第447話 塩析済み石鹸の処理について
「では、軍は動く前提と言う話なのですね」
朝ご飯を食べながら、ロットが言う。
「まだ、又聞きの段階だから何とも言えないけど、伝令の話だと伯爵は軍の準備を始めたし、今件の責任は持つと言っている。という事は動くのだろうし、動くとしたら、今日か明日には目的の村に軍が入る筈だよ」
「詳しい話は分からんが、閉じ込められていると言う話なら、危害は加えられてない可能性の方が高いか……。教会なら尚更だ。このままきちんと保護されてくれれば良いが」
ドルが若干苦い顔で言う。心配させないように人魚の子供達の件に関して、詳細は伝えていない。情報の取得方法もかなりえげつない方法だったし、情報そのものもあまり気持ちの良い話では無かったからだ。無駄に気を遣わせるより、元々知らない方が良い。傲慢かもしれないが、知らない方が幸せな事実なんてごまんと有る。何でもかんでも情報を共有するのが良い物でも無い。手が出せない状況に悶々としながら過ごすのは私だけで良い。
「そこまで悪辣じゃ無い事を願っている。子供と言っても本当に小さな子の筈だ。保護者が付き添っていなければ生活も出来ないよ。そうなれば、教会関係者が必ず庇護する。教会関係者を害してまで何かをすると言うのは村規模の共同体では考えにくい。なので、そこまで心配はしていないよ」
教会はあくまで感謝とそのお礼の奉仕をする為の場所だ。神様が実在するだけに信仰と言うより、何かを叶えてくれてありがとうと言うのが趣旨なのでもっと即物的だ。なので、領主から一定の予算が出て維持管理が行われる。
お礼の言い場所、体現場所が無いと民達も困る。神様が今度は叶えてくれないかもしれない。そう思ってしまう。そう言う意味では、教会は重要施設だ。
その為、予算も奉仕施設と言うには結構な額が支払われる。ただ、その予算を使って、炊きだしや孤児の世話なども行われるので裕福な生活なんて送れない。教会関係者も、夫に先立たれた奥さんとか生活が比較的しにくい人間が入る事の方が多い。
「それでも子供を教会に閉じ込める、その行為自体が悪辣だわ……。人魚さん達もあんなに頑張って生きているのに……。その愛の結晶を一方的に攫うなんて許せないわね」
ティアナも改めて憤慨した顔をしている。
「さぁ、あまり自分で手が出せない事に苛々してもご飯が美味しく無くなっちゃうよ。さっさと食べて訓練しちゃおう。雨もそろそろ降ってくる頃だろうし、午後はゆっくりしたら良いよ」
窓から外を覗くと、曇天はますます雲の厚さを増し、今にも雨が降ってきそうになってきている。湿度も高いし、石鹸の方の状況もちょっと気になるかな。
そんな雑談を交えながら、朝食を終えて、皆は訓練に向かう。チャットも例の魔道具を使用人に頼み練兵室の方に向かって行く。
執事に聞いてみると、伝令の人は旅装を解き、睡眠に入ったと言う。もう、到着した際には朦朧としていたようなので、休んでもらってからじゃないと話が聞けないと言う判断は正しかったようだ。
「今は安静に眠られております。馬の方もかなり疲労が溜まっているようですので、食事を食べ、揉まれている間に寝てしまったようです」
「かなり無理してもらったしね。五日弱かかる道を三日強で走った訳だし。今はゆっくりしてもらおう」
「畏まりました」
執事が穏やかな顔で下がっていく。朝の喧騒とは違い、迎える準備が出来たので館の中も落ち着きを取り戻している。
私は倉庫に向かい、石鹸の様子を確認する。
冷えて固まった石鹸は案の定、鍋にこびり付いて取れなくなっている。竈に火を入れて、鍋の周りを温めて、溶かして、すぽっと抜く。すると、そこの方の茶色い汁から何とも言えない異臭が漂う。何の臭いと表現して良いのか分からないが、揚げ物とかそう言うレベルでは無く異臭だ。もう色々な臭いが入り混じって表現出来ない。ただの廃油だったし、そんなに臭いも無かったのに、塩析するだけでどうしてこんなに臭いが出るのかが不明だ。今度日本に帰った時にでも、もう少し石鹸作りに関して調べてみるか……。廃液に関しても一旦廃棄用の樽に流し込む。成分的には若干アルカリ寄りだけどそこまでは強く無い溶液の筈だ。希釈して川に流すか、町から離れた場所を廃棄場所にするかかな。『探知』で地下水脈を確認すると、綺麗に北から南に流れている。溜まったら東側の川向うの何も無い場所に廃棄してしまおうかな。
取り出した石鹸は大分色が抜けたのと、臭いがしなくなっている。あまりもろもろするようだと塩抜きが必要だった筈だけど、もろもろした感覚は無く、固まっている。ただ、裏面を見た時にちょっと後悔した。数の子みたいにびっしりとぷつぷつした状態になっている。頬の当りがぞわっとするのが分かる。蓮の種とかそう言うのを見るのは苦手なので、こう言うのを見ると、ちょっと気持ち悪くなる。
ナイフで切ると、中の方はまだしっとりとしているようだ。少しだけ切り取って水と一緒に擦ってみると、泡が出て洗浄されている感じはする。ただ、洗浄後のしっとり感が無いのが気になる。塩析の際にグリセリンなども一緒に抽出されてしまうので、それが影響しているのかな……。臭いと石鹸の質としてのトレードオフかな。塩析までは必要無いか。余程油を汚すようになったら考えるけど、今の状況なら、そこまで石鹸にした時に影響は出ない。
取り急ぎは、海藻を焼いて灰にして海から持って来てもらうようにして、それで石鹸を作れば良いだろう。貝殻の方は、鍛冶ギルドの方で高温で焼いてもらおう。水酸化ナトリウムでの固い石鹸の量産を目指そう。塩析分は自分でパッチテストをして使いきっちゃおう。それでも結構な量になるけど。
そう考えると、今回作った石鹸を細かく刻んでいく。洗った鍋にお湯を生み竈で熱する沸騰する前に石鹸を少しずつ入れては崩していく。どろどろと濃いシチューのようになったところで火から降ろし、掻き混ぜながら温度を落としていく。このまま乾燥させて、硬めの石鹸の出来上がりかな。明日辺りに精油を混ぜ込んだら、乾かして完成で良いだろう。
ふと時計を見ると結構な時間が経っていた。石鹸を冷やすのに時間がかかったっぽい。昼には少し早いので、部屋で書類の続きでもしよう。そう思って倉庫を出ると、しとしとした雨が降り始めていた。空を見るとどんどん暗くなっている。このままだと、本降りになりそうだ。あぁ傘が欲しいけど、そろそろ油紙の生産とかも始めた方が良いのかな。上着を傘代わりにして、館まで走る。
湿った上着は途中で会った侍女に預けて洗濯をお願いする。
部屋に戻ると、リズはまだ訓練の最中のようだ。タロとヒメは湿度が高い中、箱の中で二匹仲良く伏せて丸まっている。トルカ村でもそうだったが、雨の日はあまり活発的にならない。大人しくしている分には問題無いかと書類仕事を始めると、構っては欲しいのか椅子に座った足に、タロとヒメが仲良く乗ってくる。ちょこんと机の上に頭を出して振り返り、構ってと言う目で見つめてくる。書類の処理に関しては大分先行している分も有るので、お昼までと思って骨の玩具を投げて遊ぶ。フライングディスクの方が達成感が有るのかちょっと骨の玩具の人気が下火だが、それでも一緒に遊べると言う事で嬉しそうに取ってきては、足元にぽとりと落としてくる。
何度か繰り返していると、リズが戻ってくる。
「訓練は終わり?」
「うん、今日の分は終了したよ。雨の所為か、汗でびしょびしょ。気持ち悪い」
「なんだったら、もうお風呂入っちゃう? お昼までまだ時間は有りそうだけど」
「それは嬉しいかも。皆にも伝えて来るね」
そう言って、リズが部屋から出るので、私も浴場の方に向かう。どうせそろそろ伝令の人も起きるだろう。食事を取って風呂でも入ってもらった上で、ゆっくりと報告が聞きたい。
いつも通り、女性陣、男性陣の順番でお風呂に入る。タロとヒメはちょっと時間が違うので不思議そうな顔をしていたが、眠く無い状態でお風呂に入れるのは嬉しいのか、ぷかぷかしていた。
風呂から上がると、丁度食事の支度が出来たとの事なので、食事を取る。鳥のソテーだったが、どうもソースの件が気になったらしく、色々創意工夫がされたソースになっている。香りに関してもハーブが複雑に絡み合い、もう単純なとは言えなくなっている。皆で舌鼓を打ち、アレクトリアを称える。
恥ずかし気に厨房に戻っていく彼女を見送り、皆に午後の予定を聞いてみるがやはり皆で遊ぶようだ。
「リズにも言ったけど、働き過ぎているから、ゆっくり休むのも必要だと思うよ。遊ぶならゆっくり楽しんだら良いと思うよ」
そう言って、厨房から各部屋に戻る。リズは先程の話の通り、遊ぶようなので、部屋を出て行く。タロとヒメはお昼ご飯を食べてお風呂も入ったので、くてんと寝始めている。
穏やかな時間だな。そう思いながら、若干薄暗い部屋の中書類の処理を進めていると、ノックの音が聞こえる。返答をすると、執事だった。
「伝令の方が目を覚まされました」
穏やかな時間もそう長くは無かったな。そう思いながら、書類をまとめ直す。応接室にて対応する旨を伝えて用意をしてもらう。さて、詳しい話が聞けると良いけど。




