第517話 運動不足のつけです
日も暮れかけ、肌寒いと思える風が吹き抜ける中、最後の印に植え終わった段階で、畦に寄りかかる。もう、膝ががくがくして、泥から抜け出せない。
「ヒロ、生まれたての鹿みたいになっているよ」
「リーダー、超ぷるぷるしてる」
皆が笑うのは聞こえるが、全身の倦怠感で返事も出来ない。田植え、ハード過ぎる。甘く見ていた。周囲を見回すと、皆平然と畦によじ登ってそのまま泥を流しに向かっている。
「たすけてー」
もう動けないと思って何とか声を振り絞ると、リズが両手を掴んで一気に引き上げてくれる。
「無茶し過ぎ。無理だと思ったら、交代したら良いのに。ヒロはそう言うところ、ちょっと責任を感じ過ぎ」
何とかリズの肩を掴んで、ぷるぷるしながら、川に入る。もう、神術も効かない。乳酸の蓄積による痛みじゃ無くて純粋に疲労なので、ディシアにどう伝えて良いのかも分からない。熱を持った足が川の冷たさに癒されるが、最終的には温めた方が良いはずだ。がくがくと油が切れたロボットみたいな動きで腰を曲げて、なんとか泥を落とす。川から上がろうとするにも足も上がらない。
「リーズ。たーすーけーてー」
もう、声を出すのも辛いので、弱弱しい囁きになるが、気付いたリズがひょいっと引き上げてくれる。
「背負った方が良い?」
「ちょっと格好悪いから、肩だけ貸して」
そう言うと、リズが少しだけ苦笑して、そっと肩を貸してくれる。
「負けず嫌いさん。でも、そう言うところも格好良いよ」
そっとリズが呟き、そのまま馬車に戻る。器材の片付けなどはロットが農家の人と調整して済ませてくれた。私は、馬車に引き上げてもらい、そのまま倒れ込む。
「皆、結構余裕あるよね……」
呟くと、皆が苦笑を浮かべる。
「鍛えているわよ」
「足腰は乗馬にとって重要です」
「鍛冶仕事でも、膝と腰は重要だな」
「研究や言うても、歩き回る事が多いですさかい」
「猟の時は、隠れて移動しないといけないから、中腰での移動は慣れているよ」
「もう、麦刈りで超慣れた。と言うか、超飽きた」
皆が呆れたように伝えてくるので、辛いのは私だけかと、訓練の重要性を再確認した。少しだけ、涙がちょちょぎれそうだ。
「農家の方との調整、終わりました。後は任せても大丈夫との事です」
ロットが颯爽と馬車に乗り込むと、全員揃ったと言う事で、テスラが馬車を出す。少し進んで折り返した窓からは、風にそよぎながら揺れる緑の絨毯が広がっている。
「あれ、そんなに重要なの?」
フィアが問うてくる。
「今後の食糧事情ががらりと変わる可能性はある。それに調味料なんかも作れるから」
そう答えると、食いしん坊たちの目が光る。
「収獲は秋だから、もう少し先だよ」
そう答えて、緩やかに揺れる馬車の中で体を伸ばし、ぐてーっとなりながら、領主館を目指す。
領主館に戻ってからは這うように浴場まで向かい、お湯を生んで部屋に戻る。川に浸かった分体が冷えているのを考慮して、少し熱めの湯を生んでおいた。
部屋に戻ると、嬉しそうにリズが浴場に向かう。二匹も今日は十分に散歩に連れていってもらったのか、上機嫌で足元で伏せている。
目を瞑り、ここまでの状況を再確認する。オークが攻めてきた状況から考えて、集落側の伝令が戻ってくるのが今日の夜半辺り……。それによってオークの動きがある程度分かる。それにダブティア王国側の早馬が走っているだろうから、こちらに到着するのが後三日以内。道は一本だから最短距離を走ってくると考えると、ロスティーと接触する。宰相なのは分かっているので、そこで伝えると見る方が可能性は高い。通常、開封出来ない書状を私が預かって、そのままノーウェ経由で国王に届ける形になるのであれば、結果は一緒と見るだろう。ロスティーにどこまで権限委譲されているかにもよるが、外務大臣であれば親書レベルでなければ閲覧権限はあるはずだ。出来れば、早めに情報は欲しい……か。それによって、他国への侵攻状況もある程度は見えてくる。
そこまで考えていると、リズがほこほこ状態で部屋に戻ってくる。にこやかに出迎えて、着替えを抱えて二匹と一緒に浴場に向かう。もう夕ご飯は食べたようなので、プカプカスヤァかなと思っていたら、案の定、二匹共ぐっすり眠っている。さっと頭と体を洗って、湯船で体中を揉む。もう、どこを触っても痛すぎて嫌になる。
「運動不足じゃ無いのか?」
体を洗って浸かってきたドルが口を開く。
「身に染みた。もう少し真面目に訓練に参加すべきかな」
「と言っても、領主としての仕事も有りますから、難しいですね」
ロットが肩口を揉みながら、呟く。
「鍛えて損は無いし、時間は……。作るしかないかな」
苦笑しながら、呟くと、苦笑で返される。
風呂を上がり、食事を済ませると、部屋に戻ってベッドに直行となる。もう疲れて、何もやる気が起きない。リズもいそいそとベッドに潜り込み、良い顔で寝息を立て始めている。蝋燭の灯りを消し、目を瞑ると、そのまま睡魔に引きずり込まれる。
日が変わり、まだ早朝辺りに、控えめなノックの音が響く。
声をかけると、カビアのようだ。
「伝令が戻りました」
びきりびきりと痛む体を無理矢理起こし、ベッドから降りる。さて、答え合わせの時間かな……。




