第583話 式典前の憩い~ペールメントの躾の時間
ヒメはある程度大きくなるまではきちんと群れの中で育ったため、序列や噛む時の力加減、追いかける時の作法は分かっているし、興奮に身を委ねる事もない。タロの方はまだ小さい時に拾ったため、興奮で過剰に噛む度に、ペールメントに首元を噛まれて、無理矢理押さえつけられてはちょっと悲鳴みたいな声を上げている。ただ、遊んでいく内に学んでいるので、同じ事では怒られていない。徐々に躾けられる回数も減っていって、楽しそうな追いかけっこだけが続いていくようになった。
皆もお茶を飲み終わり、庭で戯れる三匹の共演を楽しそうに眺める。もう大人と同じような大きさの狼が三匹で力強く走り回り、転げまわるのだ。かなりの迫力のある見物となっている。ただ暫くすると、ペールメントが息を切らしてしっぽが若干下がってきたのが見えたので、タロとヒメを呼び戻す。
『まま!! たのしいの!! おそわったの!!』
『きょうじしてもらった!!』
ててーっと駆けてくると、機嫌良くお座りをしながらしっぽを振る。はっはっと荒い息で舌を出しながらも、喜びに溢れた思考を送ってくる。ペールメントは優雅に歩いて、ロスティーの元に向かう。私は土魔術で皿を生み、水を入れて、ロスティーに差し出す。
「やはり便利なものだな」
ロスティーが苦笑を浮かべながら、皿を受け取り、しゃがんでウッドデッキに伏せるペールメントに差し出すと、嬉しそうに飲み始める。もう二つ皿を生み、そちらも水を満たし、タロとヒメに差し出す。ぺしゃぺしゃと凄い勢いで三匹共、水を飲み干す。追加を二周ほど繰り返すと、やっと落ち着いた。伏せて荒い息を整えながら、ペールメントがウォフウォフと低い声で鳴く。
『おんなのこはすなおね。おとこのこはすこしやんちゃだけれど、きちんということはきくわ。しゅじんのおしえがいいのね。このままそだっていってもだいじょうぶよ。ただ、もうすこしおしえることはあるから、すこしわたしにあずけなさい』
慈愛を湛えた瞳で、ペールメントがタロとヒメを眺め、こちらを見つめる。私が目を見つめながら瞬きを入れて頭を下げると、ペールメントから快の思考が流れてくる。
「あらあら。最近は駆ける事も無かったのに、とても元気ね。若い頃に戻ったよう。ふふ、ありがとうね、アキヒロさん。この子が元気が無いと、ここも寂しいの」
ペルティアがロスティーに寄り添いながら、静かに微笑み、そっと声をかけてくれる。
「ペールメントは三代目だな。この家系は長く儂等の領地を守ってくれておる。出来た子供達は開明派の各員に配っておるでな。どこに行っても血縁がおるぞ」
ロスティーが伏せて息を整えているペールメントを撫でながら、教えてくれる。ふむ、開明派の狼達のグランマって感じなのだろうか。中々タロとヒメに同族の躾をつけてもらう機会が無かったので、一緒に遊びながら教えてもらうのなら良いだろう。
楽しい時間も終わりと言う事で、皆は自室で夕ご飯まで休むと言う事になった。移動だけとは言え、馬車での旅はかなり消耗する。ゆっくりと休んでもらえれば良いかなと。ロスティーはノーウェと打ち合わせを行うらしい。ティルトの件もあるので、早めに情報共有して欲しい。リズはペルティアと一緒に厨房の方に向かった。私は、二匹を連れて部屋に戻る。あれだけ運動したので、興奮が冷めたら、お昼寝タイムだろう。
部屋に戻って部屋のソファーに腰かけると、二匹が挟み込むように座ってきて、頻りに体を擦り付けてくる。自分の興奮を冷ましたいんだろうなと思いながら、頭を撫でる。
『かむと、だめなの!! めー、されるの!!』
『しゅんびんでだいたんだった!!』
両方からサラウンドで、ワフワフ、ウォフウォフと報告が入ってきて、苦笑が浮かんでしまう。余程に気に入ったのだろう。
『明日も遊ぶ?』
聞いてみると、すごい勢いで肯定の思考と、しっぽメトロノームの勢いの高まりを見せる。撫でているだけではちょっと興奮が冷めないようなので、ブラシを出して来て、二匹の毛を梳いていく。興奮してはふはふしていたのが、快感ではふはふするようになり、お腹の毛を梳き終わると、大分落ち着く。ソファーの上で、欠伸をしたと思うと、私の太ももに顎を乗せて、安心しきった顔でうとうととし始める。まぁ、私も少し根を詰め過ぎていたので、休むかなと、ゆっくりと二匹の頭を撫でながら、目を瞑る。太ももから伝わる温もりに心を溶かせて、しばし眠りの帳を降ろす事にした。
「……きて……ロ」
拡散した意識の中で外界の音を拾い、急速に覚醒する。
「起きて、ヒロ」
「ん……。あぁ、リズ。戻った?」
「うん、後は冷まさないと駄目だから。夕ご飯の後に仕上げだって。ふふ、もう、タロもヒメも面白い事になってる」
リズが、足元に目をやって、笑いを堪えている。ふむと視線を下げると、寝返りを打ったのか、私の太ももを枕に、二匹が仰向けになって、両手をくいっと曲げて、でろーんと伸びている。
「なんだか、おじさんみたいな寝相だ……」
「あは、お父さんも疲れている時はそんな感じで、居眠りしてたよ」
偶にぴくぴくと前脚を動かしながら、緩んだ顔で、寝入っている。顎の下辺りを掻いてあげると、むふーっとした笑顔みたいな表情を浮かべて、すりすりと無意識に擦り寄ってくる。そのまま首元を掻いていると、ふわっと二匹共目を覚ます。ころりと体勢を戻し、はてなという顔をして、ソファーを降りて、てとてとと箱の方に戻る。まだ寝足りないのか、くるりと丸まり、ふわと欠伸をして、そのまままた眠りに落ちようとする。
「馬車の旅も慣れたとはいえ、心労は募るだろうしね。久々に力いっぱい遊んだから、疲れちゃったのかな」
「嬉しそうだったもんね。あんなに楽しそうに遊んでいる姿、初めて見たよ」
「うん、まぁ、滞在中はペールメントにお世話を任せちゃおうかな。ここの庭師の人が面倒を見ているようだから、一緒に見てもらえば良いだろうし」
そう言うと、リズがふわりと微笑む。
「そうだね。楽しんでお留守番してくれるなら、良いかな。」
そんな事を話していると、部屋がノックされる。夕ご飯が出来たとの事なので、食堂に向かう。食事は移動続きなのを考慮してか、かなりあっさりとしたものが多かった。ただ、遂にサラダの中にキュウリを発見した時には喝采しそうになった。かなり大きなキュウリで種もトマトのように少し固かったが、まぎれもなくキュウリだ。トマトとキュウリのサラダをこれで作る事が出来ると、喜びを噛みしめた。やはり野菜の種は何が何でも持ち帰りたい。
食後は、そのまま解散となった。ノーウェとは移動中にも話はしていたし、ロスティーとは東屋である程度の話は出来た。式典の流れも大体は理解している。特に補足が無いようなので、そのまま部屋に戻る。タライだけを用意してほしい旨は伝えてあったので、部屋の前に大き目のタライが二つ置かれていた。明日は土間でも借りて樽風呂に浸かるかと思いながら、お菓子の仕上げが終わったリズと二人で体を清める。その間に、タロとヒメは寝ぼけながら、食事を取っている。リズの髪を乾かした辺りで、水を渡すと、飲み終わった途端、また眠りに就いてしまった。余程疲れたのかな。
ベッドに潜り込むと、先程うとうとしていたのに、一気に睡魔が襲ってくる。ふむ、気付いていなかったけど、私も疲れているのかな。そんな事を考えながら、リズの寝息を子守唄に意識を手放した。少しだけ開けた窓からは、爽やかな夜気が部屋の中の空気を撹拌し、頬に微かに触れながら、対流し続けていた。




