第513話 蓮華とテスラの思い
領主館に着く頃には殆ど霧のような細い雨になっていた。このまま止んでくれれば、明日にも田植えが可能かな。テスラが馬車を駐車場に回していくのを見送りながら、空を見上げる。
領主館に入り、部屋の方に戻ると、ロット部屋が騒がしい。雨で訓練が中止なので皆で雪崩れ込んだか。少しだけ苦笑が浮かぶのを堪えながら、部屋に戻る。
外套の手入れをしようと思ったが、侍女がそのまま持っていってくれたので、ぽすんとソファに座り込み、情報の整理を始める。
少なくとも、『属性魔術(鉱)』に関しては、予想が近いのだろう事は分かった。また、鉄しか作って来ないと言う事は鉄しか知らない可能性もある。銅自体の総量が鉄より少ないと言っても、掘るところを掘れば出る。青銅の文化を通り越して鉄から始まると言うのは歪だ。何かのブレイクスルーがオークの中であったのは間違い無いだろう。それにオーガがいない事も気になる。人間と魔物は意思疎通が不可能なのは魔物が魔素に侵されたからだ。じゃあ、魔素に侵された同士での意思疎通は? そう考えると、嫌な予感が止まない……。
ふぅと溜息を吐き、服をラフな物に変えて練兵室に向かう。少し体を動かして気分を変えないと嫌な気分が消えない。
クロスボウの訓練用の土台と的に向かい、立つ。炭素の配合量をやや増やしてパチンコ玉程度の真球を生み出し、念動力で掴む。そのまま的の中心にタッチさせて、戻す。『術式制御』がやはり効果範囲なのか、特に阻害される感覚は無い。この辺りの検証は屋外かなと思いながら、念動力での移動速度そのものを調整し始める。速度に関しては上限は良く分からない。肉体が関係無い為に、どこまでも速度が上げれそうだし、掴むと言っても握力で握っている訳ではないので、離れる事は無い。
ピッチングマシーンをイメージして投げてみると、ぱちんと音がしてどこかに跳ね飛んでいった。ぬぉ、飛んだパチンコ玉を五十メートル先から探すとか無理。ちょっと焦ったが『探知』で条件を区切ったら、床の溝の辺りで佇んでいる鉄球を発見出来た。
同条件で数個を生み出し、それぞれを掴んで動かしてみるが、すぐに気持ち悪くなる。過剰帰還では無く、脳が酔う。幾つもの目標を違う軌道で動かせる程人間の脳は器用じゃ無い。ちょっと訓練が必要だろう。
そう考えると、あのオークは複数をどうやって制御していたのか……。訓練と言ってもあれだけの無数の鉄球だ……。ふぅむ……。
取り敢えず、リーダーを決めて、周囲に配するように固定させて、動かしてみると、一気に制御が楽になる。多重術式の制御に近い。オークがやっていたのはこれか……。玉を一気に増やしてみるが、特に制御に大きな影響はない。リーダーに紐づけて運用すれば、負荷が一気に下がるイメージかな……。
玉を一旦まとめて、用意していた袋にぽとぽとと落としていく。
ふぅと目を瞑り、息を吐く。脳内で、柄も無いナイフを一本一本イメージしながら、周囲で周回させながら生み出していく。一本が二本に、二本が三本に、三本が四本に指揮者のように両手を広げ天を受け入れる態勢で、過剰帰還が来るまで、延々と繰り返す。ベールのように、周囲にナイフが整列し、球形に螺旋を描き、回転し続ける。ちりとした脳内の瞬きを感じて、生み出すのを止める。その数、約六百本。質量的にはこんなものか……。
重層を描きながら、周囲を回るナイフのリーダーに的への照準を指示する。周囲を回転していたナイフが蓮華を描くように一本のナイフを中心に花開き、そのまま角度を変えて、的に向かって円を描いていく。全てのナイフが静止した瞬間、リーダーを持てる最高速度で投げ放つ。その瞬間キュドっと言う音を発し、一本のナイフが的に向かった瞬間に内側のナイフから順に引かれた弓が放たれるように、ただ的に向かって殺到していく。初めの何本かがドスと言う音を発して的に刺さったのは確認したが、それ以降はただの音の乱打にしか聞こえなかった。台側の土壁まで貫通したのか、土埃が舞って目標は確認出来ない。あぁ……台座の修理もしないと駄目か。
そんな事を考えていると、背後からカランと言う音が響く。振り向くと、テスラが呆けた顔で木のナイフを取り落としたようだ。
「どうかした?」
「いえ……。失礼致しました……。訓練のつもりで来ましたが……。あの、あまりに美しかったもので……」
「美しい?」
そう聞いた瞬間、不覚にも笑いが漏れてしまった。
「あの、何か言いましたか、私」
「いや。そうじゃない。美しいかぁ。ごめんね、何かを殺す術に美しいと言う表現は合わないなって、そう思っちゃっただけ」
「そのような事は!!」
テスラが、胸元に手を当てて、叫ぶ。
「美しい物は美しいです!!」
「うん、そう感じてもらってありがとう。でも、その美しさが何かを殺すと言う落差が少し滑稽だっただけ。大道芸にでも使えれば良いかもしれないね」
そう言いながら、的の残骸を確認する。ズタズタに切り裂かれた的は原形をとどめていない。台座の奥深くにナイフは埋まってしまっている。これで面制圧の手段は手に入れたか……。ますます人外になっていくようで少し虚しいな。そう思いながら表面に出ていたナイフを一本引き抜き、再度紐付けして、全てのナイフを台座から念動力で引っこ抜く。一瞬、背後にばらけたナイフは放り投げた一本を中心に大輪の花を咲かせる。
その姿をほわっとした顔で眺めていたテスラが呟く。
「強さを……力を、否定なさるのですか?」
「否定しない。ただ、少し力の概念がテスラと私では違うとは思う」
「それは?」
「テスラ、私は、問う。何故、戦場に立ちたいと、憤りを、不本意を感じたのかな?」
「私の力が誰かの命を救うなら。私の知っている方が、傷付くのは嫌です。それならば共に戦いたいです!!」
「うん。君の力は正しく前を向いている。自分が何かを殺すのを肯定するのではなく、誰かを、何かを守りたい。その思いは尊いよ」
少し念動力の限界も知りたかったので、背後で万華鏡のようにナイフを組み替えていく。その姿もテスラには美しい物と見えるのか、ただただ口を開き眺めている。
「力無き正義なんて子供の戯言だからね。ただ、それは目の前の何かを殺すだけでは無い。富を生み、他の干渉を避けるのも力だね。莫大な兵力を以って、攻めても無駄だと思わせるのも力だ。少しだけ視点を上げたら良いよ。力は何も一つじゃ無い。全てが力の源泉であり、極めれば、もうそれは力だからね」
そう言うと、テスラが真剣な瞳でこちらを見つめる。
掌を差し出し、細身の片手剣を生み出していく。どこまでも白銀に煌く刃。柄からは昔の厨二心全開の装飾をイメージする。ふわっと浮いた片手剣を右手でしっかりと握る。背中のナイフ達は大輪の蓮華の花を咲かせる。雨雲も千々に散り、窓からは赤みを帯びた光が注ぎ、蓮華を赤く染める。
「テスラ、契約の更新を希望していたね……。条件は?」
一歩一歩テスラに向かって歩む。一瞬、気圧された表情を浮かべたテスラがきっと唇を噛む。
「男爵様が……、奥方様を、仲間達を、民を思うように、私も、この領地を思い、戦いたく思います」
「それは、私が一人で抱え、走り続ける為の理由だよ。テスラが思うべき事では無い。それは支えるには大きすぎるよ」
そう言うと、いやいやをするように、首を振る。
「ならば、せめて!! 私の知る方が傷つかないように!! 男爵様を含め、私が好きな人達を守りたい!!」
「組織に属すると言う事は、もしかするとそれが守られない命令を下される事がある。それを飲み込めるの? 今までも自由は無かったはずだけど」
「それでも!! その機会すらも奪われるのは嫌です!!」
あぁ、良い子だな、この子……。幸せになって欲しい。
テスラが泣きだしそうな顔で、跪く。
「分かった。テスラ、君は今後一緒に戦ってもらう。その身に幸があらん事を」
剣の腹を額に当て神々にテスラの息災を祈り、頭を下げたテスラの肩に剣の腹を当てる。
「御身の思い、しかと受け取りました。これより、私は御身の剣となります。どうぞ、ご存分にお振るい下さい」
テスラが宣誓を告げた瞬間、剣の先に青紫の光が灯った気がした。
念動力でひゅぼっと音が鳴る勢いで剣を引っ繰り返し、切っ先を掴み、差し出す。
「これは……?」
「記念。あげるよ」
「綺麗……です……」
テスラが、上気した顔で呟く。
「すまないけど、一つ頼まれてくれないかな?」
「なんでしょうか?」
ふわふわとした表情で柄飾りを眺めていたテスラが問うてくる。
「規格の箱を四つ、持って来てくれないかな。ナイフを仕舞いたい」
「あ、はい。畏まりました。急ぎお持ちします!!」
「剣、危ないから仕舞ってからで良いよ」
「分かりました!!」
そう言いながら、テスラが剣を片手に走って去っていく。さてさて、望むようにしてあげないと駄目か。ちょっとレイとも調整だな。沸き上がってくる苦笑を堪えきれず、くくと口に出しながら、ナイフの剣舞を実行し続ける。ただの訓練のつもりだったんだけどなぁ。




