第589話 陞爵式典
微睡みから急速に覚醒に変化する。目を開けると、薄暗い中、左手や左腕に湿った感触。覗くと、昨日と同じくタロとヒメがベッドに前脚をかけて舐めている。
『まま、おなかすいたの!!』
『くうふく……』
寝るのが早すぎるとやはり朝も早いのかと。もう少し夜更かしさせないと、毎朝起こされそうだな。そんな事を考えながら、二匹を宥めて食堂に向かう。窓から外を眺めると、快晴。式典の七月一日は天気は崩れそうもないか……。
食堂で羽根を処理した鳥を二羽もらって部屋に戻る。タロとヒメに待て良しで渡すと、何故かタロがヒメに自分の鳥を渡してヒメが食べ始めると、ヒメの鳥をタロが食べ始める。意味が分からないおまじない的な何かなのかなと思っていると、ヒメ的には嬉しい行為らしく、快の感情が流れ込んでくる。ペールメントの教育なのかなとも考えながら、リズを起こす。気を張っていたのか、ぱちりと目を覚まし、にこりと微笑みかけてくれる。
タライにお湯を生んで、二人で朝の支度を進める。私は正装を、リズはロスティーからもらったドレスを着こむ。夏に正装はちょっときついのだが、もう諦める。出来れば夏用の生地みたいなのを開発しないと汗だくになりそうな気がする。まぁ、風魔術で送風でも送っておくかな。でも、魔術が使える人間がいると、攻撃の前提に取られるのかな……。んー、面倒臭い。リズの背中のボタンを手伝い、二人で食堂に向かう。
仲間達も皆、訓練の準備は終わっている。カビアは紋章入りの正装だし、ティアナもドレスに着替えている。フィアを始めとして女性陣が色々と褒め合っているが、ティアナは恥ずかしそうだ。私とカビアは議会に出なければいけないし、リズとティアナはその間、他の貴族のパートナー達とお茶会らしい。どちらも戦場である事には変わりないので、頑張って欲しいなとは思う。
「ティアナ、申し訳ないけど、リズの事、よろしくね。ペルティア様の近くにいれば大丈夫だとは思うけど。ノーウェ子爵様のパートナーがいないからそれに絡む話が全部こちらに来ると思う」
「ふぅ……。あまりこちらの心配をしなくても良いわよ。リズの壁にはなるわ。子女として参加した事もあるから雰囲気は分かっている。カビアの妻に相応しいだけの成果は見せるわよ」
ティアナがキラキラと自信に満ちた笑顔で返してくれる。何と言うか、ティアナの成長が目覚ましいというか、結婚してから安定感が増した。ドルと旅をしていた頃はリーダーとしての重圧と戦っていたし、一緒に冒険者としてやっている時も少し、自分に自信が無かった。それが伴侶を得て、やるべき道筋が見えた途端、一気に花開いた印象だ。
想定問答などをしていると、ロスティー達が食堂に入ってきて、朝ご飯となる。いつもなら軽めの朝だが、今日は肉なども混じって少し重い。式典は予定通り行われるが、その後の議事の進行によっては昼の時間が伸びる可能性はある。飲み物の持ち込みはある程度許されているが軽食の持ち込みなどは禁止されているので、朝の内にしっかりと食事を取ると言う流れのようだ。
ロスティーから最終の注意事項とノーウェの補足を私とリズ、ティアナとカビアが聞きながら、食事が終わる。
そのまま玄関に向かうと、ロスティー、ノーウェ、そして私の馬車が並んでいる。旅の最中なら私の馬車が先導の露払いだが、町中ではロスティーの馬車が先導を務める。少し緊張しているテスラに声をかけながら、馬車に乗り込む。ロスティーの馬車と近衛が周囲を囲みながら、出発する。町中での安全の確保は親の務めらしい。私もその内そう言う事をしないといけないんだろうなと注視しながら、王城に向けてひた走る。
王城を囲む壁に沿って走り、門に向かう。式典と言う事で色々な紋章を飾った馬車が入城の手続きをしているが、ここは最大派閥のロスティーの馬車と言う事でスルー出来る。私達も同じくそのまま城の内側に走り込んでいく。公爵の寄子であり戸籍上家族と言う事で、信用もある。うーん、いらない諍いの元にならなきゃいいけど。
駐車場も一番城に近い広い場所が用意されている。城の馬丁達が走ってきて、馬を馬車から外し、厩舎の方に連れていく。王城の兵達が馬車一台毎に張り付いて監視してくれる。テスラ達は厩舎に併設された休憩所で待機と言う形になる。
「いってらっしゃいませ。ご武運を……」
少しだけ心配そうなテスラに笑顔を返し、手を振る。武運か……。まぁ、戦いだよな。城に入ると、階段を登りかなり最上階の一階下まで向かう。城の侍従が観音扉を開けると、物凄い広いロビーのような空間が広がっていた。少し面食らっていると、ロスティーが笑う。
「開明派の待機部屋だな。式典までは暫し時間もある。ゆるりと過ごすが良い。後から来るものにも紹介がしたい」
ロスティーとペルティアが最奥の壁の無いボックス席に座ると、ノーウェと私はそれを挟むように座る。それぞれの家宰は末席にかける。
「今回子爵に上がると言っても男爵がこのような席に座ってもよろしいのでしょうか?」
そう告げると、ロスティーとノーウェが顔を見合わせて笑う。
「私も君も国にとっては重要人物扱いだよ。開明派全体にどれだけの金を落としているか。皆分かっている。まぁ、皆集まったら分かるよ」
ノーウェが人の悪い笑顔で言っていると、扉が開く。それを見ていたカビアがそっと耳元で囁く。
「バーナルド侯爵とヤバルティア伯爵、それにファーム伯爵です。バーナルド侯爵は農務大臣です。両伯爵も農務畑の重鎮です。食糧計画及び税徴収の管理者です」
侯爵の襟と袖を付けたバーナルドらしき男性がにこやかに近付いてくる。年の頃は五十を過ぎた程度だろうか。細身で髪が若干後退しているが金に銀が混じり始めた風貌が破顔し、軽く会釈をした後に、ボックスの中に入ってくる。ロスティーとノーウェも立ち上がるので、皆それに合わせて、立ち上がる。
「無沙汰をしております、ロスティー公。ダブティアの件、お勤めご苦労様でした。話には聞いておりましたが、上手くまとまったようで」
「うむ。バーナルド候も息災そうでなにより。春蒔きの件では世話になった。ノーウェに任せておったが、まだまだ足りぬでな。助かった」
ロスティーが言うと、バーナルドもにこりと笑う。
「何を仰るか。国の威信をかけて隣国に乗り込んでおられるロスティー公を支えるは当たり前の事。今年は気候も良さそうで何よりでした」
そう言うと、ロスティーと握手を交わし、ノーウェの方に向かう。
「坊も伯爵かぁ。時が過ぎるのは早いが、あの若者がもう国の中核を担うか。外務は国の土台。存分に働かれよ」
「バーナルド侯爵閣下も変わらずで何よりです。我が身の未熟でお手を煩わせてしまい、恐縮です」
「なんの。若人の世話をするのは老人の務め。大恩あるロスティー公の身内を手伝えるは本望よ」
そう言ってノーウェと握手を交わすと、こちらに顔を向ける。
「おぉ、お主が坊の秘蔵っ子か!! いやいや。海水塩は驚いたし、油かすだったか、あれも流通に乗り始めておるな。それに海産物の乾物も話には聞いたぞ」
破顔して、握手した手をブンブンと振り回される。しかし、流石上級貴族。情報の感度も高いし、取捨選別もうまい。
「非才の身ですが、ワラニカの経済に少しでも足しになればと考えております」
「はぁぁ。ロスティー公は全く。次代も盤石か。しかし、今後は開明派の身内。何ぞ食品関係で問題があれば言うてくるが良い。助けになろうぞ」
そう言いながら、二人の伯爵を紹介してくれて、他のボックス席に向かっていく。
そこからはわらわらと開明派の重鎮達がロスティーに挨拶に向かってきて、挨拶をどんどんと交わしていく。カビアとは話をしていたが、実は王家派にいるのが侯爵二人。これは王室管理局の局長になっている。日本で言えば宮内庁が近いだろう。保守派の侯爵は一人。国土地理院として、国土の地理を司っている筈だが、出回っている地図の精度を見れば仕事をしていないのは丸わかりとなる。この辺り、開明派の中で独自に測量をして、精度を上げていっているようだ。最後に内務大臣が訪れ、開明派の総員が揃う。欠席者は無し。ちなみに、パートナーを皆連れているのだが、女性陣の関心はペルティアとリズ、そしてティアナの美貌の理由に集中していると思う。もう、見る目が全然違う。厳密には女性の貴族も何名かいるが、そちらの関心も美の理由だろう。本当に分かりやすい。
皆が集まったのを確認し、ロスティーとノーウェ、そして私を先頭に式典会場に向かう。陞爵式典は玉座の間で開かれる。今回は侯爵への該当者はおらず、伯爵がノーウェを筆頭に三名、子爵が四名となる。式典まではパートナーと一緒と言う事で、リズの手を取って、玉座の間に向かう。
開明派が右翼側、王家派が左翼の奥、保守派が左翼の手前側に並び、徐々に静まっていく。咳一つない中で、楽師達の荘厳な演奏が始まる。それに合わせて、皆が最敬礼の姿勢を取る。音楽が最高潮に達した頃に、深みのある低めで通る声が部屋に響く。
「頭を上げよ。我は神に非ず」
その声に合わせて、頭を上げると、玉座の前に四十過ぎの男性が立っている。ロスティーを若くしたらそんな感じなのだろうと思わせる男性が玉座にかける。その横にはペルティアより少し歳を取った感じの女性が立っている。これが前王の奥さんなのかな。
「式典を開始する、名前を呼ばれた者は前に出よ」
王家派の伯爵が式次第が書かれた紙を手に、叫ぶ。筆頭で呼ばれるのはノーウェ。玉座前でノーウェが最敬礼をする中、肩に儀礼用の剣を当てて、その忠義を褒め称えた後に、伯爵への陞爵の旨を国王が告げる。
後はその繰り返しで、一番最後に私が呼ばれる。まぁ、ぎりぎりで出したから最後だよねと思いながら、玉座前まで進み、最敬礼で跪く。先程までと同じ口上で肩に剣の感触を感じて頭を上げる。国王の慈愛に満ちた表情の横をふと見ると、前王妃がにこやかに微笑んでいたが、目を見た瞬間、腰の辺りから寒気が上がってくる。あぁ、この目、見た事がある。はぁぁ、後々問題になりそうな気がするなと思いながら、立ち上がり、元の場所に戻る。これで式典は終了となり、小休憩を挟んで、議事に移る。今回陞爵した人間はこの休憩時間でシャツと袖を変える。また、パートナー達はお茶会会場に移動する。その誘導が始まった途端、王家派の子爵がこちらに向かってくる。
「国王陛下よりのご下命である。この後、しばしの間、話をしたいとの事。着いて来るがよい」
ロスティーとノーウェも首を傾げているが、何と無く想像は付いたので、先に休憩に向かってもらう。
玉座の後ろを抜けて控室の前まで誘導されると、先程の子爵が扉を開けて、頷く。それに礼を返して、部屋の中を進む。上品な調度の中、国王が部屋の中で奥の机に向かって立っている。
その背後に最敬礼をして、声をかける。
「仰せにより、まかり越しました」
衣擦れの音と共に、声がかかる。
「今は立場は気にせず、話すとしよう。楽にして、かけてくれ」
頭を上げると、にこやかな国王がそっとソファーを指すので、そちらにかける。
「まずは、突然の呼び出しに関しては戸惑う部分もあるだろう。前王陛下、いや、父上と言うべきか。その件に関して、遺恨が無い旨を伝えたかったのが理由だ」
国王側も若干、表情は硬くしながらも、にこやかな表情は崩さない。
「いえ。献策に関しては、ロスティー公爵閣下の責とは言え、言い出したのは私となります。何か思うところがおありでしたら、私をお責め下さい」
「ふむ。そこが誤解の所以か。父上は過去より、退きたいと言うておったのでな。その意向を汲み、その上で父上をワラニカの発展の礎とした功績は大きい。ただ、公に褒められぬのが不憫であった故、この場を設けた」
「なれど……」
「気にするのは分かる。ロスティー公とも話はした。言える事は唯一つ。国を思っての行動、大義であった」
有無を言わせぬ気迫で国王が告げる。
「では、一点だけお願いがあります」
「ふむ、聞こう」
「陛下は国の重し。陛下がおられるが故、国として成り立ちます。政は臣民の務め。どしりと国の重しとしてあられる姿こそ、王に相応しいかと考えます」
「ふふ。ディアニーヌ様もよく言っておったな。薫陶は受けたか?」
「いえ。機会がありお会いした事はありますが、特に何かを教示頂いた事はありません」
「そうか……。ロスティーの元には面白き人間が揃うな……。分かった。心しよう」
そう告げると、国王がこくんと頷く。その姿を見て、再度最敬礼をして、部屋を出る。先程の子爵が待っており、開明派の控室まで誘導してくれる。国王に関しては、現実主義者か……。このまま進めば問題無いだろうが……。問題があるとすれば前王妃だろうな。あの目は恨みだ。古今現王の父母が政治を滅茶苦茶にした例は枚挙に暇がない。何事も無ければ良いとは思うが、先行きの不透明さには若干、溜息が零れそうになる。まぁ、何にせよ、一つの区切りだろう。男爵として如何すれば良いかに関しては一旦及第点だ。次は子爵になったけど如何すれば良いかがこの先の課題だろうな。そう考えながら、王城の廊下を進んでいった。




