「直也VS紅華」
「……今……何と言った?」
「聞こえなかった? 麒麟の工作員。CACCの首魁に操られるバカな女。お前に九龍直也を殺せと言ったんだよ? 朱焔杖の管理者を殺されたくなかったらね」
冷然と言い放つ、神道使いの少年。
魂の封縛を解かれた直後の紅華は一瞬、本当にこの子供が何を言っているか分からなかった。
「私に、この男と戦えというのか」
「……ダメだ……姉貴……彼らと敵対しちゃ……」
「! まだ意識があるのか、この野郎っ!!」
結界の力を上乗せした『魄破』をもってしても、すぐに意識を取り戻してみせた灯太に向かって、神楽は憎々しげに叫ぶ。
神剣を逆手に持ち替え、地面に転がる灯太の肩にその刃を突き立てた。
「ぐああっ!」
「やめろ!」
「動くなっ!! 加減を間違えればこいつの魂は消滅するぞっ……八木早の十握の剣、此れをもって焔産魂となり其を薙ぎ払わんっ……!!」
神楽が素早く詔を唱えると、灯太に突き立てられた神剣が淡く輝く。
「があああっ……!」
「灯太ッ! やめろぉっ!!」
名状しがたい苦痛に、叫び声を上げる灯太。
紅華は反射的に神楽に飛び掛かった。
だが、神楽が神剣と反対の手に持っていた勾玉の鎖が生き物のようにうねり飛び、紅華を打ち据える。
勾玉の鎖に込められた不可視の力が、物理的な力を超えた打撃となって紅華の魂に直接ダメージを与えた。
「ぐっ…!」
紅華の一撃は神楽に届かず、その体は地面に再び投げ出される。
「見たか、この『神威結界』の中なら、ボクは無敵なんだよ」
「神楽、きさまっ……!」
「おっと、動くなよ九龍の坊や。とはいえ……」
駆け寄ろうとする直也を、ナイフを構える深井が遮る。
しかし、深井の心情もまた穏やかではなかった。
「……神楽の坊主、なんのつもりだ」
これまで感じた事のない強さを見せる神楽に向かって、深井は背中越しに問い質す。
「お前達全員、低能のくせにボクを馬鹿にするからさ。……深井、お前の愉しみも奪ってあげるよ」
「なんだと?」
「さあ麒麟の紅華、立って九龍直也と戦え。この状態なら神剣を通してコイツの魂の力を送ってやれる。朱焔杖の力も使える筈だ」
紅華はよろよろと身体を起こすと、キッと神楽を睨みつける。
「……言っておくけど、今の状態でボクを攻撃したら神剣を伝ってコイツにもダメージがいく。余計なことは考えない方がいいよ」
歪んだ笑みを浮かべて、神道使いの少年は紅華を見下し言い放った。
「……神楽、と言ったな。貴様は灯太の実の兄弟だと聞いた」
紅華は立ち上がると、神楽に向かって問いかける。
不愉快なフレーズを聞いたと、神楽は忌々しげに唾を吐いた。
「……そうみたいだね。だから?」
「なぜ血の繋がった兄弟に、家族に、そんな真似ができる?」
「ハッ。呉近強の飼い犬になって、CACCの反乱分子を根こそぎ焼き払ってきた麒麟の工作員が、今更何を言ってるんだ。あんまりボクを笑わせないでくれよ」
少年の歳に不相応な品の無い笑い声が、夜の山間に響く。
「兄弟? 家族? ただ血の繋がりがあるそれだけのことに、なんの価値があるっていうんだ。事実、ボクの父親は息子であるボクに出雲の神道使いとしての能力以外、何の価値も見出さなかった。コイツだって白霊刃の予言に従って、あっさり刃朗衆に差し出されたんだろう? 血の繋がりに価値があるっていうなら、実の父親がそんな真似をするはずがないだろう!?」
「……」
ケタケタと狂気にも似た笑い声とともに、神楽は語る。
「けどあの人は違った。鬼島司令は違った。ボクの能力とボク自身は合わせて一つだって。日野神楽という個人と、出雲最強の神道使いは合わせて一つで、その存在こそが司令には必要だと言ってくれた。だから」
紅華に、灯太に、九龍直也に、深井隆人に、神楽は宣言する。
「ボクの能力を蔑む奴は、絶対に許さない。……さあ、おしゃべりは終わりだ。紅華、灯太の命が大事だというなら九龍直也を殺せ。あの人の息子でありながら、戦う力を手にしていながら、あの人に逆らう愚かな男を殺すんだ」
昏い瞳で嗤う神楽の言を受けて、紅華はゆっくりと深井と対峙している直也を振り返った。
「……紅華」
「けっ……ガキのヒステリーに付き合っていられるか」
直也の動きを制していた深井が、そのナイフを降ろす。
「黙って見てろよ深井。お前は司令に、ボクの邪魔をするなと言われているはずでしょ?」
「ああ、そうさせてもらうさ」
深井が受けた鬼島の言葉は、いくつかの『頼みごと』をクリアした後は好きにしろというものだった。
彼の最大の望みである直也との再戦を邪魔する神楽に、従う謂れはない。
しかし、深井は大人しく引き下がった。
神道使いの少年が抱える狂気。
自分の特殊能力にしか存在価値を見いだせない屈折した自意識。
それは彼にも理解できるものだった。
そして、なにより目の前の九龍直也がこの状況をどう覆すか、単純に興味を抱いたからでもある。
「……九龍直也。すまない」
深井が直也の前から退いた後、代わるように紅華が歩み出た。
ゆっくりと朱焔杖を持ち上げて、その仕込み杖の柄に手を掛ける。
「紅華、冷静になるんだ。俺を倒したところで、あの神楽が素直に灯太を解放すると思うか?」
「……」
「するよ? だから安心して戦ってよ」
楽しげに神楽が口を挟む。
「九龍を殺してくれたら、このままお前達と朱焔杖の契約を解除してやる。それで朱焔杖を渡してくれれば、君たちは晴れて自由の身さ。コイツもそれを望んでたんだろう?」
グリッと神剣を捻る神楽。
半ば意識を失っている灯太が、苦しげに呻いた。
「やめろっ!」
紅華は叫ぶと、朱焔杖から仕込み刀を引き抜いた。
「九龍。僅かな時間しか話していないが、日本人の中でも貴様は嫌いではなかった。……だがすまない。私は灯太、『弟』が一番大切なんだ」
「紅華」
「……『炎剣』」
ゴウッ!
突風が引き抜かれた朱焔杖を中心に渦を巻く。
そして旋風は炎となって、長大な逆巻く刀身を形成した。
「……一瞬で焼き尽くす。痛みを覚える暇も与えない」
呟きとともに、紅華は炎の剣を振り抜いた。
例えるなら、巨大な炎の竜の尾による薙ぎ払い。
遮蔽物のないダムの堤体の上で、躱しようのない閃熱の一撃。
直也の体は一瞬で蒸発する、かに思えた。
「詫びるのはこちらの方だ」
振り被られた炎の大剣が直也の視界を塞ぐ前に、常軌を逸するスピードで直也は前に出た。
炎の大剣と地面の間、体一つ分の僅かな隙間を一切の躊躇もなく潜り抜けた直也は、紅華の背後に回り込んでいた。
「なっ……」
容赦のない備前長船の一閃が、紅華の背を襲う。
ギイン!
これもまた躱しようのないタイミングでの斬撃だったが、紅華は鍛え抜かれた反射神経をもって、朱焔杖の刃で受け止めた。
炎剣は自身の体を焼くことがないように、解除せざるをえない。
「こんな大技で、俺は倒せない」
「くっ……」
二閃。三閃。
直也の光速が如き斬撃が、上下左右から紅華を襲う。
「俺は殺されるわけにはいかない」
ギン! ギイン!!
袈裟切り、逆薙ぎ、刺突、唐竹。
すべてが一刀必殺のである斬撃を、紅華は辛うじて捌く。
「君が弟を守る為に俺を殺すというのなら、俺は妹が生きる世界を守る為に、君を斃そう」
だが、剣術において直也のそれは、紅華の技量を凌駕していた。
あっという間に紅華は、堤体の端に追い詰められる。
(……姉貴!!)
トドメの一閃が振るわれようとしたその瞬間、防御に集中せざるを得なかった紅華の意志と無関係に、朱焔杖の刃から熱線が放たれた。
「!!」
常人には認識もできないはずの攻撃を、しかし直也は体を捻って躱してみせる。
熱線はコンクリートの堤体に一条の焼き跡を残しただけだ。
さすがにバランスを崩して直也は膝をつく。
その隙に紅華は距離を取って、朱焔杖を構え直した。
「……へえ、さすがはボクの兄弟。憎ったらしいくらいに、魂の力を使ってくれるね」
観戦していた神楽が、手にした神剣に肩を貫かれ倒れている灯太を見下ろし、嘯いた。
何度術を使っても意識を取り戻す灯太に、神楽は今では素直に感心すらしていた。
「……やめ……させろ……」
「嫌だね」
苦しげに呻く灯太の言葉を、神楽はあっさりと拒否する。
「認めてあげるよ、お前はボクより魂の力が強い。その力で、お前の大好きな『お姉ちゃん』が九龍に殺されないように、頑張ってサポートしてなよ」
「くっ……」
いかに魂の力が強い灯太でも、物理的に勾玉の鎖で体を拘束され、神剣で体を貫通させられてしまっている。
生殺与奪は神楽の手に握られており、今力を失ってしまえば、直也の手によって紅華は殺されてしまうだろう。
神楽の思惑通り、紅華に力を貸して直也と戦うしかなかった。
そう、見せるしかなかった。
灯太の口角が笑みの形に僅かに上がったことに、神楽は気がつかない。
「破ッ!」
紅華の気合いとともに、熱波が直也を襲う。
広い範囲を攻撃できる回避不能技であるが、それゆえに溜めのない一撃では、熱量が少ない。
直也は腕をクロスさせ顔を防御しながら躊躇らず突進し、腕の表面が焦げるのにも構わずに熱波をやり過ごし、刀の間合いに紅華を捕えた。
「チッ…!」
朱焔杖の斬撃で迎え撃つ紅華。
しかし直也は得意の後の先で容易く朱焔杖を弾き、返す刀で紅華を斬りつける。
「くぅっ……!」
咄嗟の体捌きで致命的な一撃を躱すが、浅く胸を斬り裂かれ鮮血が舞う。
ザシュンッ!!
更に直也が追い打ちに掛かったところを狙って熱線が走るが、直也は地面を蹴って体を回転させ、回避する。
熱線は再び、地面を焼き斬っただけだ。
大きく、二条の焼き跡が堤体の地面を傷つけている。
「終わりだ……紅華!!」
「それはこちらの台詞だ……九龍直也!!」
体勢を立て直した直也が地面を駆け、紅華へと迫る。
放たれる斬撃。
交差する備前長船と朱焔杖。
剣戟の狭間を縫って放たれる熱線。
ことごとく躱され、地面に無数の傷を残していく。
そして。
「本気だったのだが……化け物だな、九龍直也。銃も使わず九色刃もなく、刀一本で私と朱焔杖を圧倒するとは」
「いいや。灯太君が万全の状態なら、俺は今頃消し炭だ」
直也の刀が紅華の首筋の一センチ手前で止まっていた。
「……なんだ? どうした」
互いに得物を下ろし、神楽に向き直る直也と紅華。
「なにをやっている……? 紅華、戦え! 灯太がどうなってもいいのか!?」
「……『神威結界』、と言ったか」
唐突に戦いを止めた二人に向かって、吠える神楽。
困惑している神道使いの少年に、紅華は静かに語りかける。
「九色刃の力を任意に無効化し、神道の術の力を強化する。恐ろしい結界だ。その年齢でよくもここまで強力な陣を使えるものだ。……だが、結界自体を傷つけられては、どうしようもないだろう」
「なっ……!」
結界が敷かれたダムの堤体は、無数の熱線で焼かれ傷つけられている。
さらに。
「俺たちの戦いに集中し過ぎだ、神楽。もうちょっと自分の足元や手元にも気を配ったほうがいい」
直也の言葉に、神楽は慌てて視線を自分の手元に向ける。
手にしていた神剣に、多数の蔦が絡まっていることにようやく気付いた。
「いつの間に――!」
真上に引き抜かれる神剣。
灯太を貫き、その力を抑えていた神剣が神楽の手から離れ、宙を舞う。
そして、同時に灯太の体自体にも巻き付いていた蔦が、少年の体を引き寄せた。
引き寄せられた先にいるのは、もちろん蔦を操る二本の曲刀を操るゴスロリ少女。
小さい体で、少年の体をしっかりと抱きとめる。
「おかえり灯太!! お姉ちゃんが誰だか、忘れたとか言わないでよねん!!」
「……翠お姉ちゃん……」
血よりも濃い、魂の繋がった姉弟の再会が、七年の月日を経て果たされた。




