第557話 しばしの別れ
翌朝目を覚ますと、胃の辺りがずんと重い。最近、少し食べ過ぎが続いている。胃薬が欲しいなと思い、そう言えばホップがあったかと苦笑が浮かぶ。ビール造りにばかり目がいっていたが、元々健胃効果のある植物だった。後で薬師ギルドで貰った分を飲んでおこうと思い、窓を開ける。五月九日は薄曇りだが、雨には程遠い。あまり日が照り過ぎるのも移動には辛いので丁度良いのかな。思いの外、風も暖かい。
嵐のような厨房から、鳥の腿肉をもらって、部屋に戻る。いつも通り、タロとヒメに食事をあげて、水を生んでおく。
リズを起こそうと近付くと、微かなアルコールの香り。若いと言っても、連日付き合っていれば、もう限界か。カップに冷たい水を用意して、頬にぺたっとくっ付ける。その瞬間、ぱちりと目を覚まして、ずざっと布団を巻き込みながら、後退る。
「え!? 何っ!!」
リズが頬を抑えながら、聞いてくるが、ふらりと崩れ落ちそうになる。
「うぅ……。まだ、世界が回っている……」
俯き苦し気に息を吐くリズをそっと支えて、カップを差し出す。
「ありがと……」
言いながら、こくりと口に含み、後はごくごくと飲み干す。足りなそうなので、もう少し足すと、それも飲み干してしまう。
「くらくらするのは、ましになった?」
そう聞くと、部屋を見渡し、首をくるんくるんさせて、頷く。
「うん。大分ましになった。うー、起きた瞬間、凄く気持ち悪かった」
「ちょっと飲み過ぎだと思う。そろそろ適量を探さないと駄目だね」
「身に染みた……。ヒロ、ありがと」
「どういたしまして。立てるかな?」
そう言いながら手を伸ばすと、それを支えに、ベッドから立ち上がる。ふらつく事も無く、問題無く起き上がり、立っている。
「うん、大丈夫そう。着替えちゃいたいけど、汗でベタベタだ……」
「私も昨日はお風呂に入れていないから、ささっと入っちゃおうか」
そう訊ねると、上機嫌でこくこくと頷きが返る。荷物を持って、まだまだ静かな館の廊下を抜けて、浴場に向かう。入り口のカギをかけて、お湯を生む。二人で仲良く洗いっこをして、湯船に浸かる。ざっと汗を流すのが目的なので、ある程度体が温もったら、すぐに上がる。
「天気は……崩れないかな。ロスティー公爵様達は、今日出発だよね?」
「そうだね。帰りまで天気がもってくれれば良いけど……」
「ちょっと辛いかな。途中で雨が降るかも……。でも、風の流れを見ていると、トルカの方は大丈夫なのかな」
そんな事を話ながら、服を着ていく。お湯もあるので、侍女に声をかけて、ロスティー達が入浴しないか確認してもらった。これを逃すと、旅が終わるまでお風呂は無理だ。暫く待つと、各家で順番に入るようだ。先に使って申し訳ないなと思いつつ、部屋に戻る。タロとヒメはすっかりお腹いっぱいで、幸せそうな顔で伏せている。部屋に入ってきた私達を見つけると、遊んであげても良いよ? みたいな顔で見上げてくるので、頭だけ撫でておく。嬉しそうに丸まって、そのまま二度寝に入る。
リズの髪を結うのを手伝い、部屋の前の箱に置かれた書類を確認していく。カビアがまとめてくれた金券及びそれ以外の金の動きも問題無いだろう。金券の横流しは発生しなかったようだ。額面が額面なので、横流すにしてもそれ程の現金を皆持っていなかったのだろうし、お金の貸し借りはあまり好まれない。きちんと返しても、何と無く後までしこりが残る。そういう軋轢が嫌なのだろう。
書類を確認する間、リズは食休みで眠っているタロとヒメをゆったりと撫でている。安心した顔で眠る二匹が、可愛らしい。
「ふふ。眠っていても、すんすんって何か嗅いでいる。可愛い」
楽しそうにするリズを横目に、報告書の確認を完了し、最後にサインを記載する。流石に複数を複写するのは無理だったようなので、ノーウェ辺りに複写してもらって、ロスティー達に配ってもらう事にしよう。
いつもより遅めの時間に侍女が食事の支度が出来た旨を告げに来る。ロスティー達の入浴も済んだか。食堂に向かい、座っていると、さっぱりしたロスティー達が入ってくる。
今日の朝ご飯に関しては、いつもに比べて少し重たい内容になっている。このまま旅に出る、ロスティー達の為、腹に溜まる物が用意されている。さっさと胃薬を飲んでおいて良かったと思いながら程々に食する。移動組はしっかりと食べて、移動に備えている。しかし、ペルティアもしっかり食べられるようになって良かった。
食事が終わると、旅の支度と言う事で皆、部屋に戻る。近衛騎士の方も移動の用意が始まっている。予定では昼前には出発する。私はチャットに用意してもらったお土産を箱に仕舞って、可愛くラッピングする。これも、チャットと話し合ったが、色々な場所で研究を進めた方が良いと言う結論になった。学者達も色々意見はあったが、結論としてはお手上げの状況の為、賛成に回った。
食休みが済んで、遊びたい視線を送ってくるタロとヒメをタライで揉み洗いしながら、ロスティー達の出発を待つ。
『ぬくいの、いいの』
『しふく』
まだまだ暖かくなった程度なので、素直にお湯に浸かっているが、夏場とかになったらどうなるのだろうか。嫌がったりしないかなと思いながら、乾燥させる。ほこほこの毛皮の塊がぺたりとくっ付いてきて、ちょっと暑い。
リズがぬくぬくのもこもこをソファーに連れていってくれたので、机で業務の続きを処理していく。スマホの電池の減りが早くなってきたので、バッテリーの交換をお願いしたいなと思う。確かバッテリーの充電率が五十パーセントを切らないと交換してくれない仕様だったかと思い出しながら、数字が合っているのを確認していく。算盤の効果は大きかったのか、計算ミスはほぼ見当たらない。筆算用の紙も必要無いし、作って良かったと思う。
昨日の夕方に来た案件に関して片付いた辺りで、用意が整ったのか、侍従が呼びに来る。リズと一緒に玄関に向かう。
馬車の前では、三人が談笑をしていたので、箱を持って近づく。
「名残惜しいですが、また領地の方にお邪魔します」
そう告げると、にこやかな笑みが返ってくる。
「実際に現場を見て、意見を貰えればありがたい」
テラクスタが言いながら手を差し出してくるので、握り返す。
「その箱は何だい?」
ノーウェが不思議そうに指さすので、三人に渡す。
「今、基礎研究を進めている魔道具です。魔石の魔素吸収量と拮抗した状態で無限に使える魔道具です」
そう告げると、ロスティーを含めて、驚愕の目で箱を見つめる。
「魔術としては、手元を照らす程度の炎が微速で上昇するものです。瞬かず、揺らがないので夜の仕事の際に蝋燭代わりにお使い頂ければと思います。ただ、上昇はしていくので、適度に入り切りして下さい」
いたって普通の顔で説明すると、ノーウェが堪え切れずに爆笑する。
「君、本当にずるいね。そんな軽い物じゃないでしょ、これ。別れの際にこんな危ない物を渡してくるんだから、油断も出来ないよ」
「現状では、ここで研究をするのも手詰まりです。魔術を確認し、基準値を決めようと考えていますが、試験は多く広く行って頂いた方が良いでしょう。その辺りの期待を込めて、お渡しします」
「はぁぁ。そんな代物を蝋燭代わりに使えなんて……。最高の贅沢と言うか、技術の無駄遣いと言うか……」
ノーウェが苦笑を浮かべながら、手を差し出してくるので、握り返す。
「お爺様もご健勝で。まだ暫くはこの地を離れられませんが、陞爵の際には王都に出向きます。その後は各地を巡ろうかと考えておりますので、その時にでもご訪問出来ればと考えます」
「うむ。楽しみに待っておる。ペルティアもリザティアを気に入っておるでな。顔を見せてくれれば、喜ぶだろう」
柔和な笑みを浮かべたロスティーと握手を交わす。
「では、うちの近衛を頼む。帰りは海沿いに領地に戻って、各村に帰ってもらうつもりだ。護衛は必要無い」
「分かりました、テラクスタ様。馬車はそのまま貸し出しますので、商家の人間にでも貸してこちらに回して頂ければと考えます」
「いや、その程度はこちらで用意する。貸し出してもらえるだけで、ありがたい」
「後は、駐在武官だけど、もう少しで選抜が完了するよ。その際はよろしくね」
結局、駐在武官に関しては引き受ける形になった。どうも、ロスティー領で過酷な自然を、テラクスタ領で訓練を、ノーウェ領で実戦を経験すると言うのが練兵の一つの流れになっているようだ。『リザティア』だと戦術の教示とかになるのかな。まぁ、訓練の場所と思って色々やってもらおう。
そんな話をしていると、近衛の先触れが走ってくる。兵の準備も整ったようだ。
「では、一時の別れです。また、お会い致しましょう」
頭を下げて、別れを告げる。
「うむ。体には気を付けよ。後は、あまり抱え込むな。もう、伴侶のいる身なのだからな」
ロスティーが優しく告げると、先頭に立ち、馬車に向かって行く。騒がしくも楽しかった結婚式もこれで終わりか。ほっとするような寂しいような、不思議な気持ちでリズと一緒に手を振る。
「帰っちゃったね」
リズが少し寂しそうに呟く。
「うん、でも、また会いに行けば良いさ」
そう告げると、こくりと頷く。
「さて、海の村へ向かわないと。お母さん方も長々とここにいても家の方が心配だろうし。ささっと人魚さんにお返し出来るようにしないとね」
「うん!」
元気の良いリズの返事と共に、館に戻る。こちらも準備は済んでいるので、昼を食べれば出発だ。少し宿泊予定地はずれるが、元々大所帯なので、あまり考えてもしょうがない。
リズと笑い合いながら、色々と荷物を詰め込んでいった。




