「急転」
「武士、ここは俺にやらせろ」
気絶した神楽を抱えたまま朱焔杖を構える紅華に対し、一歩前に出たのは御堂組のダブル・イーグル、御堂ハジメ。
「ハジメ?」
「いつまでもお前一人に戦わせるわけにはいかねえだろ。今度は俺の番だ」
「何言ってるの? そんな事を気にしている場合じゃ」
「やめて、くれ……」
二人の会話を遮り、灯太が絞り出すように声を上げた。
その顔色は真っ青で、血の気を失っている。
もとより神楽から幾度となく魂への直接攻撃を受け、また肉体には神剣による一撃を喰らい、心身ともに満身創痍の灯太だった。
それが今、更に滝のように冷や汗を流し始め、震えてだしている。
「姉貴を……撃たないでくれ……」
「……だったらテメエがなんとかしろ、灯太。朱焔杖を介してあの女と繋がってるんだろ?」
「ハジメ! そんな言い方やめてよ!」
明らかに尋常でない様子の灯太の肩を、後ろから翠が支えた。
「灯太、大丈夫!?」
「翠お姉……ごめん、姉貴を念話で止めようとしたら、逆に、浸食されそうに……」
ガタガタと震えながら、灯太は縋るように翠の腕を握る。
「浸食?」
「……灯太君、分かった。もういいから、これ以上魂の力を使わないで」
武士が、紅華を警戒しながら静かに警告する。
「下手をすれば灯太君まで、悪魔に乗っ取られる。朱焔杖への力、止められる?」
「……それが……」
「無駄だ」
震える少年の言葉を遮り、応えたのは紅華。
ゴウッ……!
神楽を抱えた紅華を中心に炎の渦が立ち上り、武士達との間を遮るように、円柱状の炎の壁が出現した。
「どうしてそのガキに、朱焔杖の力がコントロールできる? この力を操れるのは、私の灯太だけだ」
ギュッと神楽の体を強く抱き、紅華は堂々と言い放つ。
「……無理やり、心に穴を開けられたみたいに……力が漏れて、止められないんだ……」
「灯太……!」
翠が、震えを抑えるように少年の体を抱き締めた。
「姉貴……どうして、こんなことに……」
「大丈夫だよ灯太、必ずなんとかするから! ……ハジメ」
「分かってんよ」
思いを込めた翠の言葉に、ハジメは背中を向けたまま短く応じる。
「待ってハジメ! 紅華さんは操られてるんだ、だから僕が」
ハジメの前に立とうとする武士の腕を、葵が優しく掴んで止めた。
「葵ちゃん?」
「武士」
葵は黙って、武士を見つめる。
そして。
「……分かった。ハジメ、お願い」
頷くと、武士は一歩下った。
「おうよ、任せろ」
「……茶番は終わったか?」
炎の壁の向こうで、紅華が嘲笑する。
「御堂ハジメ。貴様の銃など朱焔杖の前では豆鉄砲に過ぎん。炎盾を貫けるものか」
「うっせー放火魔女。病院の屋上でいいように俺達を焼いてくれた借り、今返してやんよ」
ジャキっと銃を構えるハジメ。
その銃はトレードマークの二丁拳銃ではなく、一丁のデザート・イーグル。
先の戦いで、その銃弾はことごとく朱焔杖の炎盾により防がれていた。
引き金が引かれるその刹那。
「……頼んだぞ、武士」
「任せてハジメ」
「何?」
ダンダン!
放たれた二発の弾丸は炎盾を容易く貫通し、神楽の背中と紅華の肩に命中した。
「がっ……! バカ、な……!」
それは、ハジメがこの戦いに出発する前に、兄の継から託された切り札。
味方であると同時に、潜在的な敵でもある紅華に対する保険。
「兄貴特注、タングステン加工の弾丸だ! テメエの炎なんかで溶けねえんだよ!」
ソフトポイントと呼ばれる一般的な弾丸は鉛でできており、その融点は327.5℃。フルメタルジャケットと呼ばれる表面を合金で包んだ弾丸でも、コーティングの主成分である鉄の融点は1,538℃である。
対して、継が対朱焔杖用の切り札として用意したタングステン加工の弾丸。その融点は3,422℃と、鉄の倍以上の耐熱性を持っている。
朱焔杖による炎の盾を突破する為だけに継が用意した、切り札だった。
「――姉貴っっ!!」
あっさりと紅華が撃たれ、神楽の悲鳴が響く。
「――大丈夫!!」
結果を予測していたように動いたのは、武士だった。
風のようなスピードで駆け、ハジメに撃たれた紅華と神楽の体を支える。
そして、蒼の光による治癒の力が二人に注ぎ込まれる。
「――ただアーリエルの力を使っても、お前の呪いは解けない……! けど、治癒としての力なら!」
背中と肩に銃撃を受けた紅華と神楽の傷が、見る見る回復していく。
「すげえ、武士のヤツ……紅華はともかく、あのガキまで治せんのかよ……!」
ハジメの目には、いつもの蒼いオーラで二人が回復していく姿が映っていた。
しかし。
「こ、これは……」
だが、九色刃の管理者であり魂の力のコントロールに長けた灯太の目には、異なる様子が見えていた。
紅華と神楽を包む蒼い光が、二人の体から黒い影を引き離す。
影は暗霧の化け物に姿を変え、再び憑りつこうと二人に襲いかかるも、武士の体から発せられるオーラに触れるやいなや、苦しげに喘ぎ、雄叫びを上げる。
そして、その暗霧の化け物から薄く、影が伸びている。
伸びた先は、武士達がいるダムの堤体近くに建てられた、監視塔の上。
「――見つけた!!」
ギンッ! と武士の蒼く輝く瞳が、悪魔の居場所を捕えた。
***
「――ヒッ!」
新崎結女の口から短い悲鳴が漏れるが、すぐさま掌で口を抑えた。
反射的に抱いてしまった恐怖心を、耐え難い屈辱感がすぐに上回る。
「姑息な真似をっ……たかが一精霊の分際で!!」
氷の美貌を醜く歪め、結女は憎々しげに吐き捨てる。
いいだろう、こうなったらこの私が直々に――
「姑息なのは貴様だ、新崎。いや巫婆」
唐突に響いた、男の声。
振り返るとそこには、月光を弾く銃身をこちらに向けた、この国の王。
「鬼島っ……大紀!」
「遊びが過ぎたな。長く人を弄び、一時はこの俺をも操ってくれた。その礼だ」
ガンッ!
一発の銃声が轟く。
魔女の額に穴が開き、ギョロリと動いた双眸が、信じられないものを見るかのように鬼島を捉えた。
「退魔の術式を施した銀の弾丸だ。死ね巫婆」
ガンッ!
二発めの銃声が響く。
黒い影がひとつ、監視塔の屋上から落下した。
***
「あの塔の上だっ! 葵ちゃん、ハジメ、翠さん! ここはお願いっ!!」
武士の髪が青く変わり、蒼いオーラが全身から噴き出す。
「待て、武士っ!!」
ハジメが制止する間もなく、風が渦巻き武士の体が持ち上がる。
そのまま、少し離れた監視塔へと武士は飛翔した。
「くそっ、どうなってんだ……」
困惑するハジメをよそに、灯太が倒れた紅華に駆け寄る。
「姉貴……! しっかりしろ、姉貴!!」
「……灯、太」
「そうだよ! 分かるか!? ボクが灯太だ!」
「分かるよ……ごめんね、灯太……私は、ひどい事を……」
目を開けた紅華が、覗き込んできた灯太を抱きかかえる。
正気に戻った様子に安堵した灯太は、されるがままに紅華の胸に顔を埋めていた。
「……よかった、けど……複雑ねん」
「翠姉」
その様子を灯太の後ろから見ていた翠に、葵が話しかける。
「ごめん、ここはお願いしていい?」
「武ちんのとこにいくの?」
「うん。決着をつけないと」
「葵ちゃんは、全部分かってるの?」
その問いは、武士の変化の理由、そしてその行動の目的、すべてを指しての問いだ。
「うん。ダムの底で武士に助けられたとき、心が繋がった。多分、灯太と紅華の『念話』と同じような状態になったんだと思う」
頷く葵に、横からハジメが口を挟む。
「だったら説明してくれ、葵。武士はどうなったんだ?」
「……ハジメ。気になると思うけど、今は武士が」
葵がそこまで言いかけた時。
ザザッとハジメたちが装着していた通信機から、雑音混じりに音声が入った。
『……ハ…ジメ……』
「兄貴か!? 通信が途切れて心配してたんだ、そっちは大丈夫なのかよ!」
しかしクリアになった通信音声は、ハジメが予測した兄の声ではなかった。
それは落ちついた女性の声。
『……御堂ハジメ。それは私から説明しよう』
「なっ……誰だテメエは? 兄貴はどうした!」
「この声、どこかで……」
「翠姉?」
同じ通信機をつけていた翠が反応する。
葵の方はダムに落ちた時に通信機が壊れ、音声を拾えていない。
『心配するな、御堂継は無事だ。それより一刻も早く、そこを離れた方がいい』
「どういうことだ?」
「――翠姉! ハジメ! この音!」
最初に気が付いたのは葵だった。
………バラバラバラバラ………
夜の空。その闇の向こうから微かに響いてくる異質な音。
山の端から、複数の光点が現れ、こちらに迫ってきていた。
「……国防軍のヘリか!?」
『全員、森の中に逃げ込むんだ。そんな遮蔽物の無い場所では取り囲まれて終わりだ』
迫ってくるヘリは三機。
まだ遠く機種までは判別できないが、仮に大型輸送ヘリだった場合には、一~二小隊は搭乗できる規模だろう。
「ちっ……翠、葵! ここを離れるぞ! おい紅華、正気になってんだったら灯太を抱えて、テメエも来い!」
緊急事態が迫っている事を把握したハジメは、鋭く指示を出す。
「おい九龍! いつまで呆けてやがる!!」
「……ああ」
ハジメに怒鳴られ、直也もゆらりと立ち上がった。
『ああそうだ、御堂ハジメ。深井隆人はともかく、神道使いの坊やは回収してこい』
「んだと?」
正体不明の通信の声を受け、ハジメは倒れたままの神楽を見る。
ハジメに撃たれた傷自体は回復しているが、まだ意識は失ったままのようだった。
『連中に奪われるとまた面倒なことになる。鬼島はもう利用価値を感じていないようだが、九色刃契約解除の能力は、まだまだ貴重だ』
「テメエは何者だ。なんでそんな事を知っている?」
『ここで誰何している暇があるのか?』
「正体不明のヤツに従えるか!」
ハジメは通信機に向かって叫ぶが、ため息と共に返ってきた女の言葉は冷淡なものだった。
『面倒な男だな。なら、御堂継の命が惜しければ言うことを聞け、と言ってやった方がいいのか?』
「……てめえ」
「ハジメ」
理不尽な物言いに拳を強く握ったハジメの肩に、翠がポンと手を置いた。
「ここは従おう」
「翠! けどよ、罠の可能性が」
「継君が押さえられてるなら、どうしようもないでしょ? それに……」
「……それに、なんだよ」
言い淀んだ翠にハジメは問い返すが、翠はすぐに首を横に振った。
「なんでもない、とにかく急ごう。ここで棒立ちになってるのが正しい選択じゃないのは確かっしょ?」
「ちっ……わかったよ!」
『では急げ。監視塔と反対の、麓側の森に入るんだ』
通信の指示に忌々しげにハジメは従い、神楽の体を抱え上げ、駆け出した。
灯太を抱えた紅華が後に続く。
「武士……」
武士が飛んで行った監視塔は堤体の反対側だ。
葵の視線の先を見て、翠が声を掛ける。
「葵ちゃん。武ちんのとこ、行っていいよ。こっちは任せて」
『ダメだ』
声を拾っていた通信機の先の女性が、口を挟んだ。
「……なんでよ」
「翠姉?」
『葵も一緒に、こちらに来い。これは命令だ』
「命令? ……あんた、やっぱり、まさか」
「どうしたの、翠姉?」
翠は耳から通信機を外し、葵に渡す。
葵は受け取ったそれを耳につけると、その声を聴いて驚愕に目を見開いた。
そして、ハジメ達に遅れて、葵と翠も監視塔とは反対側へと走り出す。
「……結女さん」
一人、日本刀を片手にもった青年だけが、彼女たちと逆方向へ駆け出した。
監視塔に向かって。




