彼女の秘密
そして、俺とスノウの間に女の子が生まれた。
髪は俺に似て金色、瞳と顔立ちはスノウに似ていた。きっと、将来は彼女に似て凄い美人になるだろう。今からほんの少し複雑であるが、何よりも俺は嬉しくて仕方ない。
可愛い我が子が、今日も元気に乳を吸っていた。んく、んく…と小さな口を精一杯開け、一生懸命吸い付く姿はとても微笑ましい。それが、自分とスノウの子供なのだと思うと…余計に。
「ふふっ、ハンナはいっぱい飲んでえらいねー?」
そう、笑うスノウも嬉しそうだ。腕の中できゃっきゃっと笑う我が子に、愛おしい眼差しを向けてあやす。俺は、そんな母子の姿に目を細め、近くで見守った。
娘の名をハンナとした。可愛いハンナはよく母親の髪をじっと見て、それから俺の髪をじっと見る。二人でそのくりくりとした瞳を覗き込むと、満面の笑みを浮かべて嬉しそうにはしゃぐのだ。
俺には全くよく分からないが、スノウ曰く「ハンナは私たちが一緒なのがうれしいのよ」と言っていた。どうも、父と母に見守られると安心するらしい。俺が畑へ行こうとすると、心底不機嫌そうな声で呻くのだ。うーうーと発する声に後ろ髪引かれつつも玄関へと向かうと、ハンナは泣きそうな顔で手を伸ばしてくる。
くしゃくしゃの顔で見つめられると、俺も堪らない気持ちになる。だから、その度にハンナも畑へ連れていこうとすると、スノウが俺の手をペシンと叩くのだ。
「ギル…? ハンナはまだ生まれて間もないのよ?」
にっこりと笑っているのに、その言葉は容赦ない。俺はその度にしゅんと項垂れて、短く「はい…」と返事をするしか出来ない。
いじいじと母に抱かれてきょとんとした顔で見つめる娘を見ていると、スノウは「仕方ないなぁ…」と苦笑した。
「後でお昼ご飯持って行ってあげるから…。一緒にたべよう?」
「!!」
その言葉に、俺の心がぱあっと明るくなる。勢いよく顔を上げると、そこにはふふっと笑うスノウがいた。春の陽だまりのような暖かさと、澄んだ空気のような透明感のある声に、俺の胸がざわつく。子供のような態度が見え見えだったことに今更ながらに恥ずかしくて、俺は赤くなった顔を隠すように視線を逸らした。いつまでも視界の片隅で口元に手をあてて笑うスノウを、軽く横目でにらむ。
「−−−そんなに笑うなよ」
「ふふっ…だって、ギルったら、もうお父さんなのに。まるで子供みたいなんだもの!」
唇を尖らせれば、スノウがそれを見てまた笑った。そう言って笑うスノウも、まるで子供のように笑う。堪え切れないと、大きな声でお腹を抱える彼女に、俺はむっとしながらもそれが長続きしなかった。
弾ける笑みに、自然と俺の口元も緩む。−−−本当に、こんなに幸せでいいのだろうか?
隣には妻がいて、可愛い可愛い娘までいて。
俺は俺を見つめては、ふわりと微笑む愛しい彼女に、また胸があたたかくなった。
やがて、そんな幸せな日々が過ぎていく。
もう、ハンナが生まれて一年が経とうとしていた。まだ小さい娘は、最近捕まり立ちができるようになり、すぐに立とうとする。俺とスノウが見ている時なら問題は無いのだが、たまに目を放すと知らない間に立って転んで泣く…ということが何度かあった。
俺もスノウもなるべく傍についているが、ハンナは隙あらば勝手気ままに立ち上がる。それも、こちらが思いもよらぬ場所で。
この日も、畑にスノウの声が響いた。
「こら、ハンナっ!! 危ない!」
俺とスノウが畑の野菜を収穫していた時である。大きく育った青野菜に、彼女が「今日はこれとお肉のソテーにしようか?」と笑っていた時だった。畑の傍にある大きな木の根元で昼寝をしていた筈のハンナが、何時の間にか起きていたのだ。しかも、立ち上がろうと、大きな木の根元に足をおいて、臨戦態勢に入っていた。
ただ立つのならば問題ないが、如何せん足場が悪い。隆起した根本に足がぐらつき、そのままゆらゆらと身体が揺れていた。顔を真っ青にしたスノウが、慌ててハンナの元へと駆け寄ろうとする。
だが、突然スノウの身体が大きく傾いだ。
「スノウっ!!」
俺の身体は、真っ先にハンナに向かっていた。スノウが動こうとするより早く駆けだしていた俺は、彼女が走り出そうとするときにはハンナを抱き上げていた。何とか無事に捕まえれたお転婆な娘にほっとしたのもつかの間。背後から聞こえてきたどさりという大きな音に、俺は勢いよく叫んでいた。
慌てて駆けつけて、畑に倒れ込んだスノウを片手で抱き上げる。急いで大丈夫かと声をかけようとした時、耳から聞こえてきた規則正しい音に俺の身体から力が抜けた。
すうすうと、まるで『眠って』いるかのような音が聞こえてきたのだ。耳を傍だたせると、スノウが規則正しく『眠って』いた。
「なんだ…」
取りあえず、けがが無かったようでほっとする。顔色も悪くはない。
「よかった」
安心はするが、何故突然に…? という疑問が浮かぶ。ハンナはすっかり眠ってしまった母親に、不思議そうに目をぱちくりしながら、その小さな手の平で白い頬をぺちぺち叩いていた。そんな娘に俺は苦笑し、「やめなさい」と諌めると、もう片方の腕の中で『眠る』彼女をじっと見下ろした。
「一体、どうしたんだ…?」
あどけない顔で眠るスノウに、俺は初めて不安を抱いた。
その日の晩。俺はすっかり陽が落ちてから目覚めたスノウに、昼間のことを訊くことにした。ハンナを寝かせ、お互いに風呂に入り終わった後、俺は話があると彼女を呼んだ。
ソファには座らず、机に向かい合って座る。俺も何と切り出せばいいのか分からなかったが、スノウも何を聞かれるのか分かっているのか、じっと俯いたまま時折不安そうな顔で俺を見てきた。自分から言い出すことを躊躇うその様子に、俺の中で疑念が核心へと変わる。−−−やはり、スノウは俺に何かを隠している。
俺は胸に沸々と湧き起こる黒い感情に支配されぬよう、必死で自身を落ち着けていた。今口を開けば感情のままに言葉を発してしまいそうで、暴走しそうになる心を鎮めるようにコップの水を一気に仰ぐ。
コト、となるべく静かにそれを置き、俺は正面の彼女を見つめた。
「スノウ…、俺に何か言うことは無いか?」
「っっ!!」
意外にも、自身の口からは冷静な声が出た。だが、静かな部屋にはそれがやけに大きく響く。ランプの明かりが灯っていない場所は暗く、俺が発した音は片隅の闇へと吸い込まれていく。それが、余計に二人の間の空気を重くした。
俺の言葉に、スノウは大きく身体を揺らしたきり何も言わない。ただ、視線を彷徨わせ、声をだそうと唇を開くも、直ぐに思い余って小さく噛みしめる。俺はそんな彼女に焦れていた。−−−何でもいい。どんな内容でも構わないから、俺に隠し事はしないで欲しい。
俺は何も言ってくれないスノウに、顔を上げるように告げた。一瞬彼女は躊躇う様子を見せたが、おずおずと言われた通りに顔を上げる。俺はその不安げに揺れる黒曜石を、ただじっと見つめた。
「スノウ…。頼むから、俺には何でも話してほしい。−−−俺たちは、『夫婦』だろう?」
「っ、ギ、ル…!!」
懇願する俺に、スノウの黒曜石がじわりと滲んだ。くしゃり、と顔を歪ませて彼女はそのままぼろぼろと泣き出す。
「ス、スノウっ!?」
逆に、俺の方が焦ってしまった。まさか泣かれるとは思っていなかったため、突然決壊した彼女の涙腺に動揺を隠せない。おろおろとしていると、ヒック…としゃくりあげながらスノウが言葉を紡いだ。
「ギル…、私、いや、だよぅ…!!」
「!?」
発せられた言葉に、ビシッと俺の身体が固まる。−−−何が、嫌なのだろうか?
言われた内容に俺の心が急速に冷えた。まさか、彼女は俺と結婚したことを後悔しているのだろうか? だから、思い悩むあまりに倒れてしまったのだろうか?
思わず青い顔のまま見つめる俺に気が付いたスノウが、ぶんぶんと首を横に振りながら「違う」と示す。
「私…、ギルに、も…言えてないことが、ある、の…!」
「言えてないこと?」
そう涙ながらに訴える彼女に、俺は訝し気に眉根を寄せた。
混乱している俺に、スノウは身体を震わせながら言葉を紡ぐ。
「あのね…、私たちの一族はね…。生まれてから、二度『眠る』の…」