彼女の不安
ちょっとR15の定義を理解できていないので、これでいいのか不安です。
スノウと夫婦になって一年経った。春を過ぎて、もう初夏が近づくこの季節はほんの少し汗ばむ。夕方、畑仕事から帰ってくると、スノウが満面の笑みで出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ギル!」
そう言って、スノウが「はい」とタオルを差し出す。俺も礼を言ってからそれを受け取ると、笑顔で返事をした。
「ただいま、スノウ。−−−と、お前も」
そう言って、そっと彼女の以前よりも大きく膨らんだお腹を撫で上げる。「まだ動かないよ?」なんてスノウは笑うが、これだけはやめられないのだ。
「いいだろ、別に…」
つんとむくれた様子を演出してみても、だらしなく緩んだ頬はすぐに元通りになる。もう少し表情筋でも鍛えておくべきだった、と今なら思うが、残念なことにその鍛え方を俺は知らない。結果、すぐにニマニマと笑う俺を見て、スノウが呆れかえっていた。
「もう、ちょっと気持ち悪いよ? 変なお父さんだねー?」
スノウがその大きな膨らみに声をかける。そう言う彼女の顔も、嬉しそうだったのだからお互い様である。
結婚して、俺たちの間には『幸せの証』が生まれた。まだ、この世に生は受けていないものの、日々大きくなるお腹からその成長が分かる。まだ見ぬ我が子に会いたくて会いたくて堪らない。
スノウから幸せの知らせを聞いた時、俺は思わず彼女を抱きかかえた。そして、思い切り抱きしめた。俺の突然の行動にスノウも少し呆れつつも、その瞳に薄っすらと涙を湛えていたのを覚えている。
スノウが俺に子供が出来たという報告をした、あの日を…俺は、一生忘れない。
スノウは結婚してから、村長の奥さんに料理を教わっていた。だからなのか、日々食卓に並ぶ料理が様々で、以前のものよりも種類が豊富になった。
この日も、スノウは午前中に教えてもらったという子羊のワイン煮込みを、それはそれは得意げに披露してくれた。ふわりと湯気が漂う皿の中央に、美しく盛られた肉。俺は思わず目を見張った。
「すごいな、これ。−−−本当にスノウが作ったのか?」
「私以外誰が作るの!?」
俺のその問いにむうっと怒ると、そのままクスクスと笑う。堪え切れない、と言うように、スノウは声を出して笑った。そのはち切れんばかりの笑顔に、俺の胸も暖かくなる。
「ふふっ、もう。奥さんにね、簡単で美味しいお料理教えてください、って言ったらこれを教えてくださったの。−−−お腹の子供にもいいのよ、だって」
「そっか」
「うん!」
スノウが笑顔で頷き、俺に席に着くように促す。美味しそうなにおいを嗅いで、俺の腹もぐうっと音を立てた。それを聞いて、スノウはまた笑う。
「ほら、もうごはんだよ? あ! あとね…」
楽しそうに話ながら、スノウはサラダとパンを机に運ぶ。グラスの水を飲みながら待っていた俺は、慌ててそんなに重たいものをもつな、と制したが、スノウは苦笑しながらこれくらい平気だよ? と返した。
スノウも席に着き、二人が向かい合う。スノウは俺の顔をじっと見て、少し照れたように微笑んだ。
「あとね、その…。旦那様に精を出してもらうためには、やっぱりお肉がいいんだって」
「−−−ブっっ!!」
俺は思わず、飲んでいた水を吹き出しそうになった。寸前のところで堪えたことを評価して欲しい。でなければ、今頃目の前の彼女の顔は水浸しだ。
ごほごほと俺が大きく咳き込むと、スノウが驚いて「大丈夫!?」と立ち上がった。取りあえず大丈夫だと片手を上げて、そのまま座るように促す。涙目になってしまうのは仕方がないのだが。
それよりも、問題はそこでは無い。
俺は彼女が先ほど発した言葉が頭から離れなかった。−−−『旦那様に精を出してもらう』だと?
俺は我が耳を疑った。いや、スノウも俺と夫婦になったわけだから、それなりに知識はあるが…。俺がベッドに押し倒すのでさえ、未だに恥ずかしがって顔を真っ赤にする初心なスノウに、こうも大胆発言ができるものであろうか。いや、そこが彼女の可愛いところでもあるのだが…。
などと俺が悶々と自問自答していると、目の前の彼女がきょとんとした瞳でこちらを見つめて来た。
「ギル…? どうかした?」
そのさも当たり前のように言った張本人は、自分が発した言葉の意味を理解しているのだろうか? それだけが不安で思わず澄んだ瞳の彼女に問いかけた。
「スノウ…、それ、分かってて言ってる?」
「え? −−−ギルに畑仕事頑張って、って意味だけ、ど…?」
そう答えるスノウの、語尾が徐々に小さくなる。それに比例するかのように、彼女の顔が徐々に真っ赤になった。ぼぼぼっと音が鳴りそうなほど頬を紅潮させたスノウは、ようやく自身の発言の意味を理解したのか「わわわっっ!!」と慌てていた。
いや、その後から気が付いて慌てふためく姿も可愛い。−−−だけど、今はそこが問題ではない。くどいようだが、焦点はそこではない。
俺は大きく息を吐き出すと、スプーンを手に取った。美味しそうな肉をすくいあげると、無言で口に運ぶ。味は奥さん直伝とだけあって、やはり美味しい。だが、同時に脳裏に奥さんのしてやったり…という顔が思い浮かぶのは何故だろうか?
柔らかい肉を飲み込むと、未だに顔を真っ赤にさせながら慌てているスノウに向かって口を開いた。
「奥さんにからかわれたな」
「んなっ!? そ、そうなの…かな?」
彼女は納得していないながらも、そうなのかと思い始めたのか困った顔で「うーん…」と考え込んでいる。その表情は恥ずかしいような、少し怒ったような、でもやはり恥ずかしい。それらをクルクルと変化させては、最終的に真っ赤に戻った。途中から「どっちだよ」と言いたくなったが、俺は肉と共にその言葉も飲み込んだ。−−−これまたくどいようだが、そんなスノウが可愛くてしょうがないのだ。
「ふーん…、なら、期待に応えなきゃ…な?」
「へ!? あ、うん。そうだね…?」
俺がにやりと笑いながら言うと、スノウも笑顔で頷いてからみるみる顔を曇らせていく。俺の言った言葉の意味を理解するように考え込んで、すぐに顔を真っ赤にした。かあっと顔を赤くさせたスノウが、眉を吊り上げて声を張り上げる。
「も、もう! ギルのばかっ!」
「はははっ!!」
なんて可愛い顔で怒っても無駄である。俺は簡単に騙されてしまうこの初心な嫁が、可愛くて可愛くて仕方がない。スノウもしばらくは拗ねていたが、俺が笑顔で「美味いよ」と笑うと、彼女も「ありがとう」と笑ってくれた。
夕食後、俺は自ら進んで食器の片付けを申し出た。スノウは疲れているだろうからいいと言っていたが、お腹を大きくした妻を働かせるのも気が引ける。何より、彼女とお腹の子供には元気でいてもらいたいのだ。食器の片付けぐらい、どうってことはない。
スノウをクッションをたくさん乗せたソファに座らせ、その上から少し厚手の毛布を掛けてやる。もう初夏ではあるが、もともと寒冷のこの地域は夏だろうと夜は冷える。俺が、大丈夫だと言い張るスノウに問答無用で毛布をかければ、彼女はクスクスと笑いながらも「心配性なんだから…」と従ってくれた。
食器を片付け終えリビングに戻ると、彼女は大きくなったお腹を撫でていた。それは愛おしそうに。それは嬉しそうに。
一方で、その瞳が少しだけ陰る。切なげに揺れ、時折寂しそうな色を宿していた。−−−それは、結婚式の時に見た、あの表情である。俺は無言で彼女に近づくと、ソファ越しで後ろから抱きしめた。華奢な身体がびくりと震え、次いで目を丸くして振り返る。ゆらゆらと儚く漂っていた黒曜石が、俺を認めてその色を変えた。
「ギル…」
囁かれた名と共に、その瞳には明るさが灯る。嬉しそうに弧を描いたそれを覗き込むと、俺は愛しい妻に問いかけた。
「スノウ…、何かあったのか?」
「ううん。何でもないよ…?」
スノウは一瞬驚いたように息を飲んだが、直ぐにゆるゆると首を横に振って微笑んだ。その押し殺したように微笑みに、俺の胸がざわりと震える。−−−本当だろうか?
「スノウ。お腹の子供は大丈夫だ。−−−俺の子供だぞ?」
「ギル…」
彼女が何に悩んでいるのか分からない。だけど、俺は少しでもそんな彼女を元気づけたくて、励ましたくて…。スノウが抱える憂いを取り払ってやりたくて、何とか言葉をかける。冗談めかして言い切れば、スノウも最後には嬉しそうに笑ってくれた。ふふっと綻んだ顔には、先ほどのような憂いが見られない。
「うん。そうだね…。ありがとう、ギル」
そう言って、スノウが俺の腕に触れた。回されたままの俺の腕の上から、スノウの白くて細い手が重なる。それが何故か、縋るような動きに見えたことを…俺は敢えて気付かないふりをした。
「ああ」
短く返事をしてから、ぎゅっと回した腕に力をこめる。せめて、彼女が少しでも安心できればいい。俺の存在を。ぬくもりを…感じ取れればいい。
その想いで抱きしめれば、スノウもぎゅっと手に力を込めた。その手が、ほんの少しだけ…震えている。
「スノウ? −−−寒いのか?」
「ううん…。違うの。−−−大丈夫だよ?」
スノウは大丈夫だと微笑むが、その身体が震えているには変わりがない。俺は急いで彼女の隣へと回り込むと、真正面からじっと見つめた。
「スノウ…、本当に?」
そう念を押すように問えば、スノウの身体がびくりと震える。そして、またゆるゆると首を横に振った。「何でもないよ?」なんて、彼女は笑う。だが、俺は心配で心配でしょうがない。−−−結婚してからも、時折スノウはこのような反応を見せていたから余計に。
俺は眉根を寄せつつも、無言で隣に並ぶ彼女の身体を抱き寄せた。相変わらず、俺の胸の中にすっぽりと納まる華奢な身体を、優しく抱きしめる。
「−−−何かあったら言えよ? 俺たちは、夫婦なんだから」
耳元で囁けば、腕の中の彼女がびくりと震えた。そして、小さくこくんと頷く。俺はこんなことしか出来ない自分が歯がゆかった。スノウの力になりたいのに、何もできない。それが、とてもやるせない。
「ギル、私ね…。幸せすぎてこわい」
「え?」
不意に、スノウが言葉を発した。その零れた音が、静かな部屋に響く。俺は思わず腕の中の彼女を見つめた。
スノウは顔を上げると、不安そうに俺を見る。ゆらゆらと揺れる黒曜石の中に、目を見開いた俺が映り込む。
「私…今が幸せすぎて、こわいの」
そう、赤い唇は想いを吐露する。−−−だが、俺は彼女のその言葉に驚いていた。
「それが、悩みか…?」
俺が問えば、スノウがこくんと頷いた。−−−これは、どうしよう…。
正直、予想外だった。幸せすぎるのが怖いという彼女はすごく真面目に言っているのだと思うが、俺は全く別の感情を抱いていた。
幸せなのがこわい、なんて。−−−可愛すぎる。
それは、つまり俺がスノウを幸せにしている、ということで。
俺との結婚が嫌だとか、後悔しているとか…。そんな悩みなのでは無くて。
俺は胸にじわじわと湧き起こるあたたかさを感じつつも、腕の中の愛しい人をそっとソファに押し倒した。突然のことに驚いた彼女が、「ギ、ギルっ!?」と慌てている。
俺はそんなスノウの額に唇を落とすと、驚きで大きく開いた黒曜石をじっと見つめた。そこに映る自分が、熱っぽい瞳を浮かべている。俺のその変化に気が付いたのか、腕の中の人は「あ、あの…!」と顔を真っ赤にさせた。相変わらず、初心である。
俺はそんな可愛くて愛しくて仕方がない彼女に、ふっと微笑んだ。
「俺も幸せだ。−−−スノウが傍にいてくれるだけで、幸せだ」
「っ!!」
その言葉に、彼女が息を飲んだ。そして、ゆっくりと嬉しそうに微笑んだ。濡れた黒曜石の瞳が、嬉しそうに弧を描いた。
「ギル…」
吐息と共に呼ばれた名は熱を帯びている。毎度思うのだが、こういう時にだけ女の顔をするのはずるいと思う。先ほどまでは、あんなに初心な反応をしていたのに…。
俺は少しだけ悔しくて、ぷっくりと熟れた唇に自身のそれを重ねた。食べるように貪れば、スノウは苦しげに眉根を寄せつつも応えてくれる。荒くなったお互いの息に、俺はそっと唇を放した。
「スノウ…いいか?」
至近距離で見つめていたためなのか、彼女の鼻先に吐息がかかる。スノウはその言葉に顔を赤くさせつつも、こくんと頷いた。
「うん。やっぱり、寒いみたい。−−−ギルが、あっためて?」
「!!!」
そんな誘い文句、どこで覚えたのだろう?
俺は息を詰めて彼女を見つめ、ごくりと唾を飲み込んだ。−−−俺の嫁は、本当に可愛くて愛おしくて…いやらしい。
俺の心を掴んで離ない。
俺はきっと真っ赤になったであろう顔を隠すように、スノウの胸元に顔を埋めると。
熱に浮かされた瞳で彼女を見上げ。
情欲を隠そうともしない視線を向けながら。
お腹の子供に負担にならない態勢をとりつつ、そっと彼女の服に手をかけた。