第548話 赤ちゃんを連れての移動なので、考える事も多いです
「もう少し鍛えないといけないかな……」
部屋に戻って、ソファーにかけて、タロとヒメを撫でながら呟く。ナチュラルに横に来て丸くなっている二匹。寂しかった事は忘れていないらしい。
「ヒロが? さっきの件、気にしているの?」
リズが生んだお湯でお茶を淹れてくれている。正直、今は侍従にも会いたくはない。
「結局ボロ負けだったしね。年季が違うって言っても、あそこまでとは思わなかった」
スキルの差が絶対の指針とは思っていなかったが、テラクスタの技量は想像を遥かに超えていた。正直、付け焼刃の私がどうこう出来る相手では無い。そのクラスの人間がもし敵に回った場合を考えると、かなり憂鬱だ。盾の動き一つ取っても、真似の仕方も分からない。
「でも、魔術が有ったなら、勝っていたよね? あれじゃ、駄目なの?」
リズがことりとテーブルにカップを置いてくれる。ヒメを抱っこして、ソファーにかけると、膝の上に載せる。ヒメも顔をお腹に擦り付けながら、ベストポジションを探してぽすりと収まる。
「過剰帰還を考えると、魔術も万能じゃないしね。いかなる時もって考えると、少し凹むよ」
カップを傾け、お茶を含む。ショウガの香りが効いたお茶で、体が温まる。先程まで胃の辺りを苛んでいた緊張も解ける。
「そこまで気にし始めると、行き過ぎじゃないかな。何でもヒロがしなければいけない訳じゃ無いし。その為に他の人もいるんだから」
リズがヒメを撫でながら、答える。くわっと欠伸をしたヒメが、温もりの中、微睡む。
「人を使う……かぁ。そうだね」
「ヒロはやっぱり、自分で何でもやろうとし過ぎだと思うよ。指揮個体の時もそうだし、オークの時もそう。何も無かったから良かったけど、ヒロが一番に犠牲になったら、後に残された方はどうしたら良いの?」
こてんと、リズが頭を肩に乗せて、静かに呟く。
「それでも、手段は多い方が良いかなとは思うよ」
「その為に、あの変な弓を開発したり、兵を鍛えているんだよね? フィアも言っていたよ。一対一に拘らず、多数で戦える環境にしてもらえるから、怪我を恐れずに前に進めるって。ヒロのやるべき事は、そう言う事だよね?」
はぁ……。少しテラクスタに当てられたか。そうだよな。個人の技量より、戦術レベルの。戦術レベルより、戦略レベルの勝利を目指す。その為に、この町を作ったんだから。
「ん、ありがとう。少し気が晴れた。助かった」
「ヒロは少し考え過ぎ。他の皆もいるんだから。頼って良いんだよ。商売の事は頼るのに、戦いの事になると、どうして頑ななんだろうね……」
リズがカップを抱え、首を傾げる。
「未だに、何かを殺す事に忌避感は感じているから……かな。あまり手を汚して欲しくないと言うのはある」
「それで、ヒロが手一杯になったら、意味が無いよ。結婚式の時の誓い、忘れたの?」
「うーん、面目ないです」
素直に頭を下げると、リズに笑顔が戻る。
「体を鍛える事は良い事だと思うけど、無理はしないで。きっと貴族の形にも、色々有ると思う。お爺様もノーウェ子爵様もテラクスタ伯爵閣下も、それぞれ違うし、それで良いと思うよ」
「分かった。ありがとう。夕ご飯には少し時間が有るようだし、散歩にでも行こうか?」
リズにそう訊ねると、タロの耳がぴくりと反応する。そろそろ散歩と言う言葉も覚えたか。
「良いね。兵の人も、他領の人達への対応があるから訓練も出来ないしね。少し体を動かしたいかな。食事が多いから、体が重くなっちゃった」
「自分で取り分ける形だったのに?」
「もうっ。付き合って食べる事もあるの」
こつんと、頭を叩いた後に、リズがヒメを抱えて立ち上がる。床に置かれたヒメが目を覚ますと、タロの機嫌が良さそうな雰囲気を見て、何か良い事があるのかと、しっぽを振り始める。
首輪を持って来ると、二匹共大はしゃぎになる。嵌めると、もう行く? 早く!! と目で訴えてくる。侍女に伝え、リズと一緒に、町の中央の方まで足を伸ばしてみる。
「もう、日常に戻っているね」
公園を出て、朱雀大路まで出ると、リズが周りを眺めながら言う。
「そうだね。少しでも、楽しんでもらえたら良かったけど」
「振る舞いの料理の時も凄かったって、侍女の人に聞いたよ。楽しそうだけど、参加出来なかったのは少しだけ残念」
リズがにこやかに言う。
「チャットやリナの時に期待かな。その時は、一緒に騒げると良いね」
今回は、領主の結婚と言う事で、大袈裟な話になったが、二人の時は町の人と一緒に騒ぐ事も出来るだろう。
一緒に町を歩きながら、海の村に向かうに当たって何が必要か、相談を進めていく。馬車は部品をノーウェから取り寄せて、新型を三台分は新造している。それをお母さん達に使ってもらえば良いと。後は赤ちゃんに何が必要かをリズと一緒に相談しながら、散歩を続ける。身内とは言え、貴賓相手で少し疲れていたのか、こうやってゆっくりと話が出来る事に、何よりの喜びを感じた。
領主館に戻り、タロとヒメに水を上げる。少しずつ気温も高くなっている。汗ばむという程ではないが、私達も少し喉が渇く感じがする。カップに冷たい水を生み、リズと一緒に飲み干す。リズはティーシアに赤ちゃんの事を聞きに行くと言う事なので、夕ご飯まで執務室で事務処理をする事にした。
執務室に入ると、カビアが書類の処理を進めている。机に積まれた書類を一つ一つ確認していく。
「乳児は難しいけど、離乳食が終わった子供を預けられる施設って需要がありそうかな?」
学校関係の申請書類があったので、カビアに聞いてみる。
「農家などでは持ち回りで世話をするという話は聞きました。それ以外はあまり聞かないですね」
「子供を産んだ後の社会復帰を早める、昼の間だけでも育児を他人に任せて時間を作る、育児経験のある人間に仕事の場を提供する、辺りかな」
「なるほど。利点はありそうですね。特に育児経験者の就労機会を増やすというのは良いと考えます」
「後は、軍学校、魔術学校にいくまでの期間に初等教育の場を設けたい。読み書き算数程度はそこで学ばしてしまいたいかな」
保育所、小学校の概念を生み出したい。教育は将来の領地経営上、重要になってくる。
「軍学校、魔術学校も始めの方は、読み書き算数の復習からです。教会での教育もばらつきがありますので。先にある程度の教育が済んでいるなら、その時間が必要無くなるのは利点でしょう。同じ期間でも、もう少し踏み込んだ教育も出来るでしょうし」
カビアも賛意を表す。人材の確保をどうするのかと、教育費用をどうするか等を相談していると、いつの間にか日が大分落ちているのに気付く。
「秋口は農家の人も収獲等でばたばたすると思うから、それまでに小規模でも始めたいかな。概念が無い物だから予算は付かない。一旦、私の資産から出す事を前提に、案を固めてもらえると嬉しい」
カビアの頷きを確認し、部屋に戻る。リズはまだティーシアと話し合っているのか、タロとヒメが二匹で遊んでいるだけだった。寂しい思いをさせたので、もう少し遊んであげるかと、咥え紐を持って来て、ひょいっと放り投げた。




