第248話 人魚姫は泡となって消えましたなんて悲しい思いはしたくないです
死屍累々としている恍惚とした顔の集団は焚火の周囲に置いて、タロの散歩に出かける。これ少し置いておかないと話が始まらない。
砂浜まで出て、波打ち際で寄せては返す波にタロが追いかけては逃げている。
『まま!!みず!!』
きゃんきゃんと高めの嬉しそうな鳴き声で行ったり来たりしている。あ、被った。でも楽しそうに再チャレンジをしている。あぁ、犬って波に挑むの好きだったなと昔の飼い犬を思い出した。
ぶるぶるするかなと思ったが、まだぶるぶるしない。いつになったら覚えるのだろうか。有る程度で満足したのか、足元に擦り寄ってくるが避ける。
『まま?まま!!』
新しい遊びと勘違いしたのか、突進してくる。いや、海水を服に着けられるのが嫌なだけであって……。避ける。駄目だ火が付いた。諦めて、腕まくりをして抱き上げる。
馬車に戻る途中に皆の様子を見たが、80%死屍累々くらいになっていた。人魚さん達が立ち直ったら、話を始めようか。馬車からタライを取り出し、お湯を生む。
「ほら、タロ」
そう言いながら、ちゃぽんと浸ける。ほわんとした顔になるが、目を手で瞑らして、全体的にお湯をかけていく。体全体を洗い、一度引き上げて、再度お湯を生み浸ける。
『まま?』
いつものお風呂と少し違うのを疑問に感じたのか、きゃんと鳴く。綺麗に洗っていき、引き上げる。べたっとしたのがさっぱりしたのか、嬉しそうに鳴く。綺麗に拭き、箱に放す。
毛皮に潜り込み、大人しく丸くなる。食べて運動したので、眠くなったのだろう。欠伸をして、そのままうつらうつらし始める。
「レイ、申し訳無いけど、後は頼めるかな?」
「畏まりました」
馬車の中で番をしていたレイに、湯たんぽのお湯を補充して渡し、タロを預ける。そのまま焚火まで戻る。流石に、そろそろ皆起き上がり始めている。
「さて、会談を進めましょう」
そう言って、各自のカップに白湯を入れて渡す。熱い白湯を啜りながら、皆がほっとした顔をする。
「ベルヘミアさん、ガディミナさん。今後のお付き合いに関して、ある程度の話がしたいです。それは問題無いですか?」
そう尋ねると、2人共に頷く。
「今まで、西側の村と結んでいた契約等の情報をお教え頂いても良いですか?」
聞いていくと、大分村側が有利な内容だった。確かに魚介類の採取は得意な相手だし、海の資源は多い。でもあまりに片務的な感じがした。
「この条件ですと、かなり人魚の方々の生活がきついかと思いますが?」
「そうですね……。ただ、色々と事情が有りまして……」
ガディミナが答える。渉外担当側が前に出るか。ふむ。
「大きな問題として、我々人魚ですが、性別的に圧倒的に女性に偏っています。男性の生まれる数が少ないのです。なので、人間の方と……」
あぁ……。なるほど。人魚と人間が一緒になって、子供がどちらの種族で生まれるかは、確率半々だ。要は人間の子供が生まれた場合、村で養ってもらう事が前提か。これは是正しよう。大切な子供だ。人魚側だけの問題だけでは無い。
「分かりました。ちなみに子育てはどうなさっているんですか?」
「海辺に小屋を建ててもらい、そこで一緒に生活をします。ただ、早い段階で里子に出されます……。その方が、子供の為ですので」
ガディミナがそう答えると、少し遣る瀬無い顔をした。渉外担当をして、この顔をさせるのだ。子を失う母の気持ち、母を失う子の気持ち、どちらも分かるとは言えないが、辛いのは理解出来る。
あーこりゃ、村の設計を大分変えないといけないな。西側の一部は岩場を超えたら入り江になっていたな。
「カビア、西の入り江で波がどこまで上がるかは確認しているかな?」
「周辺の確認は完了しております。最大でこの辺りですね」
カビアが広げた詳細な周辺地図に指で線を描く。村予定地から歩いて十数分の距離だ。ここも村に含めてしまおう。
「人魚の方は、どの程度陸上に上がっていられますか?」
「ある程度体が出来てしまえば、1日2日は可能です。このように鱗の間に粘液を含むようになりますので、乾く事は無いです」
そう言うと、ガディミナが体に力を入れる。すると足ひれの鱗部分が松ぼっくりのように開き、柔らかい内部が見える。つつーっと糸を引いている。中が痒い時とかどうするんだろうと思っていたが、そうなっているのか……。
漁師の確保も考えていたが、いらんな。完全に人魚さん側に任せてしまう。で、きちっと所帯を持ってもらおう。
「カビア、人魚の方々と人間で結婚するに当たり、障害と想定される物を上げてくれ」
「人魚の方々が求めなかったのと、税を納める手段が無かった為です」
この子達は……。この世界の人間は我慢強い。それでも行き過ぎは有る。我慢しなくても良い事を我慢している。くそが。そんな事で親子が引き裂かれるのか。それに税に関しては、物々交換では無く買い上げれば良いだけだ。
「ガディミナさん、人魚の方々で、どの程度の魚を1日で捕る事が出来ますか?」
「そうですね。網を借りれるのであれば、魚種を問わなければ4人で100前後は間違い無く。ただ、あまり捕り過ぎると枯れますので、限界はその程度です。後は場所を大きく移動しながら毎日その程度は捕れます」
「カビア、今後塩が生産され、該当の量の魚を定期的に『リザティア』まで運んだ場合の収益で、税を賄える範囲は?」
「はい。今の子爵様の町での流通価格より割り引いて考えて、300人強は間違い無く可能です。ただ流通量が増えれば価格も下落しますので、調整は必要です」
「それは、生活費を抜いてか?」
「いえ。生活費を含めての計算です。収入の半金を国に納めた場合で一般的な家庭が生活する費用を元に計算しております」
収獲税扱いになるのか?納税対象を見ていても、漁資源に関する記載は無かった。何かの慣習法に引っかかっているのか?
「ちなみに、それは実施されているのか? 例えば西方の村で人魚の方々に税が適用されているのか?」
「いえ。税収を司るギルドも有りません。また国側も収入が微々たる対象の為、収獲税の対象からは外しています」
「今後税がかかる可能性はどの程度見ている?」
「男爵領内での流通だけでは間違く無くかかりません。他領地への流通が始まり額が大きくなれば対象となる可能性が有ると言ったところでしょうか」
んー。そもそも収獲税に関しては10年間免除だ。適用範囲に漁業を含めるよう根回ししておけば問題は無いか。ロスティー案件だな。後で書状を書いておこう。
「分かった。後で公爵閣下に根回しの依頼を書状で認める。対応を頼む」
「畏まりました」
「あの、どう言う事でしょうか……?」
ガディミナが話について来れず、若干困った顔をしている。
「ガディミナさん、結論から言います。人魚の方々は私の領民になって頂きます。今後はこの地で暮らして頂きたく考えます」
「え?しかし、私達は海での生活が主となりますが……」
「海上での生活も可能でしょう? 今まで人間と恋をして添い遂げたいとお互いに思った数は? それが引き裂かれた数は? 私はそんな悲劇を終わりにしたいのです」
そう言うとガディミナが黙り込む。
「何も常に家にいて欲しいと言う話では無いです。今後、漁業は大きな転換を迎えます。この領地では魚は大きな意味を持ちます。それを捕って頂き、分けて頂くのと引き換えに、定住の地をお渡ししたく考えます」
ガディミナが顔を上げて何かを言おうとするのを手で遮る。
「率直に言います。海の中は楽園では無い筈です。人魚の方々は、常に危険に晒されている。違いますか?」
「どうしてそれを?」
「ベルヘミアさんは優秀で信頼のおける方です。ただ、集落の長と言われるには申し訳無いですが重みが足りません。通常は老年の方がなされるお仕事でしょう。そう言う層がいないと言う事は何らかの脅威が貴方達を襲っている筈です」
そう言った瞬間ガディミナが肩を落とす。
「はい。海の中でも魔物や大型の肉食動物はおります。我々は先達の犠牲により、生きています」
ガディミナが眉根に皺を寄せ、悲嘆を表す。
「入り江の狭まっている場所に柵を設けて、侵入を防ぎましょう。入り江の中や、その周辺に家を建てます。それをお使い下さい」
入り江の深さは4から5m程度だ。その程度の柵を作るのはそう難しい話では無い。設営も人魚さんに任せれば良い。可動柵にしなくても開閉部を設けても良い。狭まっている部分は20m程だ。そこまで大きな出費でも無い。
「本気ですか?」
「元々、認めておきながら責任を誰も取らず、宙ぶらりんにしていた人間側に責任が有ります。私はこの地でそれを私の責任と認め、是正します」
「では、やっと子供達と暮らせる日が来るのですね……。人魚であれ、人間であれ」
若干呆けた顔でガディミナが呟く。
「はい。旦那さんとも一緒に暮らせます」
「あぁ……。そうですね……。やっと愛し合う者同士が共に歩める日が来るのですね」
「そう願いたいと考えています」
人魚と添い遂げたい人間は、いる。非常に魅力的な相手だ。ただ、生活習慣の違いと、それが出来ない、または遠慮していた所為で実現出来なかっただけだ。その柵を払えば、出来る。
「カビア、この地に入植する人員だが、独身男性が多かったかな?」
「はい。所帯での入植は厳しいと考えます。また信用をおける人間と言う条件ですので、どうしても家族を含めては困難です。結果的にはですが、独身男性が全てです」
「と言う訳です。下世話な話で恐縮ですが、大いに恋をして下さい。愛を育んで下さい。この地に豊穣をもたらして下さい。私の望みは皆が幸せになってくれる事です」
「男爵様、入り江側の井戸の調査も済んでおります。そちらに居住地を置き、現行の計画は製塩所及び農地のみを実行と言う形に変更致しますが、よろしいでしょうか?」
「まあ、仕事場まで移動しないといけないのは『リザティア』の住人だって同じだよ。変更しよう。後、教会まで考えていなかったが教育を含めると必要だな。それも頼めるかな?」
「畏まりました。修正致します」
そう言うと、ガディミナが安心したように崩れる。それをベルヘミアが支える。
「私達も領民として迎えて頂けるのですね。隣人では無く同じ民として」
ベルヘミアが強い目でこちらに確認してくる。
「はい。元々そのつもりでした。これからは忙しくなります。お互いに皆の幸せの為にご協力頂ければと考えます」
そう答えると、ベルヘミアからぽろりと一滴が零れる。
「あぁ……。私達にも安住の地が生まれるんですね……。ありがとうございます」
「いえ。私が、では無いです。お互いに頑張っていきましょう、です。だから、これからもどうぞよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願い致します」
ベルヘミアが綻ぶ花のように鮮やかな笑顔を浮かべる。
「でも、地上では出来れば、服は着て頂きたいんですが……」
「はい。それは西の村でも同じですので大丈夫ですよ」
そう言って、お互いに笑い合う。まぁ、同じ人間同士だ。すり合わしていけば問題は解決する。まずは第一歩だ。これで漁の問題と人魚さんの問題は片付いた。
人間の残した問題の一部でもこれで解決するなら良い事だ。と言うか、中途半端に残した馬鹿をどうにかしてやりたい気分にはなった。
 




