第578話 王都への旅路~ノーウェティスカ到着
町の入り口の門で身元照会が終わった途端、馬が領主館に駆けていくのが見えたが、出来ればそのまま向かわして欲しいなと。いつもなら焦りはしないが、馬車が止まった途端、体から湯気を軽く上げながらカタカタと震えているテスラの姿を見ていると、少しモヤモヤとはする。
「テスラ……着いたら、土間かどこかを借りて、お風呂に入って。馬の世話はこちらで対応するから」
馬車の幌の中から顔を出して、テスラにそっと告げる。振り返り、少し唖然とした顔を浮かべたテスラがにこりと笑って、首を振る。
「お気遣い、ありがとうございます。でも、あまりご心配には及びません。軍行動でも雨天行軍はあります。馬の世話は私の役目です」
「テスラ、明日以降も移動は続くよ。自分の体の心配をして欲しい」
そう告げると、テスラが考え込んで口を開こうとしたタイミングでノーウェの部下が馬に乗って現れる。
「アキヒロ男爵様ですね。お待ちしておりました。先導致します」
騎馬兵が二騎がくるりと馬首を回し、先導を始める。それを見たテスラが、その後ろに並んで、ノーウェティスカの真ん中を抜けていく。町は夕方の雑踏の時間帯で騎馬達が声をかけて大通りがさぁっと開けていく。視界が完全になくなる程ではないが、雨音で馬車の接近に気付いていない人は多いので、正直助かる。繁華街を抜けると人足が途絶えたので、騎馬も速度を上げる。そのまま久しぶりの領主館の玄関前のロータリーまで一気に進む。カツカツと石畳の上を闊歩しながら速度を緩め、玄関前で停車する。
馬車から降りると、ノーウェが玄関まで出向いてくれていたので、そのまま挨拶に向かう。
「お久しぶりです、ノーウェ様。式の際はありがとうございました。その後、体調は如何ですか?」
「久しいね。うん、大丈夫。今回はよく来てくれた。雨が降りそうだったから、明日になるかと思っていたけど、強行軍だったんだね」
「テスラが頑張ってくれました。出来れば土間でもお借り出来ればと思います。湯浴みをさせないと風邪を引きそうなので」
そう言うと、ノーウェがにやりと笑う。
「君の館を参考にして、試験的に浴場は作らせたよ。湯の用意はまだ出来ていないのだけど、頼めるかな。馬の方はうちの馬丁に任せてくれたら良いよ」
おぉ、公衆浴場を作るとか言っていたので、その試験用かな? ありがたい話だと思いながらテスラにその旨を告げると、恥ずかしそうに御者台から降りようとするので手を貸して、エスコートする。
「あの……ありがとうございます、お気遣い頂いて……」
「私ではないよ。ノーウェ様のご厚情。だから、お礼はノーウェ様に伝えて欲しい」
テスラが玄関の方に進むと、侍女が渇いた布を渡してくれるので、それで体を拭い始める。
「お疲れ様。まだ余裕があるとはいえ、ここで急いでもらって助かった。雨の中苦労をかけたね。良かったら、皆と一緒に温もっておいで」
ノーウェが優しい笑顔で告げると、テスラがこくんと頷き、感謝の言を述べる。手荷物を持った皆が、馬車から降りて来て、お風呂と聞くと喜び始める。道中は樽風呂で済ませていたが、昨日は屋敷の中というのもあって、タライで体を清める程度しか出来なかった。しかし、昔に比べて贅沢にはなったのだろうと考えながら、苦笑を浮かべる。リズがある程度体を拭ったテスラに持ち込み用の荷物を手渡す。
「じゃあ、案内するね。男性陣は後で一緒に入ろうか。まずは、女性陣からかな。着いてきて」
ノーウェが楽しそうに先導を始める。男性陣は各部屋に案内されているようだ。私はお湯要員として、ノーウェの後を追う。厨房に続く廊下を歩いて行き、入った事の無い部屋の扉を開けると脱衣所が見える。そのまま奥の引き戸を開けると、二十畳ほどの空間に四畳半程度のサイズの岩風呂が一段低く作られている。岩の間はコンクリートで埋められており、足元は陶器のモザイク模様で覆われている。深さは五十センチ程と浅いが、きちんと排水口も見えるので、態々このために下水の経路を作ったのだろう。端の方では煙突が付いた竈と手押しポンプが見えるので、ここで湯を沸かして足すのだろう。冷えたテスラを思い、四十四度程度の少し熱めのお湯を生んで、湯船を満たす。
「やはり便利だよね。水魔術士は欲しいけど、中々引退する人もいないから難しいね。おっと、無駄口か。さぁ、お嬢様方。ゆったりとお楽しみあれ」
ノーウェと私が脱衣所を抜けて、扉を閉じると、中から喜色を帯びた歓声が微かに響いてきた。
「喜んでもらえたら良いんだけどね」
ノーウェがほっとしたような表情でやや苦笑を浮かべる。
「いえ、驚きました。あのような設備をこの短期間で作られるとは」
そう告げると、少しだけ嬉しそうな表情に戻る。
「前から、侍女にはせっつかれていたからね。まぁ従業員の士気向上と華やぎのためかな。表に出る仕事だから身綺麗にする必要はあるしね。思った以上に薪は使わないけど、水は使うね。ポンプを開発してもらわなかったら、ちょっと実運用は不可能だったかもしれない。あの大きさの湯船を満たすだけの水を汲むだけで力尽きちゃうよ」
そんな事を言いながら、ノーウェが執務室の方に向かう。扉を開けて、ソファーを進められかけた瞬間、ノックの音とノーウェの応答。侍女がワゴンを押し、お茶と簡単なお菓子を用意してくれる。ワゴン車もきちんと使ってくれているか。帰りがけに幼児くらいの大きさの氷柱を生み、持っていってもらう。
「改めて、お疲れ様。忙しいだろうに、式典のためとはいえ申し訳無いね」
ノーウェがソファーにかけ、若干苦笑を浮かべながら切り出す。
「いえ。男爵叙爵の際には不義理を致しましたので。陞爵に当たって顔を出さないとなれば、問題となるでしょう」
「そう言ってもらえると、助かるよ。ここまで国の為に尽くしてくれている人間を顎で呼び出すというのは非常に気に食わないけど、行事は行事なんだよね。はぁぁ、小雀が騒がなければ、そもそもこんな手間を取らさずに集中してもらえるのにね」
ノーウェが非常に遺憾といった表情で、はぁぁと深い溜息を吐く。
「まぁ、貴族の方々が一堂に会されるのであれば、ご挨拶も必要かと考えます。新参がいつまでも領地に引き篭もっていては、あらぬ噂を立てられるやも知れません」
そう答えると、ノーウェが頭を上げて、天井を眺めながら右手で顔を覆う。
「儀礼かぁ。義理というのも大変だ。それでなくても、君が領地にいてくれるだけで、国が潤うのにね。はぁぁ、無駄だ、無駄だ」
そんな事を言いながら、上体を戻し、カップを持ち上げて傾ける。ふむ、紅茶かぁ。物の流通自体はあるけど、最近は自分でブレンドするハーブティーに凝っているので特にお茶と気にせず飲んでいたな。でも、そろそろコーヒーは禁断症状を超えてしまった。カフェインが無い状態が普通になってしまった。地球に戻れば味わえるけど、やはり仕事中の気分転換に楽しむ事が出来るのがベストだ。人魚さんにそこは期待しておこう。
私もカップを傾けて、香り高い茶葉を楽しむ。もう暫くしたら新茶の時期か。そこから発酵なので、もう少しタイムラグはあるかな。出来れば緑茶を楽しみたいなとは思う。
「ふぅ。馬車に乗っている間は若干肌寒いかなと思っていましたが、いざ館に入ると蒸していますね」
「はは、そうだね。もう六月も終わりだし、これから暑くなってくるよ。まぁ、今日は雨で濡れると冷えるかな。ゆっくり温まって、食事と冷えたワインでも楽しもうか」
ノーウェがくいとカップを空けると、式典の注意事項に関わる話が始まった。やはり、開明派はさておき保守派と王家派の方は注意が必要なようだ。王家派に関しては無視すれば良いだけだが、保守派に関しては絡んでくるらしいので性質が悪い。やり込めても問題はないそうなので、叩き潰すか。人魚さん絡みでもそれなりにムカついている。
一通りの式典の式次第を確認したところでふと気づく。
「そう言えば、ロスティー様はまだお見えでは無いのですか?」
「あぁ、父上は領地を回ってから直接王都に入る予定だよ。ダブティアの件や外務の所為で領地に全然手が回ってなかったからね。支援はしているけど、やはり現場は弛んじゃうからね」
ノーウェが心底の苦笑を披露してくれたところで、ノックの音が響く。女性陣が風呂を上がったようなので、私も荷物を持ってノーウェと一緒に風呂へ向かう。ロットとドルも侍女に案内されて合流して、扉を開ける。
「そう言えば、お土産は渡してもらえたかな?」
ロットに問うと、頷きが返る。
「はい。部屋を案内してもらった際に侍女に渡しました。ビンも一緒に渡していますよ」
おぉ。風呂上がりのビールを楽しむにしては、少し人数が多いか。どうせ食事の後には、また遊ぶだろうし、その際にでも楽しむかと服を脱いで、浴場に向かう。さっと頭と体を洗い、熱い湯船に身を浸す。お尻に当たる陶器の感触と背中に当たる岩の感触が気持ち良い。確かに温泉宿の露天風呂は岩風呂にしたけど、余程気に入ったのかな。
「お風呂の評判は如何ですか?」
布をぽてんと頭に乗せて、ノーウェに聞いてみる。
「うん、非常に良いよ。士気向上なんて言ったけど、精神的な話だけじゃ無くて実際に健康面でも効果が出ているからね。寝つきが良くなったというのもあるし、清潔に保つ事で病気になる事も減ったよ。やっぱり忙しいからね、皆。休まれる方が痛いけど、それが無くなるのなら、薪のコストなんて安いものだしね」
ぱちゃりと肩にお湯をかけていたノーウェが腰をずらして、一気に肩口まで浸かる。
「それにお客の評判も良いよ。貴族連中は初めての代物だしね。入ったら、絶対に自領にも作るって。運用も良く分かっていないのに、大変だろうね。後は、豪商連中は君のところの歓楽街の良い宿に泊まっているでしょ? 風呂を知っているからね、喜んで入っているよ」
にこやかに、日向の猫のような表情で、ノーウェが告げる。
「さて、じゃあ、上がって、食事にしようか」
ざぱりとノーウェが上がるので、皆も連れ立って上がる。減った分は熱湯を足して、後で従業員が楽しめるようにしておく。流石に熱いので、今すぐは入れないが、食事の後辺りで順番に入ってもらうのなら問題無いだろう。さて、ゆったりと食事でも楽しもうか。そう思いながら、体を拭っていった。




