第506話 慣れる事、慣れてはいけない事
そのまま二匹を抱えて、浴場に向かう。春とは言え、動いて汗をかいたしまだまだ気温も高いと言う程では無い。少し熱めのお湯にしておくかと、気取って指を鳴らして湯船を満たす。その瞬間、ほわっと湯気が上がり、お風呂独特の香りが広がる。
『まま、ぷかぷか?』
『ぱぱ、ぷかぷか』
二匹がお湯の香りを感じたのか、しっぽを振り始める。
『後でね』
『馴致』で伝えると、しょんぼりした感じが伝わってきたが、喉の下や耳の後ろなどを盛んに擦り付けて来る。匂いが薄まる前に移そうとしている感じだ。首元を二匹がこしょこしょするのでくすぐったい。よしよしと抱き上げて、部屋に戻る。
まだリズ達は装備の整備を行っているっぽい。フィア達は返り血だし、リズ達はあの礫に晒されての修復をどうするかの話をしているのだろう。
二匹をフルフルと揺らすと、大人しくぽてっと部屋の床に着地する。
『まま、ごはんなの!!』
『ぱぱ、たべるもの』
『馴致』で伝えて来る内容がよく分からない。ごはん? たべるもの? あぁ!? 血臭か……。あぁ、二匹が飛びかかって来たのは狩りから帰ったと思ったからかな……。苦笑が浮かび、二匹の頭を撫でて箱の中に抱いて入れる。
『少し待ってて』
そう伝えると、二匹共大人しくお座りしてはっはっと待つ。
部屋を出て、通りがかりの侍女にいつも二匹を世話してくれる侍女を探してもらえるかと尋ねる。
「あぁ、アンジェですね。少々お待ち下さい」
深々とした一礼の後、楚々と廊下の奥に進んでいく。暫く待っていると、見覚えのある侍女と一緒に帰ってくる。
「領主様。お呼びとの事ですが……」
「あぁ、畏まらなくて良いよ。聞きたい事が有ったから。タロとヒメって朝と昼って普通通り食べたかな?」
「はい。頂いていた分量でお出ししました」
「んー。と言う事はあまり食べさせ過ぎると、駄目かな……。時間的には夕ご飯扱いかな……」
「そう……ですね。この時間でしたら、もう夕ご飯の時間かと。後、散歩は十分にこなしておりますので、食事も十分にあげて大丈夫です」
「分かったありがとう。わざわざ来てもらって助かった」
「いえ。お役に立てて光栄です」
一礼に対し微笑みを返して、厨房に向かう。
「料理長ー。忙しいと思うけど良いかなー」
声をかけると、男性が手を拭いながら向かってくる。
「熟成肉の方を使い始めていると思うけど、枝肉で大腿骨に肉を付けた状態で二本もらえるかな」
「はい。それは可能ですが……。狼ですか?」
「うん。どうも狩りに行ったと勘違いしているみたいだから。肉としてあげるより骨身であげた方が良いかなと」
「なるほど。そうですな。分かりました。新鮮な肉がよろしいでしょう。平原での狩りは続けておりますので、まだ剥いだばかりのウサギが二羽有ります。中途半端な量になっておりましたので、そちらをお持ち下さい」
「んー。少しだけ一日分と考えると多いかな……」
「ふふ。戦勝の祝福と考えればよろしいかと。散歩も大人しくついていったようですし、良い子で待っておったようですよ」
「そっか。じゃあ、頼めるかな」
「少々お待ち下さい」
料理長が微笑み、奥に行き、料理人に声をかける。すぐに皿に盛った毛皮が剥されたウサギが二羽用意される。
「ありがとう」
「いえ。本日はお疲れかと思います。優しめの食事を用意しておきます」
「助かる。正直、指揮で胃が痛いし。運動した人間は別だろうけど」
「はは。その辺りは別でご用意致します」
料理長に見送られながら、部屋に戻る。リズ達はまだなのかな。
箱の前に、ウサギを置くと二匹がはしゃぎだす。
『まま、すごいの!! おおいの!!』
『ぱぱ、えらい!!』
待て良しをすると、がつがつと食べ始める。血抜きはしていないのかどろりと垂れるが、皿の上なので気にしない。
一仕事を終えて、ソファーに座り込む。気温は程良いが、どこか寒い気がして暖炉に積まれた薪に火魔術を投げ込む。
薪の焼ける香りが漂う中、目を瞑りソファーに体を預ける。太ももの上で組んだ両手は小刻みに震える。あぁ……寒いんじゃないのか……。
ふと肩口から温かい物に包まれる。目を開けると、リズが後ろから覆い被さるように抱きしめてくれている。
「ヒロ……やっぱり?」
「んー。そうだね。何かを殺すって言うのは性に合わないね」
苦笑を浮かべながら、暖炉の火を眺める。ゆらゆらと揺れる火を眺めながら、訥々と口を開く。
「ごめんね……。やっぱり分かってあげられない。攻めてこられたから、守りました。こちらには重傷者も出ていません。良かった。それって、全部ヒロのお蔭なのにね……」
「うん。ありがとう。分かっている。それでもなんだろうし、きっとこの感情を失ったら、私は私じゃ無くなる気がする。私はこの感情を抱えてどこまでも生きていかないと駄目なんだと思うよ」
「そっか……。辛いね。私が出来るのは支えてあげる事だけだから……。寒いのなら、温めてあげる事しか出来ないよ……」
肩口から広がる温もりが、冷えて凝った心を溶かしてくれる。そんな感じを抱きながら、後ろを振り向き、リズの唇を啄む。
「ありがとう。温かい。もう、大丈夫」
「もう、無理ばっかり……」
リズがジト目で見てくるが、微笑みで躱す。
「本当に大丈夫。さぁ、お風呂に入っておいで。汗をかいたし、冷えるよ」
「うん。じゃあ、行ってくるね」
リズがそっと離れて、用意を持って、浴場に向かう。ドアが閉まった後に両手を広げてみたが、震えは収まっていた。あぁ、やっぱり敵わないな……。苦笑を浮かべて机に向かう。どうせ重い仕事は情報が揃わなければ動かないだろう。日常業務からこなしますかと肩を回して、席に着く。




