第579話 王都への旅路~営業という概念の萌芽
夕ご飯に関しては、メインはイノシシの燻製を炙った物だった。ただ、スープを口にした瞬間、驚いた。イノシシの骨を使った出汁の取り方はレシピとして渡していたが、きちんと肉を掃除して手入れした骨を長時間沸騰させずに煮込んだのだろう。白濁せず、透明なスープは見た目に反して非常に濃い出汁と一緒に炊いた香味野菜の甘味が濃厚に抽出されていた。私だと、ネギ辺りでさっぱりした味を加えるが、レモングラスやハッカに近いハーブをふんだんに使って、少し東南アジア系のテイストに仕上げている。トルカの南の森から採れるスパイスはやはり影響が大きいなと感心しながら、初めての味を堪能する。レシピから創意工夫を加えて、きちんと料理として成り立たせるんだから、やはりノーウェの料理人は優秀だ。アレクトリアがあれだけの水準だったのも分かる。
湯上りで火照った体を先程渡した氷で冷やしたワインで静め、談笑を楽しみながら食事を終える。仲間達も、移動が始まってからゆっくりと食事をするのも久々だったので大いに楽しんでいるようだった。
また後で呼び出しかなと思いながら、リズと一緒に部屋に戻ると、扉を開けた音を聞きつけて、タロとヒメがひょいっと飛び乗ってくる。咄嗟に受け止めたが、勢いづいていたので腰に悪い。
『まま、さみしかったの!!』
『ぱぱ、もどらない!!』
到着してすぐにお風呂の用意、その後はノーウェの相手をしていたので、お冠だ。お風呂上りのリズが構っていたようだが、ちょっと寂しかったか。食事はお風呂上がりにあげてくれたようなので、床の上に寝転がって、二匹の好きにさせる。しぱたしぱたと大きくしっぽを振りながら、ぐりぐりと体を擦り付けながら、体の上を行ったり来たりする。
「物凄く甘えているね」
「流石にここまで大きくなると、ちょっと踏まれると痛いよ」
「ふふ。愛されているね」
リズが笑いながら、二匹の頭を撫でると、上機嫌でリズの方にもじゃれつきにいく。一頻り相手をしていると満足したのか、何故か二匹共お尻を私の体にくっつけてころりと横に転がる。
「寝ちゃったね」
「うん。どちらにせよ、後でノーウェ様の呼び出しがあると思う。リズも先に寝ちゃう?」
「うーん、お酒、飲むんだよね?」
リズが腕を組んで顎に左手の人差し指を当てながら、宙に向かって視線を送る。
「だと思うよ」
「と言う事は、それなりに遅くなるかぁ。分かった、先に寝ておくね」
そう言いながら、リズがもぞもぞと横に寝転がってくる。
「どうしたの?」
「ん? ふふふ。タロとヒメが羨ましいから、私も」
そんな事を言いながら両手を差し出してくるので顔を近づけると、ぎゅっと引き寄せられる。軽くお酒が入ったリズの体温は温かく、気を許すとそのまま寝入ってしまいそうだった。暫くそのまま王都に着いた後の話をしていると、部屋の扉がノックされる。声をかけると侍女のようで、ノーウェのお誘いだった。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
タロとヒメを抱えて、箱に戻して、リズに告げる。
「あまり飲み過ぎないようにね。明日も移動だよ」
「はーい」
笑顔で送られて、試作のリバーシを片手にそのまま侍女に着いていく。ビール用にお土産のスルメを持って来て欲しい旨だけ伝える。
「やあ、よく来てくれたね」
部屋にはノーウェともう一人二十代後半程度の男性が座っている。会った事は無い人間のようだが……。ちらりと目を向けたのに気付いたのか、ノーウェが補足する。
「あぁ、初めてだったね。こちらは開明派のティルト男爵。ティルト男爵、こちらは今回子爵に陞爵するアキヒロ男爵」
ノーウェが紹介してくれると、かけていたティルトが席を立ち、こちらに歩んできて、両手を差し出してくる。右手を伸ばすと、がしりと握手をされる。
「初めまして、御高名はかねがね。新しい町『リザティア』の領主にして、救国の英雄ですか。うちの領地にもその名は轟いております。お会い出来て光栄です」
にこやかに褒め殺しながら、ぶんぶんと両手を力強く振ってくるが、その目の奥は笑っていない。あぁ、こっちの世界では初めて見たな。日本ではよく見かけていた。あの人間を値踏みをする目だ。
「初めまして。領地に籠もりきりで中々他の貴族の方とお会いする機会が無いもので。今後ともよろしくお願いします」
軽く微笑みながら、挨拶を交わす。
「元々、十三の時から商家で十年かな。その後、ウェスティン伯爵閣下が見出して、ノーウェティスカの北の領地を四年治めているよ。隣領だからね。交流はずっとあったんだ」
二十七か、若いな。後、初めての貴族の名前。心のメモ帳に記しながら、ノーウェの話に耳を傾ける。
「ティルティスカ自体はそれなりに結果を出しているね。このままいけば、問題無く来年には陞爵の予定なんだけど……」
ノーウェが苦笑を浮かべると、ティルトが言を継ぐ。
「四年男爵をやってきましたが、あまり興味の湧く仕事でも無いので。見出して頂いたウェスティン伯爵閣下には申し訳無いですが、後任に任せようかと考えています」
ティルトも苦笑を浮かべながら、告げてくる。
「五年で男爵から陞爵されるのも才能かと思いますが……。何か問題でもありましたか?」
そう問うと、ティルトが頭を振る。
「問題と言う事では無いですが。私としては商売の方が向いているのでしょう。アキヒロ男爵のように自身で開発を進める気概もありませんので、単調な日々に嫌気はさしていますね。自分で作物を売る方が楽しいですが、中々立場が邪魔をして出歩くのも一苦労です」
朗らかに言っているが、本気で嫌がっているのは目を見ればわかる。ふぅむ、この人間を紹介した意図が分からない。
「まぁ、折角の機会だから、君を紹介して何か得る物があれば良いかなと思ったんだよ。貴族を続けるにせよ、今後どのように生きるにせよね」
ノーウェが笑いながら告げる。なるほど……。試してみるかな。
「そうですか。良い機会です。少し色々な方から、意見を聞きたく思っていたので。見てもらえますか? 今は石材ですが、これを元に木材で作るつもりです」
そう告げて、馬車で試していた試作のリバーシを差し出す。盤は中折れ式になっており、鉱魔術で作った真鍮の蝶番で固定されている。マスの中心はコマのサイズより心持ち大きめに凹んでいる。コマは御影石と白い大理石が等分で一枚になっている。土魔術が3.00を超過した辺りから、他の石材を合成して生めるようになった。凹みの厚さは丁度コマの半分程度で馬車の横揺れでズレないくらいの深さになっている。
「これは、リバーシの新しい形ですか。なるほど、馬車の揺れへの対策ですか。確かに馬車で遊ぶには若干不向きでしたね。実に面白い」
ティルトが目を輝かせながら、呟く。興味に関しては本気か……。
「価格をどうするかと、実際にどうやって売っていくかを現在は検討中ですね」
「そうですか……。コマに関しては既存のコマを貼り合わせて作るのは可能でしょうね。問題は盤の方ですか。若干塗装の難度は上がりますし、加工の手間ですか……。ふーむ。ロスティー公爵閣下の名義で売り出しているリバーシの卸値が大体二万ワールで実売価格が四万と言うところです。こちらであれば、卸値で六万、国の端で八万、他国に流すなら十万以上で見込めば良いかと考えます」
「倍の価格ですか。かなり強気な値付けですね」
農家の年収の一月分か。その根拠はなんだろうかな。
「馬車に乗っている際にまで遊びたいのは貴族か豪商に限られます。その人間にとっては差額ははした金です。実際に使える方が余程価値がある。私もロスティー公爵閣下より買い付けましたが、貴族や豪商の方との話し合いの端緒に非常に役立っております。やはり、興味を引く、同じ目線で話が出来ると言うのは商売上、重要ですので」
対象顧客の特定、営業戦略もきちんと持っているか……。この人は、あれだな。商売人と言うより営業に特化している人間の可能性が高いな。開発そのものに興味はなく、その利用用途に対してシビアに値付けが出来る人材なのだろう。
今後の販売に関するビジョンなどを話していき、ある程度形になったところで、ノーウェが私と二人で話したいと告げると、一礼して部屋を出ていった。送っていった侍従とは別に侍女がビールの入ったワインクーラーと横に裂いたスルメを始め、軽食をワゴンで運んできた。
「改めて、再会に乾杯かな」
ノーウェがグラスにビールを注ぎ、杯を上げてくるので、こちらも上げる。
「再会に。お土産に何枚か持ってきましたが、イカを完全に干した物です。そのままでも食べられますし、出汁としての利用も可能です。保存期間は格段に上がっていますので、保存食としても利用可能です」
「海産物を保存食にかぁ。兄ぃが泣いて喜びそうな代物だね」
ノーウェがそんな事を言いながら、スルメを摘まんでもきゅもきゅと噛み始める。
「うん。ほのかな塩味と素材の味が調和している。若干の生臭さは感じるけど、ビールと一緒に食べるにはそれもまた味かな。良いね、これ。もう、販売は始めているのかな?」
「出来上がったのが最近ですので、まだ限られた層だけですね。温泉宿の食事で出してみて反応を見ながら売店で売り出していますが、反響は良いです。他にも乾燥させた素材とレシピはお渡ししていますので、お試し頂ければと考えます」
そう告げると、微笑みと苦笑半々の表情を浮かべて、ノーウェが口を開く。
「君は本当に……。いや、詮無い事か。それでも、移動して式典に参加する時間で莫大な富を生み出しそうな物を開発するんだから、損失だよね……」
「それは買いかぶり過ぎかと。で、ティルト男爵の件ですが、どうなさるおつもりですか?」
グラスを傾けながら聞くと、ノーウェも思案顔に変わる。
「正直、彼の才能が良く分からない。商家時代の報告を見てみたけど、それ程大きな商家でも無かったんだよ。ただ、利益は大きく出していた。その辺りを見込んで貴族にと誘ったようなのだけど。男爵のままなので、市井に戻るのは問題無いけど、そのまま放り出すというのも外聞が悪いしね」
「私の方で引き取りましょうか? 彼の特性は営業のようですし」
「エイギョウ?」
あぁ、この世界に営業の概念は無いのか、翻訳されていない。基本的にこの世界においては、必要な分を必要なだけ仕入れて捌くのが商売な感じだ。ただ、今後はこちらから切り出していく形での商売も進めたいとは考えていた。
「例えば、先程話にも出ましたが、風呂と手押しポンプの件を考えて下さい。風呂と言う物を作っても、水を汲む労力を軽減させなければ運用が出来ません。その運用の部分を説明し理解させた上で、手押しポンプも一緒に売る。現状では客側が商品の運用を想定しなければいけませんが、そこを能動的にこちらから提案するという形ですね」
そう告げると、ノーウェが瞑目し、考え込む。ふーむ、概念が無い事を説明するのはちょっと難しい。
「このスルメですが、適量の水に半日も浸けておけば出汁が引けます。またそれを刻めば具材として利用可能です。塩漬け肉でも同じような運用は可能ですが、味が濃いのとかさばる為使いにくい部分は有ります。そう言うノウハウを提示した上で、付加価値をつける事によって値段を釣り上げてもお客様の方は納得し、買いやすくなるというのが目的ですね」
「あぁ、そう言う事か。私達だと、使い方の部分は秘匿しがちだけど、敢えて提示する事によって価値を上げると言う事かい?」
「はい。どうせ、使い道なんて時間が経てば口伝に広まって、陳腐化します。それなら、初めから儲けに織り込む方が余程ましかと考えます。相手に具体的な運用を伝えた上で、それを価値に変えると見て下さい」
「ふーむ、それが営業だったかな。その素質と言う訳かい?」
「はい。彼は物事の本質を見抜く才能が非常に高いのでしょう。一つの物から運用方法を複数模索して相手に提示出来る。だからこそ利益を大きく保てていたと想像します」
そこまで話すと、ノーウェが目を開く。
「君は人物眼もあるか……。うん、君に預けてみようかな。彼も君には興味がありそうだったしね。ちょっとまだ営業と言う概念の部分が理解出来ていない。出来れば実績として見せてもらう方が良いかな」
「分かりました。ティルト領の引継ぎの方は問題ありませんか?」
「それは大丈夫。後任も本人が見出して、任せ始めているようだから。一旦領地に戻って片付ければ終わる話だよ」
「では、その心積もりでおります」
ノーウェがやれやれといった表情で、肩を竦める。まぁ、開明派の同胞の去就だ。気にはしていたのだろう。
「しかし、人の特性と言うのは良く分からないよ。君に関しても何かをしそうって感じたから任せてみたけど、結果はこうだしね」
ノーウェが若干呆れ混じりの笑顔で告げてくる。
「それは後ろで必ず支えて下さると、信じられるから頑張れるのでしょう。包容力と決断力こそが、ノーウェ様の持ち味かと」
「そう言ってもらえると、嬉しいよ。ティルトには道中で話をしてみる。問題無ければ、この話で進めようか。さて、飲み直しといこうか」
ノーウェが安心した顔で、改めてグラスに濃い琥珀を注ぐ。お互いに杯を上げて、ぐいと飲み干す。
さて、営業部隊がこれで作れるかな。今までは開発に特化して来たけど、今後は能動的に討って出られる。ニーズのヒアリングも可能になるだろう。そこから新しい物を考えていければ良いかなと。少しだけ、面白くなってきたなと心が疼いた。




