第572話 きーきーみーみーずーきーんー
窓から入り始めた淡い光に目を覚ます。隣で眠るリズの頬に触れ、窓から外を見ると、散り散りの雲が流れていくのが見える。上空は風が強いようだが、窓からは春の暖かな微風が入ってくる。五月十九日も晴れかな。穏やかに夜が徐々に朝に変わるさまを眺めながら、カップの白湯を含む。もう寒いと言う程ではないが、朝は少し冷える。喉の渇きを癒すのと寒気を払うつもりで入れた白湯の湯気が揺れるのを楽しむ。何気なく庭木で鳴きあう鳥達の声に耳を傾ける。ピチッに近い鳴き声で鳥の種類は分からない。日本で見た鳥と似た鳥もいればそうでない鳥もいる。何となくの悪戯心で何を話しているんだろうと思った瞬間、鳥達の会話が意味のある言葉に置き換わる。
『たべもの、あったー』
『どこー?』
『むこうー』
『じゃあ、いくー』
ピチ、ピチピチッと言う会話が、食事を誘う会話に変換されて、口に含んだ白湯を吹き出しそうになった。今まで鳥の会話なんて分からなかった。カモ達もあくまでニュアンスが伝わる程度だ。ある程度意思疎通出来るのは、脳がそこそこのサイズの生き物だけだった。子犬や子猫辺りまでが限界だっただろう。そこまで考えて、『馴致』2.00の効果かと思い当った。移動の最中に窓辺で、鳥の会話に心を向ける余裕なんて無かった。ますます聞耳頭巾だなと苦笑が漏れてしまった。その内、川の中の黄金や、病気の娘さんの治し方を動物が教えてくれるかもしれない。そんな事を考えながら、飲み干したカップを片手に厨房の方に向かう。汚れ物を渡して、タロとヒメの食事を預かり、部屋に戻って二匹を起こす。食事と水を用意して、箱から離れベッドに向かう。
枕の上では、日向で微睡む猫のような微笑を浮かべたリズが、寝息をたてている。昨夜の痕跡が残っているのをお湯で絞った布で拭っていく。心地良いのか、くいくいと頬を押し付けてくるが、ふと目を覚ます。
「あ、ヒロ……。おはよう……」
「おはよう、リズ」
「これ、好き。ふわぁぁ。んくー」
上体を起こしたリズが体を伸ばす。両腕を降ろした瞬間を狙って、脇に手を入れて、ベッドから引き出す。その感触にクスクスと笑う。
「もう、起きるよ……。ん、どうしたの? 機嫌が良い?」
「機嫌が良いと言う訳じゃないけど、少し気付いた。鳥の声が分かるようになった」
そう告げると、リズが目を丸くする。
「そうなんだ。タロとヒメだけじゃないんだね」
リズがそっと隣に来るので、一緒に窓辺まで移動する。そっと窓から覗くと、また別の鳥がチチッと鳴いている。
「んー。そろそろ暖かくなるから北の方に移動しようかって。渡り鳥なのかな」
「寒いところが好きなんだ……」
「繁殖する場所がそこなんだと思うよ。環境が悪いとその分、ライバルは少ないだろうし」
そんな話をしながら、窓を閉める。タライにお湯を足して、布を濡らす。体を清めるのを手伝おうかと問うと、背中を向けて服を脱いでくれるので、そっと拭っていく。細かい部分はリズに任せる。服を着たのを確認して、最後に汚れた水を処理する。
「はぁ、さっぱりした」
リズが笑顔で言うのを聞いていると、ノックの音が聞こえる。朝ご飯の時間らしい。
食堂で皆の予定を確認すると、午前中は訓練に参加して、午後は温泉宿でゆっくりするらしい。旅の疲れもあるので、ゆっくりと日常に戻ったら良いと思う。ティアナがうきうきしていたので、旅行前に綺麗になっておきたいのだろう。潮風で髪や肌への影響もあっただろうし。
食事が終わって私は部屋に戻る。昨日預かった書状の返事を書かなければいけない。封蝋を解いて、中を確認していく。どうも一定のフォーマットがあるのか内容的には、ほぼ同じだ。特産の何々がそろそろ旬を迎えるみたいな部分で差があるので、その辺りを加味して返信用のフォーマットを作って、書状分書いていく。ノーウェにもらった領地一覧と照らし合わせると、僻地の貴族はまだ通知が届いていないか、書状を送っている最中なのだろう。予備で一通だけ残して、宛名を記載していく。
粗方の処理が終わり、問題の王家派の手紙を開ける。中身を見ると、ほぼ同じ内容だったが、一点大きな違いがある。今回の告知で責任者の情報として代官役の家宰の情報も一緒に告知しているはずだ。その際に、結婚相手のティアナの名前も併記されている。もしティアナが自分の知るティアナであったら、祝辞を伝えて欲しいと言う趣旨だった。別の封筒も入っている。これ、ティアナのお父さんじゃないのかな?
封筒を持って、練兵室に向かう。ロットと一緒に諜報と斥候役の訓練を行っているティアナを探して、呼んでみる。
「珍しいわね。どうしたのかしら?」
問うてくるティアナに封筒を渡す。怪訝な顔で送り主の名前を見て、明らかに嫌そうな顔に変わる。
「知らない人よ……」
そっと封筒を返してくるが、あれだけあからさまに変化した表情を放っておく訳にもいかないなと。
「もう家を出て、新しい家を作ったんだから、他人は他人だよ。その上で、確認だけでもしておく方が良いんじゃないのかな?」
そう告げると、ティアナが少し逡巡した後、封印を剥して、中を確認する。ざぁっと目を通して、瞑目し、差し出してくる。中を読むと、家を出た事に関しては特に気にしていない。機会があればカビアと挨拶をしたい旨と、もし孫が出来れば一目会いたい旨が記載されている。
「良いお父さんじゃないの?」
「目的が分からないわ。だから接触はしない」
ティアナが簡潔に答える。
「分かった。無理には言わない。ただ、返事は書くし、王家派とのつなぎは欲しいから今後は接触する可能性がある。それだけは了承して欲しい」
「えぇ。それは政治の話だから、特に気にしない。ただ、あまり利益のある相手では無いわよ」
ティアナが自嘲気味に告げてくる。
「それでもティアナの情報をきちんと探し出して、連絡をしてくるだけ情報の取捨選別は出来ていると思うけど……。まぁ、過度には接触しない。それで良いかな」
「……。申し訳無いわね。私の都合で領の運営に問題を起こすのならば……」
「気にしなくて良いよ。仲間の望む事だしね。それに、必要となれば他の線を探すよ」
そう告げると、封筒を返してくるので、それは私宛てでは無くティアナ宛てだと伝えると、そっと荷物の中に仕舞い込んだ。
丁度、話が終わった頃に、昼ご飯の旨が侍女から知らされたので、皆で向かう。食堂でティアナがカビアにそっと封筒を渡していたので、大きな問題は無いかなと思う事にした。
食事が終わり、皆がテスラに連れられて、温泉宿に向かう。テスラにも別途お小遣いは渡しているので、ゆっくりして欲しいかなと。
私は五稜郭の一角に建てた塔に訪れる。大量の窓が開いた塔。中に入ると、独特の臭気が充満している。掃除はしているのだが、どうしても数が多いので、大変なのだろう。
「これは、領主様。本日はどのようなご用件で?」
「少し鳩に用があります」
「しかし、まだ教育中ですが……」
「はい。それは分かっています。少し試したい事があります」
鳩の管理人と少し話をして、最上階の大きな空間に向かう。それまでの階にいた鳩には声をかけて、上に集まってもらった。最上階に着くと、そこには壁に這わせた足場一面に鳩が止まっていた。
『こんにちは。これで全員かな?』
『馴致』で聞いてみると、全ての鳩が集まっているらしい。
『今日からここが、貴方達の家です。きちんとここに帰って来て下さい』
そう伝えると、クルクルと返事が返ってくる。
『いえー?』
『ほんきょちー』
『ほんきょち、おいしいですー?』
『ごはん、おおめー』
『いい、おうち……』
『かえってくるー』
暫く騒いでいたが、餌もきちんともらえるので、帰巣先にするのは納得してもらえたらしい。
『じゃあ、今日は餌を採ったり、遊んで来て下さい。日が落ちるまでに帰って来て下さいね』
そう告げると、それぞれの鳩が相談して、窓から飛び立っていく。遅れて上がってきた管理人が仰天していた。
「まだ慣れていないので、塔の中を確認している段階でしたが……。大丈夫ですかね……」
「全数の把握はなさっていますか?」
「はい。目印は付けていますので、分かります」
「じゃあ、夕方に戻って来た鳩を確認して下さい。もし全数が戻ってきたら、伝書鳩として使えるでしょう」
伝書鳩は片方向にしか飛ばない。要は帰巣本能に合わせて、巣と思う場所に戻ってくるだけだ。育成に時間がかかるのは、ここを巣と認識させるまでに時間がかかるからだ。先程の『馴致』の指示でここを巣と認識してもらえるなら、もう伝書鳩として使える。これでやっと他の領地とのやり取りが円滑化出来る。
そんな事を考えながら、塔から降りて、執務室に向かう事にした。




