第549話 トレーニング器材と言うのも、新しい概念です
暫くタロとヒメのご機嫌取りをして、資料を読みながらソファーで狼まみれになっていると、リズが戻って来た。
「おかえり。どうだった?」
リズに声をかけると、無言でソファーまで近付いてきて、ヒメを抱き上げて、横に座る。くてんと頭を項垂れて、ぼそりと呟く。
「疲れた……」
「リズ?」
「もう、お母さん、説明多過ぎ。長過ぎ。覚えきれない……」
「リズさーん」
きっと顔を上げると、ほんのりと涙目になる。
「ヒロ、私、赤ちゃんの世話、きちんと出来るのかな……」
あー、ティーシア、これ、余計な事まで教え込んだんじゃないのか? と言うか、赤ちゃんを作るのはもう少し先って伝えていないから誤解しているような気がする。
「えと、今回のお母さんの手伝いをするだけって伝えたの?」
「伝えたけど、ついでだって、もう、生まれる前から生まれた後まで説明された。辛い」
教育ママの部分が悪く出ちゃったかぁ……。
「はいはい。大変だった。大変だった」
そう言いながら、頭を撫でるが、機嫌が直らない。
「誠意が足りないような気がする……」
そう告げてくるので、しっかりと抱きしめて、耳元で囁く。
「リズは頑張ってくれたよ。お母さん方が安心して、海の村に向かえるように、何をしたら良いか、教えて欲しいな」
「本当に、そう思っている?」
リズがやや頭を上げて聞いてくる。
「思っているよ」
そう伝えると、じっと目を見つめて、溜息を吐く。
「うん。分かった。やっぱりまだ寒いから……」
そこからはリズの説明を聞いて、具体策を練っていく。防寒の部分と馬車のショック対策は重要課題だろう。クッションも量産を始めているので、それを敷き詰めて、馬車の壁に毛布を掛ける感じで大丈夫かな。後は湯たんぽを直接当てないように設置すれば良いだろう。
「……と言う感じでどうかな?」
聞いてみると、リズとしては問題無さそうだ。お母さん側も硬い馬車の席に座りっぱなしと言うのも辛いだろうし、程々に寛げる環境は用意したい。
「じゃあ、馬車の方は調整してもらうね」
そう伝えると、やっと機嫌が完全に直ったようだ。聞いてきた内容が使われなかったら、斜めのままだったのかと思うと、ちょっと怖い。ティーシアも結婚式とアテン夫妻を見ているからか、ちょっと負担をかけ過ぎな気もする。後で相談だけはしておこう。
そんな感じで話をしていると、侍女が夕ご飯の旨を知らせてくれる。今日は式でも顔を揃えたので、食堂にて皆一緒に食べようと言う話になっている。仲間達も『リザティア』での地位で言えば、重鎮扱いになる。細かい話は後で分かれてやれば良いだろうと言う形で話は通している。
「では、本日の功労者、リズ様をご夕食にエスコート致します」
立ち上がり、背筋を伸ばして一礼をすると、リズが噴き出す。
「もう、嬉しいけど、なんだかくすぐったい……。ありがと、ヒロ」
微笑みを浮かべたリズの手を取り、立ち上がらせる。タロとヒメは温もりを求めて箱の中に戻って、寄り添うようにくるりと丸まる。
食堂に向かうと、ロスティー達を除いて、皆集まっていた。かなり打ち解けたのか、話も弾んでいる。特に、ロットの父親とフィアの父親は話が弾んでいる。フィアの父親は元商家の人間だと聞いていたので、その辺りの話しで盛り上がっているようだ。アスト達はウェシーを相手に盛り上がっている。長男の嫁だ。やはり可愛いのだろう。フィアとロットもトルカの状況が気になるのか、アスト達と混じって話をしている。他の仲間達は、お母さん方と言うか、赤ちゃんと遊んでいる、と言うか、遊ばれている。旅の間は一緒に生活をするので慣れておいて欲しいとは伝えているので、それを実践しているのだろうが、ドルがしかめっ面で赤ちゃんに頬をむぎゅっとされているのを見ると、笑ってしまう。ロッサも小さい躰で懸命に抱き上げてニコニコしているので、雰囲気は良いかなと思う。レイが手慣れた様子で、お母さん達のフォローに入っているのは様になりすぎて、なんだか笑いが込み上げてくるけど。
温かい雰囲気を眺めていると、ロスティー達が食堂に現れる。上座にかけてもらい、食事を始める。人数が人数と言う事で、奇を衒わず、素直にノーウェ領、テラクスタ領の料理を再現してもらっている。ロスティー領となると、香辛料がふんだんに使われた辛めの料理になる。寒い地域と言うのもあるが、お母さん達には不向きだろうと言う事で、今回は含まれていない。
ノーウェ領とテラクスタ領で食事に大きな違いはない。ただ、トルカの南の森がある為、ノーウェ領の方がハーブや香辛料を強めに使った焼き物が多い。逆にテラクスタ領の方は穀倉地帯と言うのもあって、パンも小麦ベースのパンになるし、それに合わせるスープ類も豊富だ。今回はワイン酢とパクチーの香りを効かせた、爽やかなスープになっている。フィアはかなり嫌そうだったが。メインはハーブを効かせた鶏の焼き物と胡椒がたっぷり塗されたイノシシのステーキになっている。
隣領とはいえ、気温や条件が異なるので、食文化もそれに合わせてかなり違ってくる。特に胡椒はトルカの南の森以外でまだ見つけられていない。あそこはやっぱり特殊だ。香辛料の大半はノーウェ領と言うか、トルカからの輸入に頼っている。
お母さん達も珍しそうに慣れない食事を楽しみながら食べている。ただ、食事の香りを感じて赤ちゃん達がぐずるので、お乳をあげたり、離乳食をあげたりと忙しそうではあった。んー。リズが妊娠するまでには母乳パッドを開発しよう。
食事が終わると、お母さん方と仲間達は大部屋の方に向かう。赤ちゃんの相手とお母さん方への遊具の説明だ。赤ちゃんの対応は忙しいが、結構な長旅だ。その間の退屈を慰めてもらおうかと思っている。同じく、ノーウェティスカ、トルカ組も一緒になって、遊ぶらしい。リズはペルティア達、奥様方と約束していたのか、一緒にペルティア達の部屋に向かう。
私はロスティー達と一緒に応接間に向かう。
「さて、ざっと設備の確認はして頂いたと考えます。詳細は明日の自由時間で各所巡って頂ければと考えております」
ソファーにかけて、ロスティー達に切り出すと、頷きが返る。
「そうだな。使者の続報も無い故な。明日一日の待機で面目も立つだろう。明後日の朝には儂はここを発つつもりだ。王都にて報告もある。領地の状況も確認せねばならぬでな」
ロスティーがやや眉根に皺を寄せながら告げる。ロスティー自身もそうだがペルティアも含めて考えれば、休みの期間が短い。もう少しゆっくり出来ればと思うが、領地の問題もある。そもそも春前からダブティアに旅立っているので、そろそろ役目を切り上げて戻らなければ、問題も起こりかねない。
「父上と私に関しては、帳簿の確認かな。問題は無いと思っているけど、国の監査が入った時に色々突かれるのも嫌だからね。見られたら困る資料は隠しておいて欲しいかな」
ノーウェが悪戯混じりな光を浮かべて、聞いてくる。
「隠す資料は一種類程度です。これに関しては、まだ開示出来ません。それ以外に関しては、ご確認頂いて結構です。開発中の物もありますので、それは別にしておきます」
そう答えると、ロスティーとノーウェの顔が微妙に嫌そうな顔になる。
「君が隠すって、余程の物だよね? いつかは開示可能なのかな? せめて何か程度は教えて欲しいのだけど。心の準備はしておきたいよ」
「対象は武器です。開示条件に関しては、未定ですね。現状は完全に秘匿しておりますので。大規模に人前で使用した後には開示出来ると考えています」
そう答えると、二人から溜息が返る。テラクスタは置いてけ堀で目をぱちくりしているが、しょうがない。
「よりにもよって、武器かぁ……。んー、良いや。何となく読めたよ。ならそれに関わる資料は隠して欲しい。カビアがいるなら、特許に追加すべき情報もまとめてくれているだろうから、こちらで国に提出しておくよ。父上が丁度王都に向かうしね」
オーク戦の報告はしているので、薄々そこで何かがあった事は理解しているだろう。籠城戦とはいえ、四倍の人数でやっと圧倒出来た相手に、等倍の人数で対応出来たと言っても、ノーウェとしては納得出来ないだろう。それを呑んでくれるんだから、ありがたくて涙が零れそうだ。
「私はもう少し、町の様子を見学させてもらいたい。歓楽街の様子はある程度分かったが、町そのものは確認出来ていないからな」
テラクスタは『リザティア』側を見学するらしい。
「はい。案内に侍従を付けます」
「助かる。町の設計図は確認したが、実際の動線を含めて見ておきたいのでな。それにガレディアより、デパートと言ったか? 商業施設を回りたいと言われておるのでな」
そう告げると、苦笑が浮かぶ。あぁ、女性の買い物に付き合うのはどこの世界の男にとっても苦痛か。
「はい。その辺りは侍従も承知しております。必要な物を仰って頂ければ対応出来るかと考えます」
「ふふ。用意が良いのだな。やはり、商家の人間のようだと言う印象は正しいか。如才無い対応もそうだが、先を見るか。兵上がりの身故、その辺りの機微には疎いのでな。そこは学びたく思う」
「勿体無いお言葉です」
意外な一言に私が頭を下げると、テラクスタは微笑みを浮かべて頭を振る。
「今日の訓練もそうだが、別に強さを見たいと言う訳ではない。人の強さなど所詮単騎の限界がある。ただ、指揮者として場を引っ繰り返す意思と言うものが必要な場面はある。そう言う機転が見えれば、と考えたが、予想以上の答えを返されたのでな。素直に学ぶ方が得と見たのだよ」
テラクスタがふぅと息を吐き、上体をソファーに預ける。
「あの後、練兵室で鍛える兵の姿を見たが、非常に理に適っておる。兵の質はばらけても隊として軍として動くならば良しと見ておったがな。足りぬところを補いつつ、指示命令系統への対応に特化する、か。なまじ、ばらけぬ故、戦場では怖いのだろうな」
兵に関しては、他領の兵がいるので、接待組と警護組以外は、隊ごとに自主トレと合図への対応訓練だけお願いしていたはずだ。それを見ていたと言う訳かな?
「元々、引退した人間を集めた集団です。他領の方から見れば、物足りぬと考えますが」
「あれだけ必死に訓練に打ち込む兵が弱兵の訳が無い。訓練においての士気の高さは戦場に直結するからな。訓練以上の実力など有りはせん。しかし、あの訓練に使っていた道具か。あれは面白い。出来れば持ち帰りたいが」
ダンベルやバーベル、それに、腹筋背筋用のトレーニング器材かな。後は平均台くらいか。
「荷物になりますので、設計図をお渡ししますが?」
「ふむ。それでは貰い過ぎか。あれはあれで、特許対象となろう」
「では、将来的な販売価格から原価を差し引いた分を、物納で頂きます。海の村への食料移送分で充当して頂けますか?」
「分かった。一旦価値から価格を算出してそちらに伝える。不当に安いと思えば調整はする」
「はい。それで良いと考えます。元々、身内で使っている物なので、値段も考えてはいなかったですし」
そう答えると、流石にテラクスタの顔にも呆れが浮かぶ。
「鍛えたい場所を的確に鍛える事を補助する器具に価値を見出さない……か。いや、新鮮な感覚だ。これが坊が言っていた感覚なのでしょう」
テラクスタが顔を上げて言うと、ノーウェとロスティーが苦笑を浮かべる。
「だよね? 思うよね。その人間が隠す武器なんて、碌なものじゃないよ。全く、怖い、怖い」
ノーウェがお道化て肩を竦めると、笑いが起こる。ここからは談笑混じりに、明日の予定を調整していく事となった。




