいの!! でも、おとななの!!』
『ねんちょうさん』
匂いで年齢はなんとなく分かるのかな。ペールメントと出会ってから、情報量も増えたようで色々判断が出来るようになった。
若干接触して様子見の時間が過ぎると、どちらからでもなく首の辺りを擦り合わせて、匂いのやり取りを始めている。
『うん、だいじょうぶ、あんしん。むれのあるじはこのあたりのあるじ?』
『そうなるかな』
そう伝えると、猫が足元に寄ってきて、ズボンの裾にまとわりついて、体を擦り付け始める。
『めじるし』
転がるのをやめると、タロとヒメの方に向かって、ざりざりと舐め合う。気が済んだかと思うと、ひょいっと窓に飛び乗る。
『また、あそびにくる』
にゃっと告げると、ひょいっと庭の方に飛び降り、そのままてくてくと歩いていく。うん、猫だ。あの飽きっぽいと言うか、自分の時間で動いているのは猫だ。
『一緒に遊べそう?』
二匹に問うと、嬉しそうにしっぽを振って肯定を伝えてくる。そっと二匹を撫でているとくちんとソファーの辺りから聞こえてくる。
「ん、冷えた? ごめん、暑いかと思って窓を開けたけど」
くしゃみをした拍子に目が覚めたのか、ぼーっとした顔でリズが鼻をすすっている。
「うー、大丈夫。風邪じゃないよ。ちょっと鼻がむずむずしただけ。んんー……はぁ。大分楽になった」
両腕を伸ばして、はっきりとした様子のリズが立ち上がり窓辺に近づいてくる。
「あれ? 獣臭い?」
「あぁ、穀倉で飼っている猫が通りかかったから、挨拶してみた。その匂いだと思う」
「あー猫が来てたんだ。トルカの穀倉でもいたよ。子供の頃はよく遊んでいたけど。んー? 遊ばれていた?」
リズが首を傾げて、考え込む。
「でも、フィアはすぐに抱きかかえようとしていたから、見つけたら逃げられていたかな」
流石フィア……。分かりやすい。
「あんまり構われると、逃げるよね」
「麦を食べる小物も結構いるし、それに麦が傷む原因にもなるから。猫は大事にされていたよ」
リズがしゃがんでタロとヒメを撫でながら穏やかに呟く。
「どこの世界もその辺りは一緒なのかな」
「綺麗好きだし、悪さらしい悪さもしないから。付かず離れずの隣人って感じなのかな」
「そっか。また遊びに来るって言ってたから、今度の機会には一緒に遊んでみようか」
そう告げると、くすくすとリズが笑い出す。
「もう、ヒロにかかると動物も人間も関係なく仲良しになるから、おかしいの」
上機嫌にひっくり返ってお腹を見せた二匹の柔らかな部分を撫でながら、リズが笑顔で呟く。
「言葉が分かっちゃうとね。こんな事を考えていたんだって改めて思うよ」
そんな穏やかな会話をしていると、ノックの音が響く。日も落ちて、部屋が薄暗くなってきたなと思っていたが、やっと夕ご飯の時間らしい。
「さて、食事を済ませて、お風呂に入って、ゆっくり休む事にしようか。流石に長旅で疲れたよ」
そう言いながら、リズの腕を取って、立ち上がらせる。
「ん。お疲れ様。そうだね、寝て楽になったけど、まだ寝足りないかな……」
ふわぁと欠伸を浮かべるリズと一緒に食堂に向かう。なんだかんだで忙しかった王都での日々もあるので、今日くらいはゆっくり休みたいなと思いながら、食堂に入った。




