第526話 黄金色のアイツと酸っぱいアイツ
貯蔵蔵を開けると、まだ新築の木の香りが漂う。特に何かに使っている訳ではないのでそんなものかなと。将来的には貯蔵分はこちらに移動させる予定だ。取り敢えず、現状は私が試しに作った物を隠している。見つかると、味見とか新作にとかアレクトリアが湧いてきそうな気がするので怖い。
アルコール殺菌を済ませて、奥に入る。棚に並んだ瓶を取り、嗅いでみるとほんのりした酸っぱさを感じる。うん、そろそろ良いかな。重石を取り除き、落し蓋を取ると一気に酸味のある香りが広がる。中には細かく刻んだキャベツに小さな粒が点々と散りばめられている。小皿と箸を生み、そっと掬い再度落し蓋と重石を乗せる。小さく摘まみ、口に入れる。乳酸発酵独特の果汁香に近い芳香が口の中に広がった後、キャラウェイシードの甘い香り、ディルシードの爽やかな香りが追ってくる。噛むとキャベツの甘みがほんのり残りながらも強い酸味が広がり頬の横に痛みが走る。その後にぷちりとした感触と共に微かな苦みが口に広がる。
「あぁ、酸っぱい。これだよな、やっぱり」
塩漬けキャベツだと塩味が強すぎて酸味が感じられない。乳酸が発酵するより塩分濃度が高いのが原因なのか酸味が感じられない。ザワークラウトの方が個人的には好きだ。秋口にキャベツの玉の真ん中からにょきっと茎が伸びて花が咲いているのを見た時は驚いたが、春になってキャベツが出回り始めたので、そこそこの数を漬けてみた。とにかく脂物には相性が良いし、どうせロスティー達が来たら呑むだろうから、酒の肴にでも出そう。
少し離れたところには少し大きな石作りの瓶にコルクで栓をした物を保管している。夜な夜な抜け出しては色々と弄っていたがどうかなと。麦芽汁にホップを加え、濾した物にパン屋の酵母を譲ってもらって投入し、ちょくちょく砂糖を投入してきた。ふふふ、ビール……あー、上面発酵だからエールになるのかな。コルクを引き抜いた瞬間、ぷしゅっと空気の抜ける音が響く。小さなカップを作り注ぐと泡が立つ。匂いを嗅いでみるとホップの独特な香りと甘い香り。栓をし直して窓まで行き、陽光に照らしながら泡を探ると琥珀より黄金色の液体から小さな炭酸の泡が上がっている。腐敗臭はしていないので、成功かな? くんくんと確かめた後、ちびりと口に含む。日本で飲むビールよりは炭酸は弱いが、口の中でぷつぷつと弾ける感触。ホップの独特の香りと苦みが口の中に広がり、まだ残っていた糖分のほんのりした甘みが重厚な口当たりになって舌を蹂躙する。飲み込んだ瞬間、ほのかに熱い塊の感触が喉を抜けて、胃の縁を温める。あぁ、ビールだ。瓶詰して、王冠で封印した方が炭酸は強くなるだろうが試験のつもりだったので、微炭酸でも完成までを確認する為にコルクで済ませていた。これはこれで口当たりが優しく、好きな人は好きだろう。より、フルーティーな香りが強く楽しめるのも良い。これも目玉に出来るかな。沸き上がる感情が抑えきれず、にやけながら、残りをぐいっと飲み干す。生温い液体が口の中を通過し、胃の中で熱に変わる。うん、香りを楽しむのなら常温の方が良いけど、風呂上がりの一杯だ。折角だし、少し冷やしちゃおう。どうせ飲んでいたら常温に近付く。初めは喉越しを楽しんでもらって、後から香りと味を楽しむ感じが良いかな。ふふふとにやけながら、小さな瓶を土魔術で量産し、出来立てのエールを移していく。コルクで閉めたら大きめのタライに氷を生み、小瓶を詰め込みひたひたになる程度に水を入れる。キンキンに冷やすと味も香りも感じなくなるので、気温より冷える程度で楽しめたら良いかな。
今日集うお客様達の驚く顔を想像して、少し楽しくなってくる。飲みにくい人はワインを飲んでもらえば良いし、好んでもらえるなら、流通に乗せれば良いだろう。
うきうきと小瓶を一本抱えて厨房の方に向かう。料理長を呼んでもらい、試飲してもらうと最初は少し戸惑いはあったが、甘さの少ない炭酸のさっぱりさと苦み、そしてホップの香りが食欲を増進させると言う事で意見が一致した。本当なら誕生していなければおかしかったビールがこの国に産声を上げた瞬間だろう。他の国は知らないが少なくともこの国でビール系の飲料は聞いた事が無い。献立に関して相談したが、かなり和食よりに調整してもらった。どうせ移動日なので、胃腸が弱っているだろう。あっさりした食事で楽しんでもらった方が良い。二人で話していると珍しい物が有ると気付いたのか料理人達が集まってくるので、酔わない程度に二、三口ずつビールを分けて味見をしてもらう。酒と言うとワインと言う認識が強い為、物珍しさも有ってか、好印象だったので、宴席に出すと言う事で話が決まった。
がやがやと食堂で話をしていると、カビアがひょこっと顔を出す。
「男爵様。ロスティー公爵閣下及びノーウェ様より先触れが到着致しました。ロスティー公爵閣下は夕刻、ノーウェ様は昼遅くの到着との事です」
「あれ、呼んでくれれば良いのに」
「雑用と仰って、どこかに消えられたのは男爵様でしょう。お待たせするのも問題でしたのでお話はこちらで伺いました」
カビアがじーっと周囲を眺めると、さーっと料理長を始めとして料理人達が散っていく。
「分かった。先触れの方は?」
「温泉宿の方に部屋を取っておりますので、そちらに」
「ロスティー様もノーウェ様も護衛は連れられるはずだけど、そちらも温泉宿?」
「いえ、兵に関しては兵舎の方がよろしいかと考えます。部屋は余っておりますし、支度は整っております。歓楽街ですと何か有った場合に領主館までが遠いですので」
「あぁ、なるほど。朱雀大路を抜けてきた方が分かりやすいか。調整ありがとう。そのまま進めて欲しい」
「はい。直属の護衛の方は領主館でのお泊りになりますので、部屋は別途用意しております」
「分かった。こっちも出し物は用意したから」
「男爵様……」
「料理長には相談したから。カビアも楽しむと言う事で」
額に手を当てながら、はぁとカビアが溜息を吐く。
「あまり驚かされても、胃に悪いのですが」
「人生、驚きも無いと楽しくないよ」
「そのような楽しみはいりません」
そう告げると、カビアが食堂を出て行く。執務室に戻るのかな。取り敢えず、料理長によろしくと手を振ると、一礼が返ってきたので、任せる事にした。
部屋に戻るとまだリズは帰ってきていない。ティーシアの部屋かな?
箱を覗くと二匹は寄り添ってうとうとしている。手は出さずに寝かしておこう。そう思って、机の上に置かれた書類を確認し、処理を進める。時ここに至って、明日の町開きを知った商家の人間が色々出し物をやりたいと言い出してきているので、その調整が入ってきている。屋台の類を出したいと言う要望もあるので、既存の要望と調整しながら区分けをしていく。業態等を確認しながら、配置を決めていっていると、扉が開かれる。顔を上げると、少し上気したリズが入って来てソファーにぽすんと沈む。
「疲れた?」
「んー。ちょっとだけ。でも楽しそうだから、良いかなって」
「でも、あれだよね。結婚式って、教会で誓いの言葉を伝えるだけだよね?」
「うん。でも、その後はずっと踊る羽目になると思うよ」
リズが少し楽しそうに伝えてくる。
「うわぁ……。ぼかされていたのはそう言う意味か……。体力続くのかな」
嫌そうに呟くと、リズが微笑む。
「適当に力を抜いておけば大丈夫だって。どうせ踊るって言っても、ぐるぐる回っていれば良い程度だよ」
リズは気楽そうに言うが、なんだか周囲がそれで済まなくさせそうな気がして嫌な予感しかしない。大道芸の準備はしておいた方が良いか。まだまだ威厳より、民衆受けのする領主像を作っていた方が良いだろう。
暫く書類を片付けていると、昼ご飯の旨が伝えられて食堂に向かう。結婚組はもう肝が据わったのか、余裕な感じだ。チャットのドレスの調整も終っているのでリナは下手したら当日直接お直しかな。そんな事を考えながら、食事を終え部屋に戻る。
引き続き、リズと雑談を交わしながら書類を処理しているとアンジェが顔を出す。タロとヒメを散歩に連れていってくれるらしい。二匹的にはこちらと一緒に遊びたい葛藤と、散歩に連れていってもらえる喜びに悩んでいたが、首輪を着けられると、さくっと散歩の方に転んだらしく、いってくるのーと呑気に伝えてきながら出ていった。
書類の処理も終わり、フォルダに閉じて、執務室のカビアに渡そうと席を立つと、ノックの音が聞こえる。聞くと執事で、ノーウェ達が町に到着したらしい。フォルダを執務室のカビアに届けるようお願いして、リズにも伝える。
さてさて、久々のノーウェか。元気かなと楽しみになってきた。




