第508話 知とは
「派手な……登場ですね」
精緻な装飾のティーカップを片手に、アレクトアに問うとふむと小さな頷きが返る。
「テルフェメテシアが降りたのも見ていただろうに。こちらの世界へは膜を一枚隔てた状態でな。通常は何らかのエフェクトで隠すが、別に知られたところで問題は無い。そもそもお前は裏側も知っているしな」
澄ました顔でアレクトアが言い切った。何だか、手品のタネを知っている人間には演出しませんみたいな言い方だが、十分に派手だった気もする。ただ、ちょっと魔王的な演出だったので、神々しいエフェクトをかけていたテルフェメテシアの方が正しいのかなとは思う。一般向けにはあれでお願いしたい。
久方ぶりの日本の繊細な甘味に顔が綻ぶ。元々あまり甘い物を食べる習慣が無いので、こう言う機会でもなければ食べない。ふむ。やっぱり砂糖の雑味はどうにかしたいな……。美味しくない訳ではないのだが、甘みだけが欲しい時に少しくどくなるのが辛い。せめて押し船を使った加圧法で蜜を分離させて研ぐぐらいはしたいかな。でも、蜜ってサトウキビのミネラルだし、栄養素でもあると考えると、あまり抜き過ぎるのも考えものなのかな……。ふぅむと考えていると、アレクトアが微笑みを強める。
「お前は本当に気を遣うな……。もっと日本の技術を押し出してくるかと思っていたが。不便とは思わんのか?」
「技術はそのまま力に直結します。今でも急進的だと考えています。手押しポンプ一つ取ってもそれで発生する余剰な時間は生産に寄与します。なので、あまり日本文化を押し付ける気はありません。まぁ、娯楽は余裕を楽しみに変える物なのでストレス発散の意味も含めて、少し進めていますが」
「そうか」
アレクトアがティーカップを傾け、ほうと息を吐く。
「お前が来た当初はやはり意見は二分した。客人として歓迎するのは前提だが、世界を混乱に陥れる存在であれば、制限する必要があるのではないかと言う意見はあったな」
「やはり……ですか」
「勘違いするな。技術など、必要な状況が生まれれば、勝手に発生する。必要は発明の母と言ったはずだ。そこにヒントだけを投げられて、無尽蔵に無軌道に技術が乱立する状況と言うのはあまり好ましくない。そもそも無駄が多いし、技術と技術が組み合わさった時に思わない方向に進む可能性が高いのでな」
「硝酸カリウム、硫黄の抽出。木炭との混合。火薬の発生……ですか?」
「そうだな。歴史を見れば有益な発明だっただろうが、同じく命を奪った物でもある。だが故に、気を遣うな……と」
「魔術の根幹はイメージの発露。要は知らなければ、限界を超えられない。そう言う事でしょう?」
つととアレクトアの瞳を見つめる。そこには悪意は感じない。ただ、慈しみだけを感じる。
「知は閃きの具現化だ。集積されて知識となり、用いれば知恵となる。お前達とて二千年を超える歴史の知識を用い、知恵と成しておる。この世界はまだ未熟とは言え、知の発露により切り開かれていっておる。それは、地球と変わらぬよ。故にこそ、好ましいと、我々は思うのだよ」
微笑みと共に、むしゃりとマカロンを頬張る。
「制御され、目的を持った知識の流入。未来を見据えた上での取捨選別された知恵の発露。管理者の意向は分からぬが、お前が選ばれ、この地に降りたのはそう言う意味なのだろうなとは推測する。ただ、お前自身は心配だがな」
「心配ですか?」
「優しさは力だ。だが、諸刃の剣故な。人を惹くが、自らを切り裂く刃でもある。お前の倫理構造では『勇猛』など麻酔にもなるまい。日本の者に取って、赦しなど絶対の根拠にもならん。そこは申し訳無く思う」
一神教にとっての神の赦しは絶対でも日本人にとっては別にどうと言う事の無い話だ。
「はは。リズにも言われました。今日は色々と気を遣われる日です」
「過度のストレスは容易に人を殺す故な」
真剣なアレクトアの眼差しに微笑みを返す。
「覚悟は決めました。ただ、後悔は胸に留めます。あの日、賢王を弑した瞬間から、私の器は青い血を貯める為の物です」
「青い血……。為政者か。政など、人が人を支え合い過酷な世を生き抜く為に与えた概念だが……。それが個人を圧殺する歯車となるならば本末が転倒しておるがな」
やや眉根に皺を寄せながら、アレクトアが呟く。
「それでも、人が生きるには導きは必要でしょう。目的も目標も無ければ、路頭に迷います。私は私の大事な人間を民を国を守ると決めました。将来は世界なのでしょうか……」
「そこまで気負うな。と言うても無駄なのだろうな。が故にこそ、惹かれるのだろう。成したいように成すが良い。神々はそれを肯定し、守る。それはあの日の誓いより変わらん。赦すと告げたあの日からな」
「ありがとうございます」
素直に頭を下げると、ふふと漏れた笑いが聞こえる。
「あの日は戸惑いばかりだったのにな。人はほんに短い時で成長する。愛しいな。はは、戯言か……」
アレクトアがポットから茶を注ぎ、カップから上る香気をくゆらせた。
「さて、本題に入るか」
アレクトアがソファーに鷹揚にもたれかかる。
「聞きたい事が有るのだろう?」




