第519話 ディシアのお茶目とリズの癇癪
まだ暗い間に起こされたにしてはすんなりと目覚めた。が、余裕はそこまでだった。上体を起こそうとした瞬間、悲鳴を上げそうなほどに全身に痛みが走った。
「うげ……」
なんとか低い呟きで収めたが、これ、筋肉痛とは異次元の痛みだ……。全身が熱を持っているし、布団も気付けばびちゃびちゃになっている。筋組織が断裂して、全身が炎症を起こしているような状態だ。目覚めの瞬間はただ単に痛みに麻痺していただけなのだろう。全身の筋断裂を神術で治そうとすると、そっと『祈祷』の声が頭に響く。
『超回復を考えるなら下策よ?』
ディシアか。筋力を付けるのが目的ならもう少し計画的に付ける。ここまで全身に炎症を起こしている状態だと、日常生活も送れない。申し訳無いと送りながら神術を実行すると、一気に全身の痛みが引く。
『無理をするのは分かっているけど、無茶は程々になさい』
ディシアの忠告が響き、後は静かになる。
『貸し一つよ? 時間を作って降りるから、オイルマッサージでも付けてもらおうかしら』
と思ったが、余計な一言で台無しだった。化けて降りて欲しい旨を告げると、了解が返る。本当に気ままな。そう思って苦笑が浮かぶ。お疲れの様子だし、偶にはお風呂に浸かって、のんびりマッサージでも受けてもらっても罰は当たらないだろう。そもそも罰を当てる方だし。
ベッドから降りた瞬間、背後でひゃっと言う驚いた声が上がる。
「リズ?」
振り向くと、目を半開きにしたリズがベッドの窪みに手を当てている。徐々に眉根に皺が寄っていっているのが分かった。
「あのね、リズ」
「ヒィロォォォォ……」
俯いた頭から髪の毛が落ちて、まだ闇の中でほのかな月の残り香のような光に照らされたアッシュブロンドがわなわなと震えるのが闇に慣れた目にはっきりと映った。
「はいっ」
素直に答えると、ばっとリズが顔を上げる。
「これ……汗よね……」
薄く目元で輝くのは涙か。
「痛かったんだよね、苦しかったんだよね、どうして言ってくれないの……」
「いや、寝ていたから、気付かなかったん」
「ヒロは!! いつでも……そう。黙って、苦しんでる。薬師に相談する事も出来るのに……」
「大丈夫、痛みは神術で癒したから。だから」
そう言うと、リズがベッドから降り、がっちりと肩を掴んでくる。ちょっと痛い。
「相談してくれても……良いと思う……よ」
嗚咽混じりに、小さく呟く。暗闇の中でも光を反射して輝く碧眼から、ぽろぽろと水晶のような輝きが流れ落ちた。
寝起きで感情が制御出来ていないと言うのも有るが、心配させたのは私だ。
「うん。ごめんね。心配かけちゃった。ありがとう」
肩から手を離し、そっと抱きしめる。イヤイヤをするようにもがくが、しっかりと掻き抱く。
「ヒロは、ヒロは……」
「うん。私が悪い。痛かったし、苦しかった。無茶をしたと思うよ……。心配させた、ごめん」
抱き締めた体の強張りが少しずつ解け、嗚咽が弱くなっていく。
「ヒロ……。本当に心配なの……。人は全てなんて出来ないの。ヒロは本当に周りから見たら怖いの。失いそうなの。いつかどこかに消えそうなの……。怖いの……」
あぁ……。失う恐怖か……。お互いがお互いを同じ思いで思っているのに、私が一方的に負担させちゃっているな……。
「大丈夫。リズの前から消えたりしない。だって永遠に一緒に歩むって約束したでしょ?」
「約束……した」
ふわふわと焦点の合っていない瞳で、こちらの瞳を見つめてくる。
「約束は守るよ。何よりも大事なのはリズなんだから」
「ぜったい?」
「うん、絶対。絶対なんてこの世に無いかもしれないけど、絶対って誓う」
「約束……守ってくれる……?」
徐々に目に光が戻る。少し上目遣いで聞いてくる。
「守るよ。それだけが私をこの世界に引き留める存在意義なんだから」
「そっか……。でも、無茶したら、きちんと教えて。これも約束」
「はいはい」
そっと微笑み、頭を撫でると猫のように目を細める。
「なんだか、本気の度合いが足りない……」
「本気だよ」
そう告げて、顎を掴み、そっと口付ける。くちゅりと音を立てながら、十分に蹂躙し、口を離す。
「なんだろう……やっぱり、ずるい」
「そりゃ、歳の差がありますから」
そのままお姫様抱っこでソファーにぽすりと落とす。
「ほら、もう大丈夫」
「本当に……心配だったんだよ? ベッド、物凄く濡れていたし」
「いや、今回は甘く見てた。運動不足にはきつかったかな」
「そんなに無茶をしなくても……」
「そうもいかないよ。人に信頼されるにはまず実際に自分が動かないと。戦闘も日常も一緒。働かずに口だけ出している人間の言う事なんて聞きたくないでしょ?」
「それは……そう思うけど……」
「でも、今回は懲りた。少し頼るようにする」
「うん……。その方が嬉しい」
そっと曙光が窓からほのかに差し込む中、そっと口付けを交わし、そのままぱたりとソファーに押し倒す。
「ん? ヒロ?」
「何?」
「どうして、倒されているのかな?」
「んー。どうせ汗をかいちゃったし、もう少しかいても良いかなって」
「ちょ……起きたて!! もう、日も昇るし、皆起きちゃう!!」
リズが慌てた顔で押し返してくるが、そっと両手を掴み、頭の上で押さえてしまう。
「仲直り……かな?」
「ずるい、やっぱり、ずるい」
そっと口付けると、舌が押し返してくる。
五月四日はきっと晴れ。そう思いながら、そっとリズの上着を引き上げた。




