第541話 結婚式当日~神々の頌歌
リズが冷やかされつつも談笑をしていたが、お披露目用の馬車の準備が整ったと、侍従が伝えてくる。しかし、その顔が困惑気味だ。
「どうかしたのかな?」
「いえ、楽師が演奏していないのに、先程から町中に音楽が響いているのです。神様かとも思いましたが、姿が見えないので……」
ふむぅ。まだ何か考えているのかな? もうサプライズもお腹一杯なのだが。そう思いながら、気にしても仕方ないと声をかけて、皆と一緒に拝堂を抜けて、教会の扉を開ける。その瞬間、音の海に包まれた。
「うわ、なにこれ?」
フィアが空を見上げながら、呟く。私は、この旋律に聞き覚えがある。と言うか、行進曲の後は交響曲か……。
皆が戸惑っていると、馬車の横で蛍の光のような淡い光球が溢れて集まっていき、人間大くらいのサイズにまとまる。その中心から、精緻な飾りが刻み込まれた王笏がすっと差し出される。王笏の根元は小さな手が握っており、徐々に、光の塊から抜けてくる。その身を包む、軍礼装と真っ赤なマント。そして、幼女。
きっと睨まれたが、こほんと咳、王笏の石突を地面に刺し、両手を乗せる。その威風堂々とした姿。
「我が名はディアニーヌ。統治を司る者なり」
そう名乗った瞬間、仲間達は呆然と見つめるだけだった。私がいち早く最敬礼をしようと動くと、はっと我を取り戻したように皆が動き始める。その動きをディアニーヌの手が制する。
「構わぬ。本日は祝福の日。その主役が跪く必要はない」
ディアニーヌがそう告げるのを聞き、皆が畏れの表情を浮かべながら、のろのろと屈伸状態から起き上がる。辺りを見回すと、周囲の人間はこちらの騒ぎに気付かないかのように動き回っている。
「汝等以外の認識からは我々の様子は隠しておる。案ずるな」
鈴を転がすような幼い女の子特有の甘さすら感じる、高い声。しかし、そこに篭められた存在感は屈するなと言われても、自然と跪きそうになる。神様が作り出した空間の中でフランクに話すのと、現実にその存在と対峙するのとでは、やはり雲泥の差がある。統治を司ると言うのは伊達では無い。前回とのギャップに苦笑が浮かびそうになるのを抑える。
「用件は何でしょうか? ディアニーヌ様」
このままだと、仲間の方が心配なので、話を先に進めてもらう。リズを除く、女性陣は皆緊張からか、かなり顔色が悪くなっている。ロッサは特に酷い。リズは先程シィベギルセを見たからか、まだ余裕はある。
「うむ。統治に連なる者、アキヒロ。その婚儀に祝福を。そして、その仲間たる者達にも幸いあれ。汝等もまた統治に携わる者故な」
ディアニーヌが無表情な神の仮面を脱ぎ捨て、にこりと微笑むと、その刹那から、絶対的な存在感が消え、心の底から親愛、敬愛の情が浮かんでくる。
「ありがたいお言葉です。ディアニーヌ様」
ロットが一瞬こちらに確認の視線を送って来たので、頷くと、感謝を告げる。
「うむ。シィベギルセよりも祝福を預かっておる。汝等は祝福に値する。アキヒロがリザティアが特別では無い。汝等皆が相応しいのだ。その事実をゆめ忘れるなかれ」
ディアニーヌが口にした瞬間、出現した光から蛍のような、光が無数に生まれ、周囲を漂い、皆に降り注ぐ。
「この調べは婚礼への贈り物。今は楽しみ、その先を見つめるが良い。では、な」
ディアニーヌがそこまで告げるとマントを翻し、光の集まりへと歩みを進める。後に残された者はその言葉を噛みしめ、去りゆく姿を見送るしか無かった。
と、表向きは神様が改めて皆を祝福しましたと言う綺麗な流れになっているが、『祈祷』越しでは延々情報交換をしていた。
『ディアニーヌ様。降りる必要ってありましたか? しかも、周囲にも気付かれないようにこっそりととなると、あまり意味が無いように感じます』
『ふーむ。シィベギルセが先走りおってな。本当ならば今回の婚儀を以ってアキヒロの領地領民に祝福を、と言う流れで儂が降りる算段だったんじゃ』
その言葉にはしょんぼりした雰囲気が漂っている。
『で、神連中も客人のフォローをしている者を蔑ろにするのもどうかと言うてな。この者等もお主の付属品では無いし、確固たる意志じゃしな。それに日々生きる事に邁進しておる故、祝福するに値するのじゃ。と言う訳で、些か間抜けながら、道化を演じたと言う訳じゃな』
『そうですか……。そこまで気を遣って頂き、ありがとうございます。仲間達も喜ぶでしょう。しかし流石にぽんぽんと神様が降りてくると言うのも、贔屓をされているようで些か面映ゆいです』
『あー、それじゃがな。お主、『祈祷』が3.00を超えたじゃろう?』
『はい』
『『祈祷』の3.00からは、お主が自身の領域と思う地域を教会化する力となる。ここからは習熟により範囲が拡大していくが、今の時点で海の村辺りまでは十分に範囲内じゃな』
『と言う事は、私の領地内を神様達が……』
『うむ、自由に降りられる』
その瞬間、心の中で頭を抱えた。がー、シェルエがちょこちょこ現れるだけなら笑い事で済むけど、他の神様となると、何とも言えない……。
『出来れば、認識を阻害して降りて下さると助かります』
『シェルエはちょこちょこ教会から抜け出して遊びに行っておるようじゃがな。まぁ、偶の息抜きじゃ。大目に見るのじゃ』
てへっと言う雰囲気を感じて、胃がきりきりと痛むが、スキルの機能上そうなったなら、仕方ない。
『その分、神の祝福はその土地に授けてゆく。元々は修行の果てに達した者の住む場所を祝福する為のスキルだったのじゃが。お主の成長が早い故な。しかも、為政者と言う事で想定外な状況にはなっておるのじゃ』
キリっとした雰囲気で言われるが、正直、心の中では脱力している。
『想定外と仰いますが、プロパティを確認出来るなら、この状況になるのは分かっていたと考えますし、神様達もフランクに接触を……』
そこまで伝えて、真意に気付く。
『息抜きが……主ですか?』
『そんな訳は無いのじゃ。シェルエであるまいしの。客人を助けたいのが第一なのじゃ』
第一と言う事は第二がありそうだが、ここでどうこう言ってもしょうがない。
『分かりました。歓迎しますが、くれぐれも騒ぎは起こさないで頂ければありがたいです』
『うむ』
『ちなみに、なぜ、この曲なのですか? 神様の調べと言うには少し。神様が神に対する賛歌と言うのも不思議な気がしますが』
『んん? 日本人は好きでは無いのか? 年末には大合唱をしておるでは無いか』
あぁ、本当に風俗に詳しい事で……。
『と言う訳で、話も伝え終ったので、戻るのじゃ。また何かあれば、呼ぶんじゃぞ。では、さらばじゃ』
と言う裏側があったりする。
ディアニーヌが去った後、しばしの時をおいて、誰ともなく、盛大に溜息を吐く。
「うわぁ……。神様なんて、初めてお会いした。超怖かった……」
フィアが微妙に泣き笑いに近い表情で、お道化て言う。
「あたし達も……祝福、されたんですね……」
蒼白だったロッサも、先程の言葉を反芻したのか、若干よろめくのをドルに支えられながらも、笑顔を浮かべる。
「カビア、もね。良かったわ。見世物にされずに祝福されたのなら、幸いだわ」
ティアナが言うと、皆に笑いが広がる。見世物と言われてちょっとリズの唇が尖がるが、ぽんぽんと頭を撫でて、機嫌を直しておく。
「さて、ちょっと思わぬ事態になったけど、予定通り、皆は馬車に。私達は後ろから向かうよ」
私がそう告げると、周囲の侍従達に裾を持ってもらい、男性陣、女性陣が馬車に乗り込む。勿論、チャットやリナも護衛と言う扱いで馬車に乗る。
用意が完了すると、教会から公園前にゆるりと馬車が走り始める。
「じゃあ、リズ。心の準備は出来た?」
「うん。何も出来ないけど、ヒロに任せる」
そう言って体を預けてくるのを優しく抱きとめる。左腕はリズの腰に、右腕はリズの手を握り、正面に伸ばす。お互いの足を支点に風魔術でホバーを起動させる。ふわりと二人の体が浮き上がる。地面からの風でドレスのスカートが風をはらみ、ひらひらと美しく、揺蕩う。接触していれば、推力は落ちない。
「ゆっくりと動くよ。体重は私に預けて。足だけは真っ直ぐ。リズはくっ付く事だけ考えてね」
「うん」
リズが頷くのを見て、ホバーの角度を変える。地面を滑るように優雅に私とリズがするすると動き始める。先行する馬車を追いかけながら、くるくると回転したり、駆けたりと、試しながら、徐々にスピードを上げる。リズもすぐにコツを掴んだのか、足をきっちりと固定して、体重を完全に預けてくれる。
「うわぁ……。これ、楽しい……。楽しいよ!! ヒロ!!」
少し強張っていた顔も大輪の花が咲き誇るような眩しい笑顔に変わる。
「うん。じゃあ、本番に行くよ」
公園を抜けて、朱雀大路に出る。その瞬間、湧き上がる、周囲の歓声。同じくして、天上の調べは第三楽章を終えて、第四楽章に移る。深く伸びやかな独唱。これ、アレクトアの声か……。神様が神の祝福を謳うと言うのも滑稽な話だと、心の中で苦笑を浮かべる。
「綺麗な……声」
リズが、聞き惚れるように、瞑目し、にこやかに微笑む。
「ほら、リズ。顔を上げて。皆、祝福してくれているよ」
大路の左右には町に住む人々が鈴なりになって、手を振っている。私とリズは地面を滑りながら、笑顔でその祝福に応える。神々の合唱に合わせ、滑り、回転し、道を進む。祝福の声と人々の笑顔に応えるように、近付き、舞い踊る。
と、何故、こんな派手な事をしているかと言うと、『警戒』で確認すれば分かるのだが、大路沿いの建物の上に気配を感じる。それを斥候達が取り押さえていく。ロスティー達の到着予定日から、『リザティア』及び歓楽街では弓に封印をしてもらっている。もし、封印を破った場合は、兵舎に行けば再封印をしてもらえる。ただ、その場合は速やかに町から出て、南の兵舎に向かう形になっている。町の中で封印されていない弓を持っていたのなら、いかなる事情があっても暗殺の準備行動として厳罰の対象になると、かなり前から通告している。
で、実際に暗殺をしようなんて考える人間は、一番派手なタイミングを狙ってくる。このお披露目なんかが絶好のタイミングだろう。と言う訳で、罠を仕掛けた。元々、建物が建っているので、曲射で狙うのは不可能だ。と言う訳で、建物の屋根からしか狙えない。斥候達には各建物に潜んでもらい、現行犯で曲者を逮捕してもらっている。もし、破れかぶれに撃たれても、風魔術で防ぐのは容易だ。そもそもこれだけ不定期に動き回っていては、狙いもつけられない。それでも実行しようと考える馬鹿の炙り出しだ。
鳴り響く、神の祝福の頌歌の中での捕り物劇。ますます滑稽なと心の中で哀れみを覚えながら、人々に愛想を振りまく。
大路の半ばを過ぎる頃に聞き覚えのあるフレーズが流れ始める。
「ねぇ、リズ」
「何?」
「キス、しても良い?」
「むー。……良いよ」
神様がご期待だろうと言う事で、大きく回転しながら、リズの額に口付ける。観衆達の声も最高潮に上がっていく。
「ふふ、何だか可愛いの」
リズが耳元でそっと囁く。
「リズの可愛い顔は私だけが見ると言う事で。誰にも見せない」
そう告げると、堪えきれないように、リズが笑いだす。
「はぁ……。嬉しい。ありがと」
潤む瞳のリズを連れて、町の中央に向かう。曲もそろそろ終幕だ。
すぃっとスピードを上げて、一気に中央に向かい、手前で、大きく回転を続け、曲の終わりに合わせて、魔術を解き、リズの腰から手を離す。するりとリズが離れ、握った手を伸ばした辺りで、すとんと止まる。ロスティー達に一礼し、振り返り、観衆に向かって一礼する。静まり返った大路から徐々に拍手の渦が巻き起こり、観衆達のどよめきと歓声が爆発し、いつまでも木霊していた。




