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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

パラソルレイン

図書室

作者: 京元緋呂

 期末テスト三日前になると、さすがに部活も休みになる。お陰で僕は今、図書室の窓際で、秋山と並んで教科書を広げていた。

 うちの高校の図書室は標準よりもかなり広く、本棚の脇にはテーブルや椅子が充分にあって、テスト前の混み合う時期でも必ず座れる。窓際にはカウンター席もいくつかあって、自由に読書や勉強が出来るようになっていた。しかもそこは入口から遠く、本棚や柱に遮られて見えないので、静かに読書するにはうってつけの席だ。

 そんなカウンター席の一番奥に座っていた僕に、秋山はよく気付いたと思う。僕が図書室にいたのを知ってたわけじゃない。たまたま彼がふらっと寄ってくれて、僕を見つけてくれて、そして僕が彼の苦手な数学を勉強していただけ。本当に、ただの偶然の積み重ねだ。でも僕はとても嬉しい。いつも、彼がグラウンドでボールを追いかけている姿をここから眺めているだけだったのに、今はこうして一緒にいる。あの、雨降りの放課後から思い返すと、もしかしたら彼とは何かの縁があるんじゃないかって期待してしまう。

「なあミチル、ここ、何でこうなんの?」

 秋山が教科書を睨みながら僕に寄って来た。互いの肩が軽くぶつかってドキドキする。落ち着け心臓、こんな程度で騒ぐなよ。彼に怪しまれるだろ。問題を考えるふりをしながら、強張る喉をそっと押さえた。

「えっとここは……前の式がこうなってるだろ。だからこの、第二の公式を当てはめて、左のヤツをまず整理してから計算すんの。あ、ここをカッコでくくったら、判りやすい?」

 秋山が示す数式に、矢印とカッコを薄く書き足す。彼は少し考えたあと、閃いたみたいに回答を書き出した。

「……そういうことか。何だ、ちゃんと解けるじゃん。俺、結構スゲー」

「つうか、そのくらい出来てフツーだし」

 自分を大げさに褒める秋山へ、つい軽くツッコむ。すると彼は横目で僕を睨んだ。

「黙れ、ミチルのくせに。お前最近、ちょいナマイキ」

「えー、何それ。教えて貰ってるくせに上から目線って」

「うっせー。そーゆーこと言うヤツはゲリの刑だっ」

「や、ちょっ、ひっ!」

 いきなり頭を抱え込まれた。脇の下に後頭部を挟まれるような格好になって、秋山の胸に僕の頬と耳がべったりくっついた。嘘だろ、これってゼロ距離だろ。彼の固い胸筋の感触と心臓の鼓動が伝わって来て、僕の全部が一気に熱くなった。彼が普段使ってるライムの香りに混じって、彼自身の匂いが感じられて、それに包まれるのを実感しちゃって、何だか変な気分になる。でもそれはすぐ、つむじを抉る強い痛みに吹っ飛ばされた。

「たたたた、いた、痛いいいぃ!」

「お前はハラが痛くなーる。ハラが痛くなーる」

「て、てててて、止め、や、イヤっ、へこむ、へこんじゃうっ、う、うあああっ」

 逃げ出そうと必死にもがくけど、秋山の腕はびくともしない。それどころか、彼は楽しそうにクスクス笑いながら、僕のつむじを拳の固いところでぐりぐりし続ける。もしかして彼ってドエスかも。いや、もしかしてじゃない、きっとそうだ。でもそんな彼も嫌いじゃない、嫌いじゃないけど痛い、痛いのキライ、もう限界、マジ涙出る、泣いちゃう――そう思った瞬間、背後から鋭い咳払いが聞こえた。

「もう少し静かにしてください」

 小声で注意してきたのは、図書室に常勤してる司書のおばちゃんだ。この人は普段優しいけど、怒らせると説教魔に変身して、まるで母親みたいにアレコレ諭して来る。そんな厄介なところを知っているのか、秋山は僕からさっと離れ、スイマセンと潔く頭を下げた。

「う、酷いよ……」

「ほーら見ろ、怒られた」

 去って行くおばちゃんを見送りながら、秋山が僕の耳元で呟く。それにまたドキドキするのが恥かしくて、つい言葉が荒くなった。

「誰が悪いんだよっ」

「しっ! 静かにしろって。つうか誰って、もしかして、俺?」

「違うの?」

 鼻を啜りながら睨む。それが効いたわけじゃないと思うけど、彼は少し困ったように眉を下げた。

「そう、かなあ」

「そうだよ」

「……ゴメン」

「もう、ゲリの刑禁止だから。あんな痛いの、マジに勘弁だし」

 まだ頭のてっぺんがじんじんしている。和らげたくてさすっていると、秋山がふと微笑んだ。

「つうかさあ。お前、可愛いよな」

「え……?」

「ゴツい体育系しか周りにいねーせいかな。何つーか、お前のそういうとことか……可愛いわ」

 そんな言葉が秋山の口から、しかも僕に向かって出たのが信じられなくて、つい彼の顔をガン見してしまう。すると彼は右手を伸ばして来て、僕の目尻を優しく拭った。

「涙出てる」

「え、ウソ……」

「泣くほど痛かった?」

 優しく問われたけど、反応出来なかった。ただ肌に触れる秋山の指先が温かで、それが嬉しくて、ずっとこのままでいて欲しいと思った。

 秋山の気持ちって、どこにあるんだろう。もしかしたらこっちを向いてくれるかもって、期待しても良いのかな。

 ぐるぐる考えて黙っていると、彼はにっこり笑って手を引っ込めた。

「もうやんないから。そんな怒んなよー」

「別に……怒ってないし」

「マジ?」

「うん」

「ホント?」

「うん」

「天に誓って?」

「何それしつこい」

「あ、そういうとこも良いよな」

「へ?」

「大人しそうに見えんだけど、必要な時にはハッキリ言えるとこ。俺、お前のそういうとこ、結構好き」

 秋山は笑顔のまま僕の頬を軽くつついた。それから教科書に目を落とし、ページをめくって新しい問題を解き始めた。

 ――今、確かに言った、よね。

 初めて告げられた「好き」って言葉が頭の中をぐるぐる回り、反響していくつにも増えて、大きな渦になって行く。心臓が喉を通ってその渦に飛び込んじゃうかもってくらいドキドキして、慌てて秋山から目を逸らせた。

 ヤバい。ほっぺたが燃えそう。

 ねえ、判ってるよね、僕。さっきの「好き」はたぶん、友達に対しての「信頼」と同じ意味だ。期待する方向が間違ってるよ。こんなにドキドキしたって、秋山との距離が近付くわけじゃない。それに彼ほどの人気者がフリーなんてありえないだろ――僕の中に根を張る悲観的な僕が、皮肉な調子で口の端を歪める。そうだよね。彼女とか、いない方が不思議だよね。

 不毛な自問自答をしながら、教科書のページを探すふりをして、秋山をそっと盗み見た。今までは完全に諦めていたから、気にもしなかった。でも厄介なことに、こういう疑問は一度思いつくとなかなか消えない。いっそはっきり、彼女がいるかどうか聞いてみようか。

 緊張を紛らわすためにそっと深呼吸して、体の力を出来るだけ抜いた。大丈夫、いつものノリでさらっと聞けば、きっと不自然には思われない。頑張れ、僕。ダメでもともとだろ。普段の調子でやればいいんだ。

「あの……さ」

「ん?」

「秋山って、彼女とかいないの?」

「え、何でいきなり?」

 秋山は少し驚いたように、僕をまじまじと見た。マズい、唐突すぎたかも、何とかごまかさなきゃ。焦った矢先、本棚の陰から手を繋いで出て来たカップルが目に入った。

「いや、別に……ほら、テスト勉強は彼女と、とか良くあるでしょ。だから、秋山はどうなのかなって」

「どうって……別に、約束してないからしないだけで」

「あ、じゃあ、いるんだ」

「まあね」

 そっけなく応えると、秋山は再び教科書とにらめっこし始めた。

 別に落胆はしなかった。彼女がいることは予想の範疇だったし、僕もそれを前提として訊いたから。ただ、やっぱり僕は友人以上にはなれないんだと思った。

 ――平気だよ。だって、判ってたことじゃないか。

 胸がちくりと痛んだ。我慢しようと、また深呼吸してみた。でも痛みは少しずつ増して、針でつつかれるみたいに鋭くなっていく。このまま秋山の隣にいたら、痛みのあまり本音を溢してしまいそうだ。逃げたい。逃げてしまいたい。

 何も言わずに席を立つと、秋山が顔を上げて、どこへ行くのかと目線で聞く。それに応えるように本棚を指差すと、彼は小さく頷いて目線を教科書へ戻した。良かった、ごまかせた。このまま本を探すフリをして一旦出よう。

 本棚の間を通りぬけ、一度だけ振り向いてから図書室を出た。廊下には誰もいなくて、何故か少しだけ安心した。それはきっと、本当の感情に流されそうになってる僕を見られないで済むからだ。もっとも、僕がどんなに情けない顔をしていたって、気にする人間なんていない。いや、秋山ならきっと気づくだろう。そして、どうしたのって心配そうに聞いて来るんだ。自分が原因だなんて、まったく知らずに。

「へへ……ダメじゃん」

 この気持ちをどうしたらいい、なんて愚問だ。どうもこうもない、最初から「諦める」しか選択肢はない。秋山と仲良くならなきゃ良かった。そうしたら、こんな思いもしなかったのに。

 力が抜けて、身の置き場がなくなって、壁に背中で寄り掛かった。固くひんやりとした感触がこの感情を全部吸い取ってくれたら、どれほど楽になるだろう。そんなことを考えながらぼんやりしていると、中央階段の方から足音が聞こえて、やがて女の子が姿を現した。

 隣のクラスの、山田リリカだ。

 美人で頭もそこそこ良くて、いつも女の子数人でにぎやかにしていて、学年の中でも目立つ存在だ。廊下ですれ違うことも珍しくないけど、僕は一度も話したことがない。

 彼女は背筋を伸ばして、モデルみたいに颯爽と歩いて来る。その視線の先には僕がいるのだけど、彼女には見えてないようだ。

「あ……」

 ずんずん近づいて来られて、僕は思わずそっぽを向いた。リリカはもちろん、そんな僕を気にすることもなく通り過ぎて、図書室へ入って行った。ふと鼻先をかすめた残り香がライムっぽくて、秋山の匂いを思い出した。

 そうだ、そろそろ戻らなきゃ心配かけちゃう。

 少し早足で図書室の前へ行った。そして扉を開け、再び静かな世界へ戻った。本棚の間を通ってカウンター席へ戻ろうとした矢先、僕の座っていた椅子にリリカが腰掛けているのに気付いた。

「え……?」

 どうして彼女が、と動揺しながらも、つい本棚の陰にかくれて二人の様子を窺う。すると彼女は秋山の右腕を引っ張り、まるで退出を促すように立ち上がった。そしてくすくす笑いながら、秋山に何度も耳打ちする。すると秋山も仕方なさそうに微笑んで、教科書を片付け始めた。

 ――リリカが、秋山の彼女なんだ。そう確信するほど二人は仲が良さそうで、しかもお似合いだった。

 秋山がカバンを閉め、ゆっくりと立ち上がった。だがすぐに動こうとせず、あちこちキョロキョロしている。僕を探しているんだと判ったけど、彼の前に出て行けなかった。今出て行ったところで、状況は何一つ変わらない。ただ間近で仲の良さを見せつけられて、僕がますます傷を負うだけだ。

「ねえ、早くぅ」

 リリカが急かすように秋山の右手を取り、恋人らしく指を絡めようとする。秋山はそれを優しく押しやり、僕のノートへ屈みこんだ。

「しっ。もうちょい待って……つうかアイツ、何やってんだろ」

「もー、帰って来ないんだから、ほっといて良いじゃん」

「デカい声出すなよ」

「ぶーっ」

 口を尖らせるリリカを尻目に、秋山はさらさらと僕のシャーペンを走らせた。そしてそれを挟んだままノートを閉じると、ようやくカバンを持った。するとリリカが嬉しそうに、秋山を見上げた。二人の身長差は十五センチくらいだろうか。ホント、お似合いだ。

「ね、どこ行く?」

「テスト前だからフツーに帰るし」

「えー、いっつも部活で遊びに行けないんだから、今日くらい連れてってよぉ」

「ムリ。つうかお前、ちゃんと勉強してんのかよ?」

「あ、その辺はちゃんと対策してるから」

「はあ? 何それ」

「ふふっ、何でもなーい」

 リリカは小首をかしげてクスクス笑い、また秋山の右手を取った。今度は彼も嫌がらず、ごく自然に手を繋ぐ。それから二人は僕が隠れているのに気付かず、図書室を出て行った。

 ――ああ。まさに「もうオワタwww」ってヤツ。

 失恋なんて、小学校の時からさんざん味わって来た。好きになるのはすべて男子だったから、いつも告白すら出来ずに終わる。些細なことから好きになって、ドキドキしてるうちに無駄な期待して、そして突然、一方的に失って胸を痛める。その繰り返しだ。

 もう慣れた。この、きゅうって掴まれるような痛みも、一晩寝たら、とは行かないけど、一カ月も過ぎればきっと落ち着いてくれる。夏休みが近いのも良かった。僕は学内講習以外には学校に来ないし、秋山がほぼ毎日部活に出るとしても、顔を合わせる確率はかなり低いはずだから。

 視界がウルウルするのが、我ながら情けない。周囲に聞こえないように小さくハナを啜ってから席へ戻った。座らないでカバンを開き、教科書やワークをしまう。そしてノートを持ち上げて、ふと思い出した。

 そうだ、秋山、何か書いてたんだっけ。

 あまり斜めにしないよう気をつけながら、そっとページをめくってみる。するとそこには、頚腺から思いっきりはみ出して書かれたメルアドと名前があった。

「え……?」

 何のいたずらだろう、と一瞬本気で思った。それから、これが本人によって書かれた本物のメルアドなんだって、やっと認識した。

「颯太って、出来すぎに爽やかな名前だし……」

 書かれた文字を指先でなぞると、泣きそうになった。どうして泣きたいのか、自分でも良く判らなかった。嬉しいと寂しいと悲しいがブレンドされて、それが溢れ出ようと暴れるからなのかもしれない。

 この場で携帯に登録しようか少し迷ったけど、シャーペンを挟んだままノートを閉じた。そして絶対に失くさないよう、カバンの一番奥に押し込んでファスナーを閉めた。

 登録しなければ、彼とはやがて疎遠になって行くだろう。でも登録したら、僕は彼のもっと近くにいられる。ただし、自分の気持ちを押し殺して、良い友人という仮面をかぶり続けることを前提としてだ。

 好きな人に失恋して疎遠になることと、気持ちを偽って友人として傍にいることの、どちらが幸せだろう。そして、どちらが苦しいだろう。

 カバンを背負い、椅子をもとのように戻した。それからふと外を見ると、並んで校門を出て行く秋山とリリカがいた。もし彼の隣にいるのがリリカじゃなくて自分だったら、どんなに楽しい毎日を送れるだろう。そんな不毛な想像をしながら二人を見送った。


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