第597話 襲撃の終焉
声をかけると、息の荒い集団が何事かを大声で相談し始めている。こちらはナイフの制御に気を取られていて、聞き取るまでの余裕は無い。若干の睨み合いが続いたと思うと、若い感じの五名がやや時間差を付けて、散開して向かってきた。全く警告を聞く気は無いか。確かに、このナイフの群れが何を意味しているのか、理解出来なければそんなものかな。
刹那、虚しさにも似た何かを考えながら、三十本程のナイフの群れをセットにして、向かってくる軽装の足元へ打ち出す。キュドッに近い音が風切り、赤銀が闇の中でほのかに銀線を描きながら、肉を断つ音と共に、地面にぶち当たり、喧騒を奏でる。
地面に生える銀の芽は赤黒く塗り替えられながら、朱と銀の斑をなしていた。痛みに悶える叫びが夜のしじまを切り裂く。のた打ち回ろうにも、足の甲に刺さったナイフが地面と繋ぎ止めているため、動く事すらままならない。
壁を走る風に鉄臭い、血の匂いが混じる。後方に配されている狼達に関しては訓練されているためか、『警戒』で確認する限り特に動じた感じはしない。やっぱり訓練は重要だなと改めて考える。
「これは警告です。次はありません」
私が静かに伝えると、先程よりも慌てた感じで、歪な円陣の中央に隠れた人間が次の指示を飛ばす。十名が散開して、剣を足場に両手に持ったナイフを突き立てて、土壁をよじ登ろうとしている。その後は腰に付けたロープを垂らして、残った人員を引き上げる算段なのだろうか……。うーん、二択しか渡していないし、そんな悠長な事を許す気もない。両手に持ったナイフを皆が突き立てた辺りを見計らって、腕目がけて、銀閃を射出する。そのまま貼り付けられ、足場にしていた剣からも落ちて磔状態になった人間が、世の終わりのような叫びを上げ続けている。
「言葉は通じますか? このまま捨て置けば、傷を受けた人間は死にますよ? それに今立っているのは、あくまで僥倖です。その辺りで磔になっている人間と何ら変わりなく、私に取っては無価値です。一切の武装を放棄して、捕えられなさい。そうすれば、この場での死は免れます。そうでなければ、無為な時間を過ごして、順に死ねば良いのではないでしょうか?」
言葉の通り、先に走りこんで下半身を撃ち抜かれた五人は叫びも弱弱しく、動きも暴れるというより震えに近い状況になっている。急速な失血に伴うショック症状が出ているのだろう。それが分かっているにも関わらず、何かの算段をしているのか、円陣の中でぼそぼそとした話し声が聞こえる。降伏以外の選択肢は渡していないのに、おめでたい事だなと思いながら、右腕を振りかぶる。
蓮華の大輪の花束は、幾何学模様に似た軌跡を描きながら、夜空にその威容を誇るように広がっていく。これが広がり切れば、そのままあの集団に向かって無差別に射出する。殺す事への忌避感? リズの命を含めて危機だった事、ノーウェの思いを感じた今、麻痺している。後になって、後悔するかもしれないが、その時はその時だ。こちら側は誰一人怪我せず、万難を排せればそれで良い。
中天に数多の煌めきが瞬く。自分でも分かるほどの鬼気迫る顔で、振りかぶった腕を力の限り振り下ろそうとした瞬間、制止の声が集団の中から上がる。
「降伏する……」
ガランと言う音を響かせながら、無事な人間達が剣と盾を放り投げて、身に着けていたナイフや暗器を取り出して、その場に落とす。
「近衛兵の皆さん、捕縛をお願いします」
後方に向かって、声をかける。何かがあった場合の為、ナイフは天空に留めたまま、挙動を追い続ける。近衛達がさっと走り出し、乱暴とも思える勢いで地面に引き倒し、縄で拘束し始める。相手の言い分だけで何かあった場合はどうしようもないので、些か粗雑な扱いは許容してもらおう。無事立っていた人間が全員捕縛されたのを確認し、手が空いている近衛の人間と一緒に地面と壁で震えている人間の元に進む。
正直、篝火があると言っても、暗闇の中で狙いを定めていたため、大きな血管をざっくりと裂いている人間も多々いる。急いで神術で癒しながら、捕縛を進めていく。しかし、噴き出した血で地面も壁もぐじゅぐじゅな泥濘になっている。向こうの降伏がもうほんの少し遅ければ、十分に死人が出ていた。戦力差は、最初の投擲で理解して欲しかった。そう思いながら、自分で傷つけた相手を治していく。
全員の捕縛が完了する頃には軽く過剰帰還を感じていた。神術はまだ習熟度が低い上に、傷口がぼろくずのようになっていて、かなり大幅に治す羽目になった。領地での怪我人や病人相手に習熟度は上げていたが、このクラスの対処にはまだまだ足りないなと改めて訓練をしようと思った。
「お疲れ様。大丈夫かい?」
ぼーっと考え事をしていた背中に、ノーウェが声をかけてくる。
「はい。大丈夫です。少し神術を使いすぎました。過剰帰還で若干気持ち悪い程度です」
「うーん……。そういう意味ではないんだけどね。何はともあれ、助かった。周辺の警戒はこのまま続けるけど、取り合えず追加は無いみたい。詳細は捕えた人間から聞き出すしかないね」
ノーウェが苦笑を浮かべながら、ぱしりと肩を叩いてくる。
「ほら、殊勲をたてた人間が、そんな青白い顔でいてどうするの。まるで病人みたいだよ。君が成した事は、不善を防ぎ、人の命を助けた。尊い事だ。胸を張って、声を大に叫んで良いよ」
その言葉に私も自然と苦笑が浮かぶ。
「そう……ですね。自分で決めた事です。大事に至らなくて本当に良かったです。ただ、庭の方はすみません。大分荒れて、汚れましたが」
「ふふ、ははは。これだけの事をしておきながら、気にするのが庭の事かい? えと、ナイフなのかな? それはどうしたら良いかな?」
「魔術で作った物ですし、特に用途はありません。鋳潰して、何かに使ってもらえればありがたいです」
「そうか。じゃあ、お言葉に甘えるね。後は任せてもらっていいから、先に戻って皆を安心させてあげたら良いよ。その程度、こちらで対処する」
ノーウェの優しい微笑みに、心のどこかで固まっていた何かが、ほっと溶ける。肩を落とし、眉を八の字にしながら、一礼する。
「ありがとうございます。屋敷で防衛をお願いしていたので、解除してきます。何はともあれお疲れ様でした」
「追って報告はするから。今は、ゆっくり休んだら良いよ」
その声を背に受けながら、ホバーで屋敷まで戻る。一時の激情が醒めると、ふわふわしたような体の感覚がどこか遠いような気持ちになる。自分で決めた事なので、人を傷つけた事に後悔は無い。ただただ、目まぐるしく変わっていく状況の中で、最善と思える対応を取り続けた慌ただしさの反動が返ってきている感じだろうか。なんとなく袖を嗅ぐと、濃密な血の匂いが染みついている。うーん、この服は処分して他の服にしようか。タロとヒメが心配するかもしれない。お風呂……入ろうかな……。
そんな事を考えていると、屋敷の端に到着したので、ホバーから徒歩に変えて、食堂の大開放に向かう。人一人分のスペースが開けられており、中では皆が警護として陣形を組んでいた。
「お疲れ様。警護の方、ありがとう。取り合えず賊は全員捕縛出来たよ。全域の周辺警護は近衛の方でやってくれているから、今夜はもう大丈夫。起こしてしまってごめんね」
そう伝えると、皆が頭を振る。
「何が起こるか分からない状況ですから、全員が動けるようになるのは正しいと考えます。しかし、かなり血の匂いが酷いですが、怪我人が出たんですか?」
ロットが若干鼻の辺りを顰めながら聞いてくる。
「いや、こちらに怪我人も死人も無し。向こうも死人は出さずに済んだ。血の匂いは治す時に付いたと思う」
「それならば良いが。あまり飛び出されても、守れんぞ」
ドルも少し呆れ顔で苦言を呈してくる。
「うん、それは悪かったと思う。一旦、現場を確認してから戻って皆で対応しようかと思ったけど、そこまで悠長な状況じゃなかったから。でも、心配してくれてありがとう」
そう伝えると、皆の間でほっとした空気が流れる。
今夜はこのまま近衛に任せて、ゆっくりすると言う事で、解散となった。リズには、新しい服をお願いして、一人お風呂に向かう。湯を生み出し、体を洗って、湯に浸かるが、鼻の奥にまだ、鉄臭い匂いがこびり付いているような気がして、鼻洗浄がしたいなと場違いな事を考える。最後に全身、頭からざぶりと湯船の中に潜って、湯を捨てる。使用人の方も今晩に関しては忙しいだろうし、風呂掃除もこちらでやっておく事にした。
さて、リズに怒られるかな……。自分一人で決めちゃったしな……。うーん、覚悟を決めよう。そんな事を考えながら、部屋に向かって廊下をゆっくりと歩んだ。




