第518話 リズとの朝寝はもう少し先になりそうです
リズの方を向くと、てろっと涎を垂らして幸せそうな寝顔の為、そっと拭き取ってそのまま寝かしておく。伝令の内容なら明日伝えても良いかな。
油の切れたロボットのような動きで応接間に向かう。
「大変そうですね」
カビアがそっと囁いてくる。
「運動不足には堪えた……」
「そうですか……。私は、訓練をこなしているので、大丈夫だと思います」
あっさりと言われてしょんぼりする。そうだよね、政務って言っても運動不足で良い訳じゃ無いもんね。
「それに、ティアを抱き上げられないのは、悔しいじゃないですか」
その言葉に、涙が溢れそうになる。格好良いじゃん。なんだよ、超優良物件だよ……。
カビアの隠れ男子力の高さに打ちのめされながら、応接間に入る。流石に弱っている姿は見せられないので、ビキビキ言わせながら鷹揚にソファーにかける。
「遅い時間にお疲れ様。体調は大丈夫かな?」
そう告げると、伝令の男性が頷く。
「はい。最終の伝令だけですので、私の方は特に問題は有りません。確認している限り、待機組の方にも不調を訴える者はおりません」
「そうか……。雨も降ったし、無理をしていなければ良いけど。伝令と言う事は、レイからの話が回って来たのかな?」
その言葉に、伝令が胸元より書状を取り出す。預けた略式紋章にレイのサインを組み込んだ印章。ナイフで開けて、中を確認する。
集落の殲滅は完了。戦争当日に戻って来たのが軽装のオークが五名。所持品に食料はほぼ無く、皆集落に戻る事を前提としていた模様。それ以降の離脱対象は発見出来ていない。また、補給側からの補充も来ていないので、リナが踏ん張ってくれているのだろう。レイ達は予定通り戻るとの事だ。
と言う訳で、黒か……。少なくとも、相手は情報の重要性が理解出来る対象が率いている。結果を持ち帰ろうとする対象がいる時点で情報収集も目的の一つだったのだろう。五名の様子に差が無いと言う事は森の中で伏せていたオーク達が戦場から同胞が戻らない為、一旦集落に戻ろうとしたと見た方が良いか……。少なくとも情報を自分達が保護される場所に持ち帰ろうとしているんだ。相手のトップは情報を重視して、きちんとPDCAを回せる相手と見て間違い無いだろう。
「狼が率いる羊か……」
「は?」
「いや、何でもないよ。何か書状以外で口頭での指示は有ったかな?」
「いえ、有りません」
「そうか。分かった。苦労をかけたね。今日の予定は?」
「この時間ですので、伏せている者も戻らないと判断しています。このまま兵舎で休み、明日明け方に戻ります」
「うん。もう暫くの辛抱だ。頑張ってもらっているのは分かっている。このまま頼む」
「畏まりました!!」
伝令が部屋を出た瞬間、目元を手で押さえる。
「読んでも?」
「ん? あぁ、大丈夫。予定通り順調だよ」
そう言って、カビアに書状を渡す。
「五匹が森に伏せていたと言う事ですか……。伝令ですか?」
「逆かな。私の予想だと、戦況の報告を集落に上げる為だと考える。で、集落に来る補充に護衛されて、本拠地に戻るって考えている」
「……オークが、ですか?」
「オークと言うより、オークにそう指示を出した存在が、そこまで読んでいる……かな」
そう告げると、カビアの顔が苦い物を帯びる。
「過大評価……では無いのですね?」
「んー。過大評価かも知れない。でも、リナが帰ってきたら分かるかな。補充組が来ているようなら、維持をするつもりだった事になるから。百やそこらのオークで村や町を壊滅まで追い込むのは難しい。人間だって、そんなに問題ばかりだと逃げたりするしね。人類圏の縮小が向こう側の目的と見た方がしっくりくるかな」
「そこまで、オークが考えますか? あぁ、それで……。指示を出した存在、と?」
「そうだね。こりゃ、根が深い話になりそうだ。ノーウェ様もそうだけど、ロスティー公爵閣下に早急に伝えて、魔物勢力の一掃を考えないとじりじり追い詰められる可能性がある。今回、火攻めの準備が無かったのは会戦になると踏んだからだろうし、今後下手したら、小規模に入り込んで破壊工作を実施されないとも限らない。色々面倒臭い事になりそうだ」
「人間臭い動きですね」
「人間より狡猾と思った方が良いと思う。相手に禁忌は無いんだから。同じなんて考えていたら、食い破られるだけだよ」
そう言うと、カビアが渋面を隠さなくなった。まぁ、そりゃそうか。人間相手に戦う事自体が稀な世界だ。そんな意識も無いのだろう。頭の中に地球の各地で発生しているゲリラ戦やテロの状況が浮かぶ。はぁぁ、まずは結界の増強が先かな。諜報職に拘らず、斥候職に上げてしまった方が早いか……。しかし、防諜を考えると、難しいか。この辺りも少し親を頼るか。相手が信用出来ないと話にもならない。
「そう言えば、先程の狼が率いる羊とは?」
カビアがきょとんとした顔で聞いてくる。
「あぁ。故郷の言葉で一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れにまさると言うのがあるんだよ」
「どう考えても、狼の群れの方が勝ちそうですが」
「はは。言葉だけならその通りだよ。まぁ、統率者がしっかりしていたら弱兵が強兵を負かす事も有ると言う話だね。『リザティア』だってまだ盤石と言う訳じゃ無い。そこの間隙を突かれるのは面白くないし、今後魔物が西側から攻めてくるなら、ここが砦になる必要がある。そう考えれば、油断は出来ないねって話だよ」
「そうですか……」
何かを考え込むようにカビアが俯く。
「まぁ、難しく考えても仕方ないよ。今は、目の前の事から片付けよう。町開きをしないと、『リザティア』も始まらないしね」
「そう……ですね」
「結婚式をしないとティアナも安心しないしね」
「あ、男爵様!! それは!!」
「はは。さぁ、寝ようか。さっさと寝て、すっきり起きて考えよう。流石に体中が痛くて、もう寝たいよ」
「分かりました。おやすみなさいませ」
「うん、済まないが、後は頼んだ」
そう告げて、部屋に戻り、布団に潜り込む。どう考えても不釣り合いな戦術とオークの知能。同じ人類とは言え、あんな隔絶した戦略思想が生まれるのか? 負けた事も想定して情報収集をメインにした人員を想定するなんて……。ごろりと転がり、ほけーっと眠っているリズの顔を眺める。どうしたら、この宝物を守れるのか……。
「あぁ……三千世界の烏が増えただけの話か……」
リズと朝寝は当分先かと諦めて、目を瞑る。そのままするりと、意識が闇に溶け込んでいった。




